写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 08.(Summer in Meguro River)
小さな頃、建築というものについて強く意識をしていませんでしたが、なんとなく、東京の高層ビルは「どこにでもある建物がそのまま大きくなった感じだな」と感じていました。つまり、子どもながらにモダンな街並みだと思っていたんです。同じ高層建築でもニューヨークのアールデコ調の摩天楼とは何か違うなぁと、思っていた記憶があります。
当時は、新宿副都心に連れて行ってもらうのが楽しみでした。その頃、超高層ビルが少しずつ建ちはじめていて、高層ビル街に行くと、自分がまるで小人になったような不思議な気分になったのを覚えています。まさに今生まれたばかりというような街並みに“未来”を感じて、なんとなくわくわくしていました。
東京は、ほかの国と比べて都市としての拡がりが圧倒的に大きいですよね。起伏のある地形ゆえに坂道が多かったり、地域ごとにその場所の風景が想像できるような地名が残っているところが面白いなと思います。
ヨーロッパでは通りに人の名前が付いていたりしますが、東京の場合は「坂」というものがその地域の特性を表すモニュメントのような役割になっていることが多いように感じます。昔の街並みはほとんど残っていないけれど、個性的な地名からかつての街の風情を思い浮かべるのが好きですね。
2004年に建築家として独立して、最初に事務所を構えたのが青葉台でした。
それまで務めていた設計事務所を辞めて、一人で仕事をはじめた場所。当時事務所の近くに住んでいたこともあり、思い出深い場所です。
事務所があったのは目黒川のすぐ傍にあるマンションの一室。同時期に独立した知り合いの建築家とシェアしていました。中目黒というよりは池尻大橋に近いエリアで、僕がいた頃は周りにほとんどお店はありませんでしたね。
桜並木があったり、深いところに水が静かに流れている目黒川の感じ、それから坂を登っていくと「西郷山公園」があったりする街の雰囲気も好きでした。代官山の「ヒルサイドテラス」で行われた若手建築家のグループ展に参加した時、事務所から坂道を行ったり来たりして準備をしたことも記憶に残っています。そうそうあの辺りって、地形のせいなのか時々霧がたつんですよ。朝方まで仕事をして外に出ると、10メートル先が見えないくらい真っ白に霧がたっているようなこともありましたね。
青葉台にいたのは「神奈川工科大学KAIT工房」や「レストランのためのテーブル」の設計をはじめた頃で、テーブルの実寸の模型はマンションの屋上でスタディしました。
学生20人くらいに助っ人で来てもらうと部屋に入りきれなくて、今では考えられませんがマンションの非常階段で模型をつくったこともあったんですよ。
狭い部屋だったので、原寸模型の確認を目黒川沿いですることもありました。そうこうするうちにいよいよ模型を置く場所がなくなり、ある日の夜中にふと思い立って急遽床を一段つくり、下に模型を置いて仕事を続けたことも。
翌朝、事務所をシェアしていた人が来て驚いていましたが、当時はそんなことも楽しかったです。でもさすがに事務所の中にいるのに立つことも出来なくなった時、これはもう引っ越すしかないと思いました(笑)。
実際に青葉台にいたのは2年弱くらいと短かったのですが、今よりも街にはみ出しながら仕事をしていた感覚がありますね。
建築家の視点で見ると、東京の街の構造は地形と連動していて、地形によってエリアや街並みが変わります。グリッドの街路などを都市構造とした幾何学的な都市計画とは異なるランドスケープとしての都市が東京です。
東京はランドスケープ的に面として広がっているから、当然そこでの開発も面的に行われることになります。面的な開発の場合、大きな面を大きな建物に置き換えるというやり方がほとんどなのです。開発が繰り返されて時代が進んでいくたびに、建物のスケールがどんどん大きくなっていって、周囲の街の風景がそのスケールについていけず置き去りになっていく感じを見ると、何だか悲しい気分になります。
東京という街を思う時、建物そのものの雰囲気というよりも“江戸から引き継がれている街区割りのあり方”や“道のかたち”が印象深いんですね。現在東京で行われている大きな開発では街区そのものを壊してしまうことも多く、そういうところは残念に思っています。江戸からの街区割りや坂道などによって昔からの雰囲気を残していくことができれば、東京はもう少し趣のある街になるんじゃないでしょうか。
建物そのものが残っていなくても、街区割りや道などの都市の骨格や空白のあり方によって、昔からの都市の雰囲気が継承できるのだとしたらとても面白いような気がします。
うまくやれば、以前からそこにあるものと新しいものが共存するような“新しい関係性”をつくることは可能です。そのためにも、建築家がもう少し都市に食い込むような視点で街づくりに関わっていければいいなと思っています。
これまでの都市づくりは、時代ごとにそれぞれ異なりますが、現代の都市では「建物も人も過密状態で、夜も明るい」ということが、一般的だと思います。でもコロナ禍以降、街における人の密度が低くなっていますよね。未来の都市を考えた時に、もしかしたら人が過剰に密集している以前の状態よりも、密集しないことに価値と可能性を見出していけるのかもしれないと思いはじめました。一箇所に都市機能をまとめるコンパクトシティとはまた違った視点です。街の中なのに夜が暗くて、でも安全で、夜が夜らしく空にたくさんの星が見えたり、現在とは異なる移動手段や道路のあり方が生まれて、森のような都市が出来上がるかもしれない。もっと言うと、都市をつくることと森をつくることが等価になるかもしれません。
ここ最近、世界的なパンデミックの影響で海外に行けなったことで久々に長期間東京にいるのですが、出張がないことって素晴らしいなあと思っています(笑)。
これまであまり事務所に長くいることがなかったので、もう少し事務所で快適に作業ができるようにしたいなと思っているところです。
石上純也 Junya Ishigami
1974年、神奈川県生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修士課程修了後、妹島和世建築設計事務所を経て2004年に石上純也建築設計事務所を設立。主な作品に、神奈川工科大学KAIT工房、Vijversburgビジターセンター(オランダ)、ボタニカルガーデンアートビオトープ/水庭、2019年サーペンタインギャラリーパビリオンなど。2018年にパリ カルティエ現代美術財団で「Freeing Architecture 自由な建築」展を開催。2009年日本建築学会賞(作品)、2010年ヴェネチア・ビエンナーレ第12回国際建築展金獅子賞、2010年毎日デザイン賞、2019年Obel Awardなど受賞多数。
http://jnyi.jp/
東京と私