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ホンマタカシ 東京と私 TOKYO AND ME (intimate)

Vol.43 haru.(『HIGH (er) magazine』 編集長)
PLACE/志村坂上 (板橋区)

写真:ホンマタカシ 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA) 

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ホンマタカシ
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Sounds of Tokyo 43. (Children playing in the Azusawa park)


幼い頃からあちこち移動をして生活をしてきたからか、 「ここが私の地元」 と思える場所がぱっと浮かんできません。

生まれは仙台です。
小学1年生まで埼玉の浦和で暮らして、 その後ドイツへ。 小学校の途中で一度帰国をしましたが、 高校入学と同時に再びドイツに戻りました。

大学入学を機に上京するまでは東京とほとんど接点がなくて、 ドイツで過ごした高校時代はよく 「Tumblr」 で東京のストリートスナップを眺めていました。
“外国人が想像する東京” ってあるじゃないですか? 私が見ていた東京は、 多分それに近かったんじゃないかと思います。

上京して最初に暮らしたのは世田谷区の喜多見。 その後も、 梅ヶ丘に世田谷代田に……。 小田急線沿いの居心地が良かったのかな。
でも、 何年経っても東京に対してホーム的な感覚は生まれず、 取り立てて好きな街もありません。
記憶と結びつく場所が数カ所あるくらいで、 その中の一つが板橋区の志村坂上です。

志村坂上駅から歩いて数分のところに、 今年の夏前に亡くなったおばあちゃんが入院していた病院があります。

幼い頃からおばあちゃん子だったので、 自分にとっては親同然の存在。
去年の夏くらいから入退院を繰り返すようになって、 亡くなるまでの約1年間は休日や仕事の合間を縫って志村坂上に通う日々でした。
病院に向かう時間は、 自分の普段の生活から外へ出ていくような、 妙に生死がくっきりと感じられる不思議な感覚だったことを覚えています。

多い時は週に2度。 かなりの回数足を運んだので、 行きつけの店などが出来ても不思議ではなかったのですが、 駅の改札を出た後は一切寄り道をせずに病院に行っていたんです。 帰りも同じく。

「この街の記憶を残したくない」 という気持ちがあったんだと思います。
だから、 街の風景をなるべく見ないようにしていました。

コロナの影響で面会時間が10分しかなくて、 しかも会いに行く度に 「もしかしたら今日でお別れかもしれない」 という気持ちと向き合わなきゃいけない。
病院へ向かう道中は 「おばあちゃんと過ごす 10分をやり切る」 ということに全神経を注いでいたから、 周りの風景を見ながらのんびり歩く余裕が無かったんですね。
とにかく ‟悲しい” という感情に引っ張られることなく、 ポジティブな気持ちでおばあちゃんとの時間を過ごそう。 そんなことだけを考えていました。

おばあちゃんが亡くなったのは6月末。
その日は面会時間の制限も無くて、 最期の瞬間も一緒にいることが出来ました。

お別れした後、 病院の待合室から見た景色が強く記憶に残っています。
すごく静かで、 夕方から夜にかけて変化していく空がとても綺麗で。
おばあちゃんはこの世からいなくなってしまったけど、 色々なものがいつも通りで、 想像していたよりも全てが穏やかでした。

面会に行く時は待合室にいることが多かったので、 そこからの景色は度々見ていたのですが、 あの日の空が一番綺麗だった気がします。
思わず、 iPhoneで写真を撮りました。

おばあちゃんの写真も沢山撮りましたよ。
iPhoneでも撮ったし、 カメラでも。 おばあちゃんとの会話をボイスレコーダーで録音したりもして。
覚えている街の景色はほとんどないけど、 志村坂上で過ごした時間の記録は色々と残っているんです。

上京してから、 もうすぐ7年。
気が付けば東京は、 人生の中で最も長く暮らしている街になりつつあります。

この先、 ‟ここが自分のホームだ” という気持ちになるのかはわかりませんが、 いま私がどこか別の土地に行ったら、 他者からは 「東京の人」 という風に認識されるんですよね。
そう考えると、 なんだか不思議な気持ちになります。

ものすごい速さで色々なことが進んでいったり、 無くなったり、 生まれたり。

東京をベースに仕事をしているからこそ、 どんなプロジェクトに携わる時も 「出来上がるまでの過程を大切に、 そこにどれだけの意識を向けることができるか」 ということを考えています。
この街で暮らす身として普段あまり感じることがない感覚だからこそ、 自分が追い求めたいと思うのかもしれません。

おばあちゃんが亡くなって以降、 志村坂上には一度も足を運んでいません。
行く理由も無くなってしまったし、 「あの街は幻だったのかな」 という感覚すらあって。

でもきっと、 一生忘れることができない街です。


haru. (ハル)

1995年生まれ。 東京藝術大学在学中に、 同世代のアーティストたちとインディペンデント雑誌 『HIGH(er) magazine』 を編集長として創刊。 多様なブランドとのタイアップコンテンツ制作を行なったのち、 2019年6月に株式会社HUGを設立。 代表取締役としてコンテンツプロデュースとアーティストマネジメントの事業を展開し、 新しい価値を届けるというミッションに取り組む。

https://h-u-g.co.jp/

Instagram:@hahaharu777

haru.

東京と私


連載 「TOKYO AND ME」 は、 次回より CLASKA ONLINE SHOP 内の 「Web magazine」 にて展開させて頂きます。

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2023/10/18

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