写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 11.(Tokyo Sakura tram)
1984年頃だったでしょうか。大学3年から大学院に通っていた3~4年の間、荒川区の西尾久に住んでいたことがありました。
その前も大学に近い都電荒川線の「面影橋」駅から「学習院下」駅の間の線路沿いに住んでいて、都電沿線には馴染みがあったんです。
住んでいたのは外階段のある木造モルタルの、至って普通のアパート。西尾久は早稲田の学生が住む街としては大学から少し離れていてすべてが理想通りというわけではないものの、僕には十分でした。
大学から適度な距離がほしかったのと、家の近所で知っている人に会いたくなかった(笑)。偶然見つけた場所ではあったのですが、見てすぐに気に入りました。色々と、ちょうど良かったんですね。
当時の外出といえば図書館に行くくらいで、特にどこかに出かけるということもありませんでした。本を読むか、外を歩いているか……とにかく毎日よく歩いていましたね。
本郷にある大学院に通っていた時は「荒川車庫前」駅から町屋の方まで都電で行って、千代田線で「根津」駅、あるいはJRの「尾久」駅から上野に出て、そこから東大病院行きのバスに乗って通っていました。
「尾久」駅はJRの駅なのに知らない人が多くて悲しい思いをしたこともありましたが、私鉄の奥の方に行ったような佇まいがあって気に入っていました。
『いつか王子駅で』(2001年・新潮社)は、あのあたりが舞台の小説です。執筆にあたって特に取材をしたりすることもなく、記憶の中にある過去の情景をもとに書きました。
隅田川沿いや平屋が建ち並ぶ間を縫うように歩いたことは、今でもはっきりと記憶に残っています。立ち寄る場所がほとんどないので、いつも同じコースを歩いていました。「荒川車庫前」駅から「小台」駅まで歩いて、そこで左に折れて小台橋に出て、川沿いの遊歩道をお年寄りたちに混じって歩く。
「あらかわ遊園」が好きで、よく観覧車の裏の土手から隅田川をぼーっと眺めていました。今考えるとなぜそんなことをしていたのかは分かりませんが、ほぼ毎日同じことを繰り返していましたね。
あとは、都電の「荒川遊園地前」駅のそばにある少年野球場のベンチに座って草野球を見たり、時々喫茶店に行ったり、駅前の本屋で立ち読みをするくらいで。
あのあたりはガランとしていて日中でも人が一人もいないような瞬間もありました。傍から聞いたら、ただの暗い青春ですね(笑)。
結局、なんにもしない4年間でした。でも今振り返ると、西尾久で過ごした時間が自分にとってとても大事だったことがわかるんです。
ほかにもいくつかの街に住みましたが、そのほとんどが“そこにいた”という通過点に過ぎず、記憶にも残っていません。でも都電沿線のあの辺りは違っていて、そこでの時間が今でも身体に染み付いている気がします。
付近には高いビルがほとんどなくて、特に線路沿いを歩いていると空がよく見えました。もともと田舎の出身なので、空が見えないと気持ちが落ち着きません。西尾久の風景は、東京でありながらも自分の肌身に染みたかつての生活空間と地続きのような感覚がありました。
大学院を卒業した後にパリへ留学した際、最初の1年はパリの郊外に住んでいました。
西尾久あたりの風景に近いものを感じたのだと思います。空気の匂いや景色が隅田川付近の感じにすごく近くて、居心地が良かった。パリの中心を流れるセーヌ川よりもロンシャン競馬場あたりの川沿いの景色や空気が、身体に合っている感じはずっとありましたね。
自分には“郊外”が合っているんだと思います。
でも実は「郊外である」ということを感じるためには、強い引力を持った“中心”が必要なんですよね。
生まれは岐阜県なのですが、小さな町には均一の力しかなくて“中心”がない。ですが東京には新宿や池袋など大きな引力を持つ街がいくつかあって、その引力圏から離れていく時にふと「あ、引力圏から抜けたな」と感じる瞬間があるんです。
僕の場合、引力圏の中と外をいつでも自由に行き来できるというわけではなくて。たとえば映画を観るために早稲田や大塚のあたりに行こうと思った時、その時の体調とか懐具合がうまく重なると「大塚駅前」駅から都電に乗って山手線の中に入ることができるのですが、そうでない時には「飛鳥山」駅で都電を降りて、都心には行かずに西尾久まで歩いて帰ってくるということもよくありました(笑)。
西尾久は引力圏の先にある特別な場所で、当時の自分が抱く東京の心象風景にうまく合っていたんだと思います。
東京に馴染めていない感覚は、今もどこか続いています。
講演などで都心にいる時にも、「なぜ自分はここにいるのだろうか」という違和感が拭えません。それが北区、荒川区、足立区あたりに行くとふっと消える。どうしてかはわからないのですが。
東京は広すぎて、未だに掴みどころがない。でも、岐阜の田舎に帰ると「東京っていいなあ」と思うんです。かつて暮らした西尾久、それから馴染みの薄い都心部を含め、自分の身体に合っていることを強く感じるんですよね。
「生まれ故郷より長く住んだ」という時間だけでは測ることができない何かが、東京にはあるんでしょう。その“わからない感じ”が、僕にとっては心地いいのだと思っています。
堀江敏幸 Toshiyuki Horie
1964年、岐阜県生まれ。作家・仏文学者。1999年『おぱらばん』で三島由紀夫賞、2001年『熊の敷石』で芥川龍之介賞、2004年『雪沼とその周辺』で谷崎潤一郎賞、2006年『河岸忘日抄』で読売文学賞 小説賞など、数々の賞を受賞。おもな著書に『郊外へ』『いつか王子駅で』『なずな』『燃焼のための習作』などがある。
東京と私