料理に縁のある家に生まれ、
自分の心に正直に、まっすぐ料理の道を歩んできた一人の男性が、
昨年の9月、若干26歳で自身のレストランをオープンした。
ディナーは1日1組。
軽井沢の美しい自然の中に静かに佇むその店で楽しめるのは、
まだ私たちが経験したことがない、新しい食体験。
写真:Maya Matsuura 文:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
鈴木夏暉(すずき・なつき)
1994年長野県生まれ。高校中退後、長野県内のイタリアンレストランに勤務。その後イタリアのナポリ、東京、デンマークで経験を積み、2020年9月軽井沢に自身のレストラン「Restaurant Naz」をオープン。ディナーは1日1組限定。地元の食材にこだわり、長野の春夏秋冬を堪能できるコース料理を提供する。
HP:http://naz-karuizawa.jp/
Instagram:@naz_karuizawa
これからのレストランは
“体験”が価値になる
昨年9月、地元である長野県の軽井沢に「Restaurant Naz」をオープンされたそうですね。現在26歳とのことで……料理の世界は比較的キャリアをスタートする年齢が早いと理解しつつも、若いなぁと驚いています。料理の世界を志すきっかけはなんだったんですか?
- もともと料理に縁のある家系なんです。母方の祖父が自宅で日本料理の店を営んでいて両親も店に関わっていたので、それこそ保育園くらいの頃からずっと料理に触れてきました。
なるほど。ごく自然な流れで料理の道を志すようになった、という感じでしょうか。
- そうですね。
小さな頃の記憶ってありますか?
- よく家に大きな魚が送られてきたなぁとか……。小さな頃から色々手伝っていて、小学生の時には自分で魚を捌いていた記憶がありますね。
将来の仕事として料理を意識したのは何歳の頃でしたか。
- 中学卒業後に高校に進学したのですが、2ヶ月で中退したんですよ。それから料理の世界に入ったので、16歳の頃かな。地元のイタリアンレストランに就職しました。
なぜイタリア料理を選ばれたんですか。
- 料理だったらなんでもよかった……は言い過ぎかもしれませんが、実際あまり深く考えていなかったかも(笑)。周りの人がみんな美味しいっていうから、そのレストランを受けたんですよ。最初はホールをやって、それから少しずつ厨房の仕事を覚えさせてもらって。16歳から20歳手前まで、約4年間お世話になりました。
そのあと、イタリアへ。
- はい。カンパーニュ地方のナポリに。働いていた店の名物がピッツァだったんです。まずはピッツァを極めようと思って頑張りました。そうするうちに「本場で働いてみたい」と思うようになって。そうだ、イタリアンの世界ではパスタは料理だけどピッツァは料理じゃないんですよ。日本料理でもてんぷら職人とか寿司職人がいるじゃないですか。それと一緒で、ピッツァは「ピッツァ職人」がつくるものなんです。
なるほど。ピッツァの面白さはどんなところでしょう?
- なんか蕎麦に似てるんですよね。同じ分量の水入れて、こねて……やることは毎日一緒。でも、季節や温度によって材料は同じでも状態が変わっていく。すごく面白いなと思って。
“蕎麦とピッツァが似てる”って確かにそうですね。考えもしませんでした(笑)。それにしても「本場でやってみたい」と思うのは簡単だけれど、実際に行動に移すのはとてもエネルギーがいりますよね。
- 17歳の時に、働いていたレストランの社長が東京の中目黒にある「ピッツェリア エ トラットリア ダ イーサ」というピザ屋さんに連れて行ってくれたことが大きなきっかけになりました。そこでオーナーの山本さんの仕事を目の前にした時に、腹を決めた感じですね。「ピッツァ職人てなんてかっこいいんだろう、僕も一度本気でやってみよう」と。それから2年間は、イタリア行きのために頑張って貯金して。
渡航前に、働く店と話をつけてから行ったんですか?
- いや、いきなり行きました。山本さんみたいになりたいと思ったので、山本さんが修行した「ピッツェリア・ダル・プレジデンテ」っていう現地でも有名な店にアタックしたんです。イタリア語は全然できなかったので、片言の英語で「日本ではこれくらいの経験がある」とか「店で働きたいから一度試してくれ」とかを何とか伝えて。最初の2回は門前払いだったんですけど、3回目に行った時、ちょうど入り口にオーナーがいて直接話をすることができました。
すごい勇気。そのあとどういう経緯で店で働けることになったんですか。
- それがね、やばいんですよ。「じゃあお前やってみろ」って言われて、ピザ場に入らせてもらって。その店のピザ場はガラス張りでちょっとしたステージみたいになっているんですけど、そこで大勢のスタッフに眺められながらマルゲリータをつくりました。“日本人が来たぞ”とかバカにされながら(笑)。そんな状況で何とかつくり終わったら、オーナーが「それを食べてみろ」って言うんです。オーナーが足を組んで座って見ている目の前でそれを食べて……。
なんという緊張感。
- で、食べ終わったら手でシッシッていうジェスチャーをされながら「もう帰れ帰れ」って言われて。言葉はわからないけど、帰れって言われているのはわかったので席を立って出口に向かったら、若い子がシャツを持って来てくれて……オーナーが「お前、明日7時に来い」って(笑)。
すごい。映画みたいなエピソードですね。
- ですよね(笑)。次の日からその店で働きはじめました。朝6時半過ぎには店に行ってエスプレッソ飲んで「さあ、はじめるか!」みたいな毎日。スタージュ(無給のスタッフ)での採用だったので、日本で貯めたお金で生活をしていました。
いきなりイタリア人的な生活に。すぐに馴染めましたか。
- はい。僕、柔軟なので余裕ですね。どこでも寝れられるし。
ちなみに……どこかで働けるという保証がない中での渡航に関して、ご家族はどういう反応でしたか?
- 今まで自由にやってきたので、特に何も。もちろん心配はしてくれていたんでしょうけど、「行く」って言った以上は聞かないんだろうなって思っていたと思います。
“得体が知れない”デンマークの料理に惹かれて
イタリアにはどれくらいいたんですか?
- 約1年ですね。そのあと一旦、日本に戻りました。
なぜ日本に帰ろうと思ったんですか?
- それは、お金がなくなったから(笑)。貯金がたくさんあったわけじゃないし、もともと1年くらいで勉強しきろうという思いはあったんです。それもあって、ある程度納得できるところまでいけての帰国でした。「また海外で勉強したいな」という気持ちがあったので、また日本でお金を貯めようと。どこで働くか考える時に悩んだのは“やりたいこと”と“もらえるお金”のバランスですね。勉強したいな、と思う店だと給料は少ないし、とにかくお金を稼ぎたいということに重きを置くと、勉強したいような店には入れないし。
確かに悩ましいところですね。
- そうしたら、たまたま東京でイタリア料理をやっている友人と二人で店をやらせてもらう機会をいただいたんです。その店はイタリアンバルだったんですけど、友人に色々教えてもらいながら料理をつくっていました。立ち上げの期間を含めて3年くらいその店で働いてお金を貯めて、デンマークへ行きました。
なぜデンマークに?
- ピッツァは別として、僕はそれまで「料理」というものを誰かにきっちり教わった経験がなかったんです。でも今の時代は情報が発達してるから、その気になればある程度基礎知識は入ってくるんですね。色々な料理を見ていく中で、イタリア料理とかフランス料理とか、既に世の中で認知されて多くの料理人が活躍しているジャンルではないものをやりたいなと思ったんです。“料理の世界で自分が果たせる役割ってなんだろう?”と考えていた時に、デンマークの料理の情報が入ってきて。
コペンハーゲンのレストラン「noma」の成功を皮切りに、今では「ニュー・ノルディック・キュイジーヌ」というジャンルが確立されましたね。
- そうですね。料理って、どんな素材を使っていてどんな味なのか大体見た目でわかると思っていたんですけど、nomaの料理を見た時にその概念が覆りました。味の想像が全くつかない。そこに惹かれたし、興味を持ったんです。少しずつデンマークの料理について調べて行ったら、「発酵」が一つのキーワードになっていることを知りました。
日本人の食文化においても「発酵」はとても身近なものですね。
- はい。調べれば調べるほど、日本とリンクするところがあって。
その「noma」にスタージュで入られたんですよね。
- たまたま知人を介してnomaのペイストリー部門のスーシェフを務めているイタリア人と知り合ったんです。僕、英語は全然わからないんですどイタリア語は少しできるので、彼とイタリア語で連絡を取り合って。そうしたら、入れてくれることになって。
すごい。そんな簡単に入れてもらえるものなんですか?
- 運が良かったんだと思います。ありがたいご縁でしたね。彼の紹介ということもあって、ペイストリー部門、デザート部門で3ヶ月間働かせてもらいました。そうこうするうちにコロナの影響でnomaがしばらくクローズすることになって……。そのあと同じコペンハーゲンの「Kadeau」という店で働いたのですが、そこもコロナの影響で一旦クローズになり。結局半年くらいで帰国することになりました。短い期間でしたが、nomaはもちろんKadeauもめちゃくちゃ勉強になりました。
「正体がわからない感じに惹かれた」とおっしゃってましたけど、その秘密はつかめた感じですか。
- デンマークの料理は、すごくシンプル。食材同士の変わった組み合わせはするけれど、テクニックとして難しい料理はほとんどない印象でした。日本人にはない思考から生まれた料理だなぁと思いましたね。できることなら、もっといろんな店で学びたかったですけど……充実の半年間でした。
地元の豊かさを再発見
デンマークから戻ったのが昨年2020年の4月。そして9月に自身のレストランをオープンされました。ものすごいスピード感ですが、もともと日本に戻ったら店を開くということを決めていたんですか。
- この業界に入った時から「いつか自分の店を出したい」という気持ちで勉強し続けてきたので、もちろんずっとタイミングは探していましたが……。帰国時にはまだどこかで働いて勉強しようか、自分の店をやってしまおうか、半々くらいの気持ちでした。
店をやるなら自分が育った場所で、というイメージがあったんですか?
- 実は、そういう気持ちは全然なかったんですよ。20歳くらいまでしか長野にいなかったので、地元の良さを知る機会がありませんでした。むしろ「長野ではやりたくないな」くらいの感じで(笑)。でも東京や海外で働いて自分なりに色々な経験をして帰ってきたら、なんか……めちゃくちゃいいな、って。
長野って、とても豊かな土地だと思います。
- ほんと最高ですね。水が美味しくて土もいいから、当然野菜も美味しい。いい生産者も多いんです。10代の頃は日々忙しく働いていたので、地元の素材や人にじっくり触れ合う時間が取れなかった。それもあって、デンマークから帰ってきてから2ヶ月くらい、ひたすら長野の素材や環境と向き合う時間を持ってみたんです。気になる生産者にアポイントをとって会いに行ったり、いろいろなものを見たり食べたりしてみたら「長野、めちゃくちゃいいじゃん!」って。ここでなら自分の店ができる、と思うようになりました。
これだけいい素材があればできる、と?
- できるし、自分のやりたい料理とすごくリンクしたんですよね。僕のつくる料理はシンプルだから食材が良くないと厳しい。あと、デンマーク料理から学んだ「発酵」も一つのテーマにしたかった。長野にはいい食材が揃っているし、発酵に根付いた食文化がもともとあるし……自分が伝えたい料理がわかってもらえる気がしたんです。
まさか地元にこれだけの役者が揃っていたとは! という感じですね。
- ほんと、想像もしていませんでした。その後すぐ物件を探しはじめたのですが、なかなか良い物件に巡り合えなくて。旧軽井沢や中軽井沢のように、店が立ち並んでいるようなところではやりたくなかったんです。自然豊かな場所にポツンと建っている平屋、みたいなのが理想だったんですよ。
なるほど。
- 無理なのかなぁと思っていた時に、たまたま今の物件に出会ったんです。車で物件探しをしていた時に見つけて「理想的だな」と思い車を降りて近くまで行ってみたら、そこを管理している建築事務所の連絡先が書いてあったので連絡してみたんです。僕が見つけた建物は同じ敷地内に8棟建っているものの中の一つで、8棟のうち7棟はこれから宿泊施設としてオープンするとのことでした。
そうだったのですね。
- 支配人さんにレストランを開きたいと思っていることなど色々と話をしたら、「管理棟にする予定の建物があって一棟空いているから、もし良かったらそこでやってみる?」と提案してくれたんです。
すごい話ですね。その支配人さんとは、その日はじめて会ったんですよね?
- そうです(笑)。ものすごく驚きました。まさかこんな綺麗な新築で店ができるなんて思わないじゃないですか。もともとレストラン用に建てられた建物では無いのでコンパクトですしキッチン周りを大幅に改装する必要はあったけど、建物の広さは問題ありませんでした。もともと、小規模で厨房とテーブルに一体感のあるレストランがやりたかったので。“シェフズテーブル”のような……。
ディナーは1日1組なんですよね。
- そうです。ランチも、2~3組くらい。だから、キッチンを直せばこの規模でできるなって。めちゃくちゃラッキーだしこんなタイミングないなって思って、3分くらい考えて。 その場で「やります」と返事をして、すぐに賃貸契約済ませて速攻で工事を入れて。
4月に日本に帰ってきてから、なんと無駄のない数ヶ月(笑)。
- ですよね。めっちゃ忙しかったですけど(笑)。
料理もうつわも、同じくらい大切
いい食材を使う、ということはもちろんですが、Nazの料理にとって「うつわ」も大切な要素だそうですね。うつわに興味をもったきっかけはなんだったのでしょう?
- 白いうつわや白いうつわに盛り付けられている料理はとても綺麗なのですが、自分の料理に対するスタンスだったり僕自身の性格とちょっとずれがあるというか……。
今ではだいぶ状況が変わっているのかもしれませんが、たとえばフランスではカジュアルなビストロも一流レストランも、シンプルな白いうつわを使っている店が多いですよね。
- 決してそれが悪いというわけではないんです。でも、つくる立場としては「うつわも料理ももっと自由でいたい」という気持ちがあるんですよね。うつわに関して言えば、人間の手が生み出すからこそのばらつきがあったりするものの方が、自分の料理に合うなと思って。いろいろな作家さんに依頼をしていますが、田中信彦さん、岩崎隆二さん、村井大介さんのうつわが柱になっています。
料理を組み立てていく時は、まずは料理ありきでそれにうつわを合わせるんですか? それともうつわありき?
- それが、めっちゃ難しいんですよ。Nazでは季節ごとにコースメニューを変えているのですが、料理を考える時はまず「季節」があって、食材をみて、料理を考えて……っていう順番なんですね。料理が固まりきる少し前に「うつわにこういう風に盛っていくと、こういうイメージでまとまるな」という具体的な絵が浮かぶので、その絵に合ううつわをつくっている作家さんにお願いをします。でも、必ずしもイメージ通りのうつわがあがってくるとは限らないので、両方のパターンがありますね。結果的にうつわに合わせて料理を固めるケースもあります。
料理と同じくらいの熱量で、うつわのことを考えているんじゃないですか?
- 料理を完成させる上での大切なパーツですからね。届いたうつわを自分の手で触ってみたり水を流してみたり、色々試してみるとそのうつわの違った良さが見えてきたり……。実際に自分の目の前に物が来た時に感じるものを、大事にしたいなって思います。
鈴木さんの料理とうつわはとても密接な関係ですが、ある程度融通がきくというか普遍的なものである必要がありますよね。まさか、しょっちゅうオーダーするわけにもいかないだろうし。
- それがですね、しょっちゅうオーダーしちゃってるんですよ(笑)。ほぼ季節ごとに。
なるほど! では、これから春夏秋冬のNazのうつわができていくわけですね。
- とりあえず、今年1年かけてNazのベースとなる料理を考えていこうと思っていますが、うつわに関しても同時進行で進めて行きたいです。すごく楽しいですよ。やっぱり新しい物が自分の目の前にどんどん流れてこないとアイデアも浮かばないし。うつわはめっちゃテンション上がりますね。
「自分の料理」をつくっていく
Nazのシグネチャー的な料理、スペシャリテはなんですか?
- 信州サーモンを使った料理ですね。もともと、地元の食材を使ってスペシャリテをつくりたいという気持ちがありました。
長野は内陸県なので魚介類に弱いというイメージがありますけど、川魚は美味しいですよね。
- そうですね。川魚はすごくいいんですよ。サーモンとか鮎とか鯉とか。意識的に使うようにしています。
コロナ禍以前と比べて、飲食業界を取り巻く状況は大きく変わりました。鈴木さんはこれからの時代における「レストラン」の役割についてどう考えていますか?
- 単に食事をするだけの場所ではなく、食事を通じて新しい体験をしていただける場であるべきだと思います。Nazから何かを発信できたらいいなって思いますね。まだスタートしたばかりですが「価値あるレストラン」にしていきたいです。嬉しいのは、食事をしに来てくれたお客様が、帰る時に次の季節の予約をしてくれること。うちに来るためだけに軽井沢に行こうと思っていただけるようになったら嬉しいですね。
お金を出せば多くの「もの」が手に入る時代ですが、記憶に残る「体験」こそが究極の贅沢であるという気がします。
- そうそう。やっぱりキーワードは体験だと思います。来てくださるお客さまに対して、どうやったら自分なりに新しい体験を提供できるかなということをいつも考えています。そういう店じゃなきゃ価値がないし、これからの時代お客さんも来てくれないと思う。でも……「新しい」にこだわりすぎて、本質を見失わないようにしないと。僕がつくりたいのは、見た目の美しさはもちろんだけどナチュラルな中に素材のピュアな美味しさを感じる料理。そこを大事にしたいですね。