小さい頃から愛し、親しんできた音楽が仕事に。
デンマーク・コペンハーゲンを拠点に音楽活動をするLo Ersareさんがつくる音楽は、
聴く人の気持ちをポジティブに押し上げてくれる不思議な力を持っている。
写真:Maya Matsuura 文:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Lo Ersare(ルー・エシャレ)
ミュージシャン。1992年スウェーデン生まれ。デンマーク・コペンハーゲンの音楽大学「Rytmiske Musik Konservatorium」でジャズを中心に学び、在学中より音楽活動をスタート。2021年に「Lucky Lo」として、レーベル「Tambourhinoceros」よりアルバム「Supercarry」をリリース。現在はコペンハーゲンを拠点に活動を行っている。
HP:https://linktr.ee/luckylo
Instagram:
@luckylomusic
Loさんは現在デンマーク・コペンハーゲン在住だそうですが、出身はスウェーデンなんですね。移住したのはいつですか?
- スウェーデン北部にある 「Umeå」 (ウーメオー) という街で生まれ育ちました。コペンハーゲンには22歳の時に大学に進学するタイミングで移住したので、今年で7年になります。今はパートナー、それから60代のカップルと4人でルームシェアをして暮らしています。
故郷のUmeåで撮影をしたという映像作品を拝見したのですが、自然にあふれるとても綺麗な場所ですね。Umeåではどんな幼少期を過ごしましたか?
- よく友人たちに 「ワイルドな家庭だね!」 と褒められるのですが、両親共に自然が大好きで、父は育休中に 「klattermusen(クレッタルムーセン)」 というアウトドアブランドを立ち上げたほど。皆が揃うバケーションの時は決まってみんなで山に登るというのが、我が家の恒例行事でした。
当時のことで特に記憶に残っているエピソードはありますか?
- スウェーデンの最高峰である 「Kebnekaise(ケブネカイセ)」 という山があるのですが、その山に家族で登った時のことはよく覚えています。確か3歳くらいの頃だったと思うのですが。
すごい! 3歳の頃の記憶が。
- 父が登山用のバックパックに装着できる子ども用の椅子をデザインしたんです。私はそこに座って山を登ったのですが、その時に父の背中から見た綺麗な冬景色を今でも覚えています。
素敵なエピソードですね。やはり、今でも自然と接する時間は大切にしていますか?
- そうですね。すごく大切です。考え事をしたい時や気持ちが落ち込んだ時に、海や山などに触れると回復するので。昨日は久しぶりに何も予定がない日だったので、一人で海に行って泳いで空を見て、リラックスしてきました。音楽活動、特にライブは極めて “ソーシャルなもの” でエネルギーを使うので、その後リラックスする時間がとても大切なんです。バッテリーを充電する感じですね。
学生時代から音楽活動をスタートして、2021年にデビューしたそうですが、タイミング的にコロナ禍のはじまりと重なってしまいましたね。当時、デンマークもロックダウンをしていた記憶があります。
- そうなんです。国内外で予定していたライブなどがすべてキャンセルになってしまったこともあり、ロックダウン中は日本人の方が経営しているお寿司屋さんでアルバイトをしていました。お店のスタッフは私以外全員日本人だったのですが、みんなとても優しくて。今でも一ヶ月に一度くらいは、その店で働いているんですよ。
そういえば、Loさんは日本語がとても上手ですよね。
- ありがとうございます。高校生の時にたまたま日本人の先生が学校にいて、その方との出会いをきっかけに学ぶようになりました。使わないと忘れてしまうので、日本人の友人とは普段から日本語で会話をするようにするなど、努力しています。
ところで、日本人から見るとデンマークもスウェーデンも 「北欧」 という一つの共通したイメージがあるのですが、やはり国民性の違いはあると感じますか?
- なんか “兄弟” みたいだな、って思います。似ているんだけど、ちょっと違う。デンマークで暮らすようになって一番驚いたのは、物事をストレートにはっきり言う人が多いことです。この前日本人の友人と 「日本で例えるなら、東京と大阪の違いだね」 という話をしました。東京がスウェーデンで、大阪がデンマーク。
日本への旅で見つけたもの
音楽との最初の接点はなんでしたか?
- 5歳くらいの時には、母に 「大きくなったら歌手になりたい」 と話していたみたいです。両親が共働きだったこともあり祖母と一緒に過ごすことが多かったのですが、祖母は踊ることが大好きな人で。ディスコミュージックやワールドミュージックに合わせて、よく一緒にリビングルームで踊っていました(笑)。
可愛らしいですね!
- すごく楽しい時間でした。音楽が持つパワーや楽しさをその時に体感して、 「音楽を仕事にしたいな」 と考えるようになったのだと思います。母はLucky Loのステージを見て、祖母みたいねだと言ってます(笑)。
コペンハーゲンの音楽大学では何を学びましたか?
- ジャズをメインに様々なジャンルを学びました。 「Rytmiske Musik Konservatorium (リズミック・ミュージック・コンサバトリー) 」 という学校に通ったのですが、自分に合うとてもいい学校でした。音楽大学はあらかじめ学ぶ音楽のジャンルを決めてそれを追求するというケースが多いのですが、私が通った学校はいわば美大のようなスタイルで、興味があれば複数のジャンルを学ぶことができたんです。自分のやりたいことを実現するために、ジャズ以外にもさまざまなジャンルを勉強してきました。スウェーデンにはこういうかたちで学べる音楽大学が無くて、デンマークの友人に 「デンマークにこういう学校があるよ」 と教えてもらったことをきっかけに進学を決めました。
2021年に「Lucky Lo」 としてデビューする以前は、どのようなかたちで音楽活動をしていたのでしょうか。
- 2018年から2019年にかけて、ポーランド人のドラマーでありプロデューサーであるALBERT KARCH (アルベルト・カルフ) と一緒に 「NENNE」 というバンドで活動していました。テクノとアンビエントが融合した音楽で、歌詞は日本語と英語の両方。実は日本でライブをしたこともあるんですよ!
Loさんは2018年と2019年に、それぞれ3ヶ月ずつ日本に滞在した経験があるそうですね。
- はい。もともと日本という国に興味がありましたし、デンマークで、日本人のジャズミュージシャンである大森聖子さん (ピアノ) 、小美濃悠太さん (コントラバス) と知り合いになったことも大きかったです。2018年、大学を卒業した年に行った最初の滞在では、長野の小諸にあるアーティストインレジデンスで音楽制作をしました。
東京ではなく長野、というのがなんか良いですね。
- 音楽制作をする時に一番インスピレーションをもらえるのが森なので、なるべく周りに自然がある環境に身を置きたかったんです。暑いのが苦手なこともあって滞在したのは秋から年末にかけてだったのですが、野菜はもちろんフルーツが美味しい時期で最高でしたね。
二度目の滞在も長野を拠点に?
- 長野と東京を行ったり来たり、でした。その時は長野の信州新町にある
信級 という集落にも遊びにいったのですが、すごく気に入ってしまいました! 信級でも曲をつくったし、 信級にアトリエと住まいを持つ 「Ka na ta」 というアパレルブランドをやっているデザイナーの方とも知り合いになりました。その他にも、先ほどお話したバンド「NENNE」としてミュージシャンの青葉一子さんとコラボレーションして東京の代官山でライブをしたり、大森聖子さん、小美濃悠太さんと一緒に 「Leisure Children」 として練馬の 「森のJAZZ祭」 に出演させて頂いたり……。とても学びの多い滞在でした。実は、来年の秋にまた日本に行く予定にしているんです。
世界の様々な国を旅しながら、その土地のローカルな場で演奏をするのはとても楽しそうですね。
- 確かにそうですね! 意識をしてそういう風に考えたことはなかったのですが、自分らしいスタイルなのかもしれません。
ソーシャルケアはセルフケアに繋がる
音楽の面白さはどんなところにあると思いますか?
- 人の気持ちを変えることができるところ、ですね。制作中は 「どうしたら聴いてくれる人の気持ちをポジティブに変えられるかな?」 ということをすごく考えます。だから、歌詞はとても大切。日本でライブをした時は、英語で歌った後にMCで歌詞の内容について日本語で説明しました。
言葉も音として身体に入ってくるような側面はありますが、意味が分かったらより良いですよね。
- 昨年3月に発表したアルバムには 「Supercarry」 というタイトルをつけました。周りの人に愛を注いで “持ち上げて” あげることが、結果的に自分自身のケアに繋がる。つまり、 “ソーシャルケアはセルフケアに繋がるよ” という意味を込めた造語です。
一般的には 「他人や周りのことよりも、まずはセルフケアやセルフラブを大切に」 という考え方が主流な気がします。
- そうですね。だから、 「Supercarry」 というのは、それとは逆の提案なんです。自分よりも他人を優先することって難しいことだし、どうやったらそれを実現できるかまだ分からないけど、それが出来たら素晴らしいなと思っています。
今までに影響をうけた人や映画や本などがあれば教えてください。
- 沢山あるのですが、一つだけあげるならフランスの映画 「アメリ」 ですね。14歳の時にはじめて観て以来、何度も繰り返し観ている作品です。
「アメリ」 は、公開当時日本でもとても話題になりました。主人公の女の子、すごくかわいくて印象的でしたよね。ちょっと不思議なキャラクターで……。
- アメリは最初はシャイだけど、あることをきっかけに周りの人を幸せにすることに喜びを見出していきますよね。その感じがすごくいいなって。
考えてみたら、アメリの生き方はLoさんが提案している「Supercarry」そのものですよね。周りの人たちの幸せの為にひたすらエネルギーを注いでいたアメリが、気が付いたら自身の幸せも引き寄せていた。
- 確かにそうですね!
良いアドバイスは人生を変える
音楽活動をする上で、目標にしていたり尊敬している人はいますか?
- NYをベースに活動をしているバンド 「チボ・マット」 の本田ゆかさんです。数年前にNYで知り合ったのですが、音楽制作に関して色々アドバイスをくださったり、私が日本に滞在した時には色々な人を紹介してくれました。
年齢的はだいぶ離れていますが、いい関係性なんですね。
- はい。私にとって “師匠” という感じです。最初のロックダウン中に仕事が全部キャンセルになって、自由な時間ができた半面とても不安でもありました。その時、本田さんが 「今のこの時間を大切にしなさい。将来仕事が忙しくなったら、ゆっくり音楽に向き合ったり学んだりすることが難しくなるから」 と言葉をかけてくれたんです。その言葉を支えに、私なりに音楽に向き合う日々でした。
比較的自由に音楽活動ができるようになってきた今、本田さんの言葉を振り返ってみてどうですか?
- 本田さんの言ったことは正しかったなって思います。実際、昨年デビューをしてからは忙しくて、ゆっくりと自分の音楽に向き合う時間を持つことが難しくなりましたから。あの時間があってよかったと痛感しています。
もうすぐ30歳になるそうですが、20代の自分を振り返ってどうですか?
- 20代は、 「自分がやりたいことは何?」 「自分はどんな人間?」 ということについて色々と模索する日々でした。その中で見つけた 「これだ!」 ということを、30代ではさらに深めていけたらと思っています。コロナ禍もあって少し前までは結構迷っている時期があったけど、ここ1年くらいで自分の活動に対して世界から 「いいね」 という反応をいただけたりして、とても良い感じです。これからも、楽しみながら音楽を頑張っていきたいですね。
10年後、どこで何をしていたいですか?
- パ―トナーと話している夢なんですけど、いつかムーミン一家が暮らしているような家に住みたいです。高い塔のようなかたちをした家で、海沿いに建っていたら最高! 今は、仕事のこともあってコペンハーゲンのような大都市に住むのが便利で都合がいいのですが、10年後は田舎に住めていたらいいなと思います。
日本でもコロナ禍を経て地方へ拠点を移す選択をする人が増えたと言われていますが、世界的にも10年後、仕事と住まいの関係性は大きく変わっているかもしれませんね。
- そうですね。日本の話に戻りますが、二度目の日本滞在の時に長野の信級でお世話になったバーのオーナーが 「ルーさん、日本に引っ越してくるなら、この店をあげるよ」 と言ってくれたのを思い出しました(笑)。もしかしたら、10年後日本で暮らしている可能性もゼロではないかもしれませんね。