写真・文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
写真や動画の共有アプリであるインスタグラムや、 スマートフォンの写真加工アプリには、 写真を鮮明にしたり、 あえて色あせさせたり、 不鮮明に加工する機能がついていたりする。 写真は目の前にあるものを記録する装置だが、 レンズを通して切り取る写真が映し出すものは、 厳密には実際に目で見たものとは違うし、 実際に、 見たまま以下にも、 逆に見たもの以上に美化したりもする。
最近、 行きつけの書店で手にした 『CATLOVERS』 は、 猫とその飼い主と思わしき人たちの家族写真を集めた小さな写真集だ。 そのどれもが現代でいえば、 アプリで加工したような白黒、 もしくは色が退色しているカラー写真。 写された時代もさまざまなようにみえるから、 それはリアルに写真の経年変化なのだろう。
写っているのは、 まるで写真スタジオでセットを組んで撮ったかのような猫とのツーショットもあれば、 猫との何気ない日常を気軽に撮影したスナップショットもある。
そのどれもがいい感じに色あせているのは、 気軽に写真を撮ってプリントすることが当たり前の時代の産物、 あるいは、 写真を撮ること自体が貴重だった時代の特別感がそうさせるのかもしれない。
そのローファイで 「いなたい」 感じが、 今の時代に見ると、 インターネットの中に溢れるオシャレ写真にも見えてくる。
ただ、 それが本当に 「過去」 に撮られたものである保証はどこにもない。
というのもこれは本ではあるが、 猫と 「ファウンドフォト」 をモチーフとしたアートプロジェクトのようにも見えるからだ。
出版元である 「THE FOREVER CAT」 は、 これまで猫が写ったファウンドフォトの作品集を何冊かリリースしてきた日本のインディペンデントな出版社である。
ファウンドフォトとは、 持ち主が手放したり、 撮影者が不明なもので、 それが撮影者とは異なるほかの誰かに見いだされた写真のこと。 家族写真、 風景写真もあれば、 動物、 名所が写されたものもある。
そのどこか謎めいた感じと、 目的や意味から離れた感じから、 現代アーティストによって、 アートの手法として用いられることも多い。
ファウンドフォト作品や、 巷の 「発掘」 された写真をみて気になるのは、 プライベート感たっぷりで、 家族の思い出が詰まった大切な写真やアルバムが、 なぜ手放されることになったのかという、 これらの写真の来歴。
それらを手に入れる方法はさまざまだ。 インターネットのオークションサイトや、 フリーマーケットで束になって、 またはアルバムに収められた状態で売られていることもある。
そんなことを差し引いても、 この本のページをめくると、 なぜか温かい気持ちになる。 それは猫や動物と暮らしている人なら共感してもらえると思うが、 猫と過ごす一瞬一瞬がとても大切な時間で、 そのどれもが幸せと笑顔に満ちているからだ。
この本を手にした人は、 それぞれの思いをめぐらせながら、 あるいは美しくユニークな写真だなあと思いながらページをめくるのだろう。 僕が思うのは、 本の中にいるかつてそこにいた猫と人が、 時間と場所が変われば、 もしかしたら、 自分と自分が愛する猫だったのかもしれない、 ということ。
いつか時代が過ぎて、 今が過去になった時、 自分が写した愛しい猫の写真もファウンドフォトになり、 インターネットの中か、 あるいはフリーマーケットに並べられた箱の中で、 知らない誰かに見いだされ、 別の誰かの思い出に寄り添うことになるかもしれない。
今、 この時に生きている、 という不確かさや、 あやうさに対する癒やしや救いのようなものが、 この本の中にはあるような気がしてならない。
最後に、 筆者が幼い頃のファウンドフォト的猫写真も添えておく。