写真・文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
私が暮らす東京の下町Aタウンには、 時と共に積み重ねられてきた歴史が、 街のそこかしこに残っている。 それは、 老舗の食べ物屋の味、 職人のものづくりの技の中に息づく伝統、 何気ない街並みといった目に見えるものから、 人情、 粋、 街に流れる空気感といった、 人々や街の心根の部分に宿る目に見えないものまで多種多様だ。
猫も下町を形容するもののひとつであると、 私は思っている。
実際、 路地裏や空き地、 塀の上などで猫と出会うことも少なくない。 下町で暮らす人にとって、かように猫は身近な存在だ。
野良猫がたくさんいる街はそこで暮らす人の心がいい街だ、 と言われることがある。 国内いくつもの街を歩いた経験から、 それは少なからず真実だ、 と思う。
なぜなら、 猫と一緒に暮らしてわかるのは、 猫は場所や一緒に暮らす人の気配や気分を敏感に感じ取り、 その時々で自分が心地よいと感じる場所で過ごしているように思えるからだ。
そんな感じのいい場所をつくるものは、 そこで暮らす人の営みと無縁ではない。 だからこそ、 愛する猫のためにも、 ひなたに寝転ぶ猫のふかふかのお腹のように、 あたたかな心を持った真っ当な人間でいたいと思う。
それでも近頃、 この街で猫を目にすることが少なくなった。 それはもしかしたら外で暮らす猫の保護活動が進んでいるからかもしれない。 だから一概に街から猫が少なくなって寂しくなったと嘆くことにはあたらない。
街で暮らす猫たちにどのようにしたら居心地よく過ごしてもらえるのか。 そこで必要になってくるのが地域の人の寛容な心ではないだろうか。
人間はどうしても自分中心にものごとを考えたり、 目の前の出来事の解釈を自らの都合の良いように捻じ曲げがちなところがあるように思う。 自戒も込めて、 些細なことに一喜一憂せず、 クヨクヨしないおおらかな心を持って街と猫、 人と触れ合いたい。
たびたび会いに行っていた野良暮らしの猫の姿を、 かれこれ2年以上見ていない。 夏の暑さや冬の寒さはしのげたか、 不慮の事故には遭っていないか。 無益に気を揉み闇雲にその身を案じるより、 今頃、 猫好きのどこかのお宅で、 心地よく過ごしていると想像する方が幸せな感じがする。
そういった意味では、 私たち人間も猫と同じように、 居心地のよい場所を本能で選び生きていたいと願う生き物だ。
寒いと感じれば暖かいところで、 暑ければ涼しい場所で過ごしたいと思う。 できれば自分のことを必要としてくれている人たちの中や場所で過ごしたいし、 そうできるように日々努力もしている。
茨の道は迂回して歩く。 穏やかな道ではマイペースに歩く。 そんな後ろ姿に心が温かくなり勇気づけられる。 その小さな歩幅が、 行く手に何もなくても歩くことで道が開けることを教えてくれるようだ。
すべての猫たちの幸を祈りつつ、 夏の暑さも冬の寒さもいつも可愛く乗り越え生きている彼らの "猫目線" を忘れずに、 日々を健やかに過ごしていければと思う。