写真・文:久家靖秀 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
中村政人 Masato Nakamura
「アート×コミュニティ×産業」の新たな繋がりを生み出すアートプロジェクトを進める社会派アーティスト。東京藝術大学絵画科教授。2001年、第49回ヴェネツィア・ビエンナーレ、日本館に出品。マクドナルド社のCIを使ったインスタレーション作品が世界的注目を集める。1997年から「アーティストイニシアティブコマンドN」を主宰。2010年にアートセンター「アーツ千代田3331」を立ち上げ、地域コミュニティの新しい場をつくり出すアートプロジェクトを展開。東京の文化芸術資源を開拓する「東京ビエンナーレ」の継続開催に挑戦し、神田小川町の「優美堂再生プロジェクト」をライフワーク的に展開中。近著に『アートプロジェクト文化資本論』(晶文社)がある。
ニクイホドヤサシイ
“作品とは、特別な人がつくった特別に付加価値のあるモノである”。
「美術」というものは、こういった先入観を持たれがちです。
創造のアウトプットは「ものづくり」だけではありません。
たとえば、表現意欲が喚起される“場”を創造することも美術だと思いますし、
創造の過程を経験して他人と共有する、その出来事そのものが「アートプロジェクト」になりうると思うのです。
“創造”というものをより身近に、広く捉えて欲しい。
経験を共有した人同士が繋がって新たな創造が生まれる瞬間を創り出したいという思いを胸に様々なアートプロジェクトに関わっていまして、
ここ「コミュニティーアートスペース優美堂」も、その一つです。
この場所は、もともと職住一体の額縁屋さんでした。
オーナーは三沢フミ子さんという気風の良い方で戦後の街の人々を勇気づけるかのように富士山絵の看板を掲げ、
防空壕の上に建つ築84年の建物は大戦や震災、戦後の高度成長期の地上げブームをも乗り越えてきました。
2020年からはじまった「優美堂再生プロジェクト」に関わってくれたボランティアスタッフ(通称:ユウビスト)達は再生のプロセスに自分事として寄り添い、
4000点を超える額の搬出や整理、保存など実作業を体験してきました。
決して楽とはいえない現場に触れることでそれぞれの心が開き、
開き合った者同士のコミュニティがつくられました。
現在は街に開かれたカフェとして、そして額縁を販売する店として運営をしています。
最近、あるユウビストが自分の地元で新たなコモンズを創造しはじめたという嬉しいニュースがありました。
もしここが現代的な無機質なオフィスの一室だったら、そうはいかなかったと思うのです。
「歴史という地層の上に建っている」という実感がここに集う人々の心を開き、新たな創造が発露するような場所になりつつあるのかもしれません。
店の地下に今も残る防空壕の通風口である鉄板には、「笑、多、寿」の文字が切り抜かれています。
この直径わずか10センチ程度の通風口に、戦後、再開発の波が押し寄せたこのエリアで様々な思いを胸に84年もの間孤軍奮闘してきたであろう、優美堂の強さと優しさが表されている気がしませんか。
ニクイホドヤサシイ、いや“ミニクイホドヤサシイ”。
ニクイホドヤサシイというのは、お店のかつての電話番号(291-8341)にちなんだキャッチフレーズなのですが、うまく出来すぎですよね(笑)。
そして私は優美堂の額に対して何ができるのか?
美術の先生が、絵(額)の事に悩んでいます。
2022年東京都千代田区
久家靖秀 Yasuhide Kuge
写真家。主な作品に、写真集『アトリエ』(FOIL)、『Mnemosyne』(HeHe)、『ニッポンの老舗デザイン』(マガジンハウス)、『デザインの原形』(日本デザインコミッティー)など。美術、工芸、デザイン、舞台芸術まで創造の現場を撮影し続けている。
https://kugeyasuhide.com/