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こどもとわたし

02. 1年生の自由帳

写真・文/落合真林子 (OIL MAGAZINE/CLASKA)

Profile
落合真林子 Mariko Ochiai
大学卒業後、 出版社勤務を経て現在CLASKAの企画編集、 web magazine 「OIL MAGAZINE」 編集長。 東京で夫、 小学生の娘、 猫2匹と暮らしている。 趣味は読書とドラマ鑑賞。


ヨコちゃんとライオン
入学式の3日前。 入学式に着る服を着て、家族写真を撮った日。

先日 「伊東屋」 に行った時、 おそらく新1年生の母親だと思われる女性を文具売り場で数名見かけて、 懐かしい気持ちになった。

もう2年前のことになるが、 今思い返してみると 「小学校入学」 というのは、 つくづく一大イベントだったなと思う。
ランドセルを買ったり文房具や体操服をそろえたり新生活に向けての入学準備はとても楽しい時間だったが、 一方で私は一抹の不安を抱えていた。

自宅から離れた保育園に通っていたこともあり、 入学する小学校は同じマンションの同級生以外は知り合いがいない “完全アウェイ” 同然。 それが私にとって一番の心配の種だった。
そういう背景もあり、 入学後はしばらく 「学校は楽しい?」 「友達できた?」 「何か楽しいことあった?」 などと、 娘を必要以上に質問攻めにしてしまった記憶がある。
のんびり構えて見守るべきだったと思うのだが、 それがなかなか難しい。 我が子が順調な学校生活のスタートを切れているのか、 とにかく気になって仕方なかったのだ。


子どもの絵

そんな私を一発で黙らせたのが、 娘が自由帳に描いた絵だった。

入学して 2~3週間くらい経った頃だったと思う。
いつもの調子で 「休み時間って何して遊んでるの?」 と質問をする私に、 娘は 「見てー」 と言いながら自信満々に自由帳を見せてくれた。

そこには沢山のカラフルな絵が。
大好きなポケモンや校庭にあるという遊具、 その隣に特に印象に残る絵があったので 「これは何?」 と聞くと、 「虹のプールだよ」。

虹のプール!

その絵を見た時、 これまで質問攻めにしてごめんと深く反省したし、 これだけポジティブで明るい絵を描けているのであれば大丈夫じゃないかと、 一気に目の前が明るくなった気がした。

それからというもの、 時々自由帳を見せてもらうのが帰宅後の楽しみの一つに。
最初は絵だけだったのがだんだんとセリフや文字が入るようになり、 たまに友だちと思われる子の名前も登場したりして、 会話をするのとはまた一味違う “学校生活の近況報告” として自由帳を楽しませてもらうようになった。

子どもの絵


だがある時、 はたと気づく。
娘はおそらく、 私に見せることを前提に描いていない。 これは極めてプライベートなもので、 自由帳というのはいわば鍵のついていない日記帳のようなものなんじゃないか……? 

案の定、 夏休みが終わり2学期に入った頃から時々はっきりと 「見ちゃだめ」 と言われるようになった。
そう言われたらより見たくなるのが人間の性というものなので、 時々娘が寝たあとにこっそり見たりしていたのだが、 ある日衝撃的な1ページを見てしまい、 私は度肝を抜かれることになる。

夏休み中 「アリの巣観察キット」 を買ってアリの生態を観察しようとしたのだが、 色々と手違いがあって捕まえてきたアリが全滅してしまい、 娘はひどく落ち込んだ。
そのページはどうやらそのアリたちへ向けたもののようで、 アリと自分を描いた絵に、こんな言葉が添えてあった。

——
「さようなら。 かなしい。
あ! そうだった、 さようならじゃないんだ!
あらためて、 はじめまして!」
——

子どもの絵


「えーっ!」 という感じだった。

なんだか妙に哲学的というか、 死生観なんていうと大げさな話になってしまうけれど、 娘は命とか死というものに対してこういう風に向き合っているのか……と驚愕した。

もし自由帳が無かったら、 私は娘のこういう一面を知ることができたのだろうか。

子どもの絵

はじめての学校生活。

誰もが最初から友達を沢山つくってのびのび過ごせるということは決してなく、 1学期、 或いは2学期の中盤くらいまではきっと手探りで、 ひとりで休み時間を過ごすことも決して珍しくはないのだと思う。
そして自由帳は、 当時の娘にとって “心の拠りどころ” の様な存在だったのかもしれないなぁと想像する。 私にとっても同様に。

自由帳の中の絵や言葉は 「上手に描かなきゃ」 といった他意とは無縁の自由さに溢れていて、 ある意味 「娘そのもの」 だったのかもしれないと、 今になって感じるのだ。

2年生も間もなく終わりを迎えようとしている今、 入学当初にいらぬ心配をしていたことが嘘のように、 娘は休み時間を友達と忙しく過ごしているようだ。
そして気がつけば、 私も私で自由帳の存在をすっかり忘れかけていた。

先日久しぶりに娘に 「最近自由帳描いてる?」 と聞いてみたら、 「描いてないし、 そもそも持っていってない」 という返事が。

やはり 「1年生」 というのは、 子にとっても親にとっても色々な意味で特別な時間だったのだ。

一年生

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2023/02/20

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