写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 12.(“Retro cafe” in shinjuku)
新宿はかつて働いていたこともあり思い出深い街です。大好きで居心地がいいので、週に2~3回は来ていますね。
きっかけは、大学生の時にバイトをしていた近所のコンビニが潰れたことでした。店長が新宿歌舞伎町の風林会館近くの店舗に移動することになり、そこのオープニングスタッフに誘われたんです。
両親からは“歌舞伎町は日本で一番危険な場所だから”と反対をされました。だけど私はコンビニの仕事がすごく好きだったこともあって、新宿でも早稲田の方だからと嘘をついて働きはじめました。
仕事と街の関係って面白いもので、働きはじめるとその場所の違った顔が見えてきて新宿がものすごく好きになったんです。大学を出てすぐの頃でした。
コンビニでは、朝6時から昼の2時までのシフトで週6回働いていました。明るい時間だから安全だと思っていたのですが、まったくの勘違いで。早朝の歌舞伎町ではみなさんお酒を飲んで酔っ払っていて、コンビニに来る人もベロベロになっている方が多かったです。
来店されるのはホストさんかそのお客さんが多くて、物騒な事件もあった頃だったから、血だらけになったホストさんが来たこともありました。コンドームがバカ売れしたり、クリスマス時期に店長がギャグで仕入れたお菓子が詰まった大きなブーツが完売したり、他の店舗とは売れるものも少し違っていました。
誰かが吐いて寝ちゃうからトイレはいつも行列で、サイレンのような防犯アラームが店内で頻繁に鳴り響いているようなお店でした。
そんな感じですから、一緒に働いていたスタッフは「歌舞伎町なんてヤダ」という感じだったのですが、私はそうは思っていませんでした。お客さんに抱きつかれたり吐瀉物の始末をしているような毎日でしたが、そんなふうに裏表のない人の姿をこれまで見たことがなかったので、愛着があってそんな生活をずっと続けていました。
小説家としてデビューしたのも歌舞伎町のコンビニで働いている時でした。
そのあとファミレスのオープニングスタッフのバイトをしたのですが、性別を忘れて働くことができるコンビニとは違ってそのお店では極端に女性的な振る舞いを求められました。それが嫌で、またコンビニに戻りました。
歌舞伎町は懐が深い街だと思います。ドレスアップをしていてもパジャマを着て歩いていても、誰も振り向かないし気にしない。
どんなに変わった服装をしていても違和感がない街です。きっと私が生まれ育った千葉ニュー(千葉のニュータウン)だったら、少し変わったファッションをしていただけでも「村田さんちの沙耶香ちゃん、大丈夫?」と言われちゃうと思います。新宿みたいに何をしていても構わないというようなカオス感を持った街って、他にはあまりないんじゃないでしょうか。
この街に慣れた頃、コンビニ近くのラブホ街を散歩するのも好きでした。
デビュー後すぐに発表した、ぬいぐるみと恋をする女の子についての短編小説は新宿を舞台に書いたのですが、その時は「写ルンです」を片手にラブホ街をぶらぶらしながら写真を撮りまくっていました。
小説の中に具体的な地名は出していませんが、リアルな場所をテーマに物語を書いたのはその時がはじめてで。
そういうこともあって、余計にこの街への思い入れが深いのかもしれません。
夜から朝にかけての風景とは一転して、昼の新宿はとても穏やかです。早朝はあんなに荒れていたのに、昼間にはスーツを着たサラリーマンが珈琲を飲んでいるそのギャップも好きでした。当時からバイト上がりにふらふらと街を散歩したり喫茶店に入って珈琲を飲みながら小説を書いて過ごしていました。
千葉のニュータウンに住んでいた頃は、柏と松戸が私にとっての“都会”でした。でも全部が清潔でカオスがまったくない街で、歴史のある建物がひとつもないような……。真っ白い工場みたいな場所で子どもたちが育てられているように感じて、窮屈でした。
だから、おばあちゃんがやっているような古い駄菓子屋にものすごく憧れていたんです。新宿には歴史のあるビルや、ボロボロで壊れそうな建物といった自分が子どもの頃にはなかった“謎なもの”がものすごくたくさん残っている。そういう一面にも惹かれているのかもしれません。
子どもの頃、本好きの父が「東京の神保町に行けばデパートのような本屋がある」と教えてくれてとてもわくわくしました。中学生から高校生くらいの頃、オープンカフェが流行っていた時にはステキなお店の写真を部屋の壁に貼っていたくらい東京に憧れていましたね。
当時、近所の本屋に毎号一冊だけ入荷していた雑誌『PeeWee』を愛読していて、東京はまさに雑誌の中の世界でした。
その後、中学の時に父の転勤で東京に引っ越したのですが最初に住んだのが近くに小さなスーパーしかないような場所で、千葉よりも不便じゃないかと驚いたのを覚えています(笑)。
新宿は“眠らない街”と言われますよね。地元ではファミレスも夜の10時頃には閉まっていたので、深夜2時まで美味しい珈琲が飲める喫茶店がやっているなんてカルチャーショックでした。筆がのれば深夜まで書き続けられるのも、自分にとっては都合がいいと思っています。
今年のはじめまではふらっと新宿に行ってレトロな雰囲気の喫茶店を何店舗かまわりながら小説を書く日々でしたが、最近は自粛期間が続いて喫茶店にもあまり行けず、雑音を聴きながら書く場所が恋しいです……。
新宿は、24時間誰かの呼吸が聞こえる気がします。
自分もこの街の雑音になれる感じがして、すごく落ち着くというか安心しますね。深夜の3時でも4時でも“誰かが生きている”と思えるし、コンビニでバイトをしていた当時と変わらず、今も朝の6時の歌舞伎町に行けば酔っ払いの人がいるんだろうなぁと思える。
きっと他の場所に住んだら情緒不安定になる気がして(笑)。これからも、ずっと東京に住み続けたいと思っています。
村田沙耶香 Sayaka Murata
作家。1979年千葉県生まれ。2003年『授乳』で群像新人文学賞(小説部門・優秀作)受賞。’09年『ギンイロノウタ』で野間文芸新人賞、’13年『しろいろの街の、その骨の体温の』で三島賞、’16年『コンビニ人間』で芥川賞受賞。著書に『マウス』『星が吸う水』『ハコブネ』『タダイマトビラ』『殺人出産』『消滅世界』などがある。
東京と私