写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 16.(Children of Asakusabashi)
僕の生まれは広島ですが、母は東京の原宿で生まれました。叔母が台東区の浅草橋に住んでいて、子どもの頃は母の里帰りについて東京へ行くのが楽しみでした。
その当時は広島から東京まで夜行列車で12時間。それこそ小津安二郎の映画『東京物語』の世界ですね。
目が覚めると車窓の向こうに熱海の海が広がっていて、やがて赤煉瓦の駅舎が見えると東京。そこから浅草橋に向かう時、ものすごくワクワクしていたことを憶えています。
叔母の家は、僕と同世代の子どもが4人いる6人家族でした。叔父は証券取引会社で働いていましたが、家に帰ると祭り好きのちゃきちゃきの“江戸っコ”でしたね。
居間のちゃぶ台の前に座りながら玄関のドアを開けるとすぐに道路、というような風呂もない狭い家でした。
よしずがかかった玄関は夏になると開けっ放しで、近所の人が「こんにちは」と言いながら入ってきて、鳥越神社のお祭りの日にはよその家の子どもたちがまるで自分の家のように上がってきたり……。
子どもたちは、アスファルトの上に蝋石で絵を描いて遊んでいました。
外のコミュニティと家とが風通しよく繋がっているような感覚で、僕が暮らしていた広島とは全然違っていてものすごく新鮮でした。
そうそう、小津作品の撮影監督として有名な厚田雄春さんがその家の近所に住んでいました。
あとから聞いた話ですが厚田さんの奥さんは叔母と親しかったそうで「のんちゃん、映画をやるなら厚田さんに会ったほうがいいわよ」と言われていました。結局会えずじまいでしたけどね。
高校まで過ごした広島時代ですか? ……普通でした。僕が住んでいたのは、今は合併して広島市になりましたが当時は「五日市町」と呼ばれていたところ。経済成長時代に海を埋め立てて次から次へと家が建ち、通っていた小学校も新築の鉄筋コンクリート造で、すべてのものが日々新しくなっていく街でした。
東京の下町のようなあけすけな人間関係は希薄で、郊外ならではの少し気取った距離感がありました。
中高と部活ではバスケットをやっていました。週末は市内に出て映画を観るのが楽しみでしたね。『ヒロシマ・モナムール(二十四時間の情事)』という広島を舞台にした日仏合作映画があって、その中に学生時代によく行った映画館があった流川あたりから商店街を通って平和記念公園にいくシーンがあるのですが、東京に出てきてからそれを観た時はすごく懐かしかったですね。
映画監督になっていつからか、故郷の広島を主題にした映画を撮るようになりました。でも、“できれば触れないよう”にしようとは思っていました。というのも、「故郷だから撮れる」というのは実は疑わしいことなんです。
高校生の時に8ミリカメラを持って8月6日の平和記念式典に行ったことがありました。でもその時すでに「なにも撮れない」ということに気が付きました。
ではなぜ今になって広島を撮っているのか? 昨年公開された映画『風の電話』でも広島を撮りましたが、自分の出身地だから広島を撮ったのかといえば、そうでもありません。
広島も一時期暮らしていたフランスのパリも、そして今暮らしている東京も、自分にとっては同じというか、“どこが特別”というわけではない。
「自分の故郷」というものがわからない、自分にとって広島とはどういう意味があるのか……。そんな疑わしさを持ちつつ、でもどこかで引っかかっているから、それを撮ることで自分に対して問うているんでしょうね。
僕は「東京」に2回出合っているような気がしています。
一回目はご近所と緊密な繋がりがある叔母さんが住んでいた浅草橋で。二回目が高校を卒業して上京してきた時に触れた、ある種の自由を体現した都会としての東京です。
今の東京は、昔ながらの下町らしいコミュニティは壊れつつあります。映画『寅さん』のような義理人情の世界は、もはやフィクションになりつつあるのでしょう。
でも今となっては広島より長く暮らしている東京にも、自分の精神的なルーツがあると思えるようになりました。
諏訪敦彦 Nobuhiro Suwa
1960年生まれ、広島県出身。東京造形大学テサイン学科在籍中から映画制作を行い、1985年、監督した長編8ミリ映画『はなされるGANG』が、第8回ぴあフィルムフェスティバルに入選。1997年、映画『2/デュオ』で長編映画監督デビューを果たす。1999年、『M/OTHER』で第52回カンヌ国際映画祭国際批評家連盟賞、第14回高崎映画祭最優秀作品賞、第54回毎日映画コンクール脚本賞を受賞。アラン・レネ監督の『二十四時間の情事』をリメイクした『H Story』、パリを舞台に日仏スタッフで制作した『不完全なふたり』、演技経験のない9歳の女の子を主人公にした『ユキとニナ』など、どれも「シナリオなし」で作られた実験的な制作方法が取り入れられている。2019年、フランスの伝説的俳優ジャン=ピエール・レオーを主演に迎えた『ライオンは今夜死ぬ』を発表。東京藝術大学大学院映像研究科教授。
東京と私