写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 37. (Flight Information at Haneda Airport)
生まれ育ったのは映画館も本屋もない沖縄の小さな離島です。
東京との最初の接点は、 小学生の頃の家族旅行でした。 その時東京で何をしたのかほとんど覚えていないのですが、 好きだったポップソングのミュージックビデオで観ていた景色が目の前に広がっていた、 という記憶はあります。
2度目に東京に来たのは高校3年の時で、 はじめてのひとり旅でもありました。
アメリカの保険会社が主催する短期交換留学制度の顔合わせで、 都内に数日間滞在したんです。
その時の宿泊先は確か代々木公園の近くで、 1964年に開催された東京オリンピックに由来する建物だったという記憶があります。
今でもよく覚えているのが、 当時 「ラフォーレ原宿」 の地下にあった 「HMV」 で 「Weezer」 の元メンバーが結成した 「The Rentals」 のCDを買ったことと、 東京って意外と緑が多いんだな、 と感じたこと。
当時の那覇空港は今のように綺麗になる前で、 背の低いターミナルビルがある古めかしさの残る空港でした。
飛行機が羽田空港に降り立った時、 窓の外には霧がかかっていて、 その向こうに銀色の管制塔が見えて…… 「未来だ」 と思いました。
まるでSF小説の世界、 あるいは違う惑星に降り立ったかのような不思議な感覚だったんですよね。
もしかしたら、 自分自身でだいぶ脚色した記憶かもしれないのですが。
空港という場所が大好きで、 羽田空港を利用する時はいつも搭乗時間よりもかなり早めに来て空港内を散策しています。
朝早い便に乗る時には、 前日の夜に第1ターミナル内にあるホテル 「ファーストキャビン 羽田ターミナル 1」 に泊まることがあるのですが、 実は今日も羽田に来られるのが楽しみすぎて前入りしようかなと思ったくらいで (笑)。
泊まった翌朝はフライトまでの束の間、 空港の朝の雰囲気に酔いしれるのも楽しみのひとつです。
ホテルをチェックアウトした後、 エスカレーターで地下に降りて 「うちのたまご直売所」 という店でたまごかけご飯を食べて、 お店を出たらエスカレーターに乗って2階の出発ロビーに向かうというのが最近の搭乗前のルーティン。
復路で羽田に到着した後も、 少しでも長く空港内にいたいから都心への帰りのバスを遅らせることが多いです。
人もまばらな空港内の地下にあるコンビニでビールを買って、 休憩スペースや1階到着ロビーのベンチで飲む時間が最高なんですよね。
今回、 羽田空港や東京について改めて考えてみて、 気づいたことがあります。
今までつくってきた自分の作品のモチーフに海や船はたくさん出てくるけど、 空港や飛行機はほとんど使っていないということがひとつ。
もうひとつは、 自分は “どこかとどこかを繋ぐ場所” というものに対して、 憧れや強い思いがあるんだということです。
もしかしたらそれは、 自分が離島の生まれで、 船や飛行機を使わなければ外に出られなかったことと関係しているのかもしれません。
羽田空港は故郷の沖縄と自分を繋ぐ場所であり、 外国へ行って帰ってくる時の出入口であり、 自分と外の世界との間にある境界であり……。
だから、 この場所が好きなのかもしれないなと。
昨年東京で開催した個展 「American Boyfriend: Portraits and Banners」 の時は、 コロナ禍でなかなか沖縄に帰れなかったので作品自体を東京で制作したのですが、 沖縄への郷愁が溢れた作品になりました。
普段から個展のDMは作品に関連した土地から投函してその土地の消印を捺してもらうようにしているのですが、 この個展の時は羽田空港の消印を。
ギャラリーの人にも協力してもらいつつ葉書を持って空港まで行って、 いつも利用している第1ターミナルの中にある郵便局の窓口から投函しました。
これまでも沖縄をテーマした作品が比較的多かったのですが、 最近取り組みはじめた新しい小説は、 はじめて全編通して沖縄が舞台になった物語です。
これまでは主に映像や写真作品として沖縄をあつかってきたので、 「撮れている」 ことで安心していました。
でも今回、 沖縄のさまざまなもの・ことを言葉や文章にしようとした時に、 当然知っていると思い込んでいた花や鳥の名前がわからなかったりして、 自分が知らない沖縄がまだたくさんあるんだということを実感する日々です。
東京暮らしの方が長くなったので沖縄に対して距離を感じることもありますが、 作品制作を通じて繋がっている感覚は常にありますね。
いつか沖縄に戻るか、 ですか?
どうなんでしょうね。
沖縄から離れたくて離れた身ですから、 数年前までは考えもしませんでしたが……。 最近は 「いつか帰るかもしれない場所」 だと思うようになりました。
歳を重ねたことで、 自分と沖縄の関係性が変わりつつあるのかもしれませんね。
ミヤギフトシ Futoshi Miyagi
1981年、 沖縄県生まれ。 2005年、 ニューヨーク市立大学卒業。 現代美術作家としての主な個展に 「American Boyfriend: Portraits and Banners」 (void+、 Yutaka Kikutake Gallery、 東京、 2022年)、 「How Many Nights」 (ギャラリー小柳、 東京、 2017年) など。 2012年にスタートしたプロジェクト 「American Boyfriend」 では、 沖縄で沖縄人男性とアメリカ人男性が恋に落ちることの関係可能性等をテーマに、 作品制作やトークイベントの開催などを行なっている。
HP:https://fmiyagi.com/
東京と私