写真:ホンマタカシ 文:加藤孝司 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Sounds of Tokyo 38. (ISETAN SHINJYUKU)
三人姉妹の真ん中です。 母の実家がある島根で生まれましたが、 すぐに父と姉が待つ千葉に戻って、 そこで幼年時代を過ごしました。
自分ごととして、 はじめて東京を意識したのは15歳の時。
『mc Sister』 というティーン誌のモデルオーディションに参加するため、 はじめて新橋を訪れました。
オーディションに参加する他の女の子たちを見て、 東京にはアイドルみたいに可愛い子がこんなにたくさんいるんだ! と驚いて、 終わった後に母と新橋駅近くのドトールコーヒーでオレンジジュースを飲みながら 「結果は残念かもしれないけど、 いい思い出になったね」 と話して地下鉄で家に帰った記憶があります。
結果、 そのオーディションに合格してモデルの仕事をさせていただくことになり、 高校1年生の時にはじめてひとりで渋谷に行きました。
仕事で着せてもらっていたような可愛い服が自分でも欲しくなり、 1万円を握りしめて出かけたのですが、 1万円では欲しい服は一着も買えなくて……。
店を出た後に人波にもまれながらスクランブル交差点を歩いていたらあまりの人の多さに圧倒されて、 宇宙の中にひとりだけ取り残されたような気持ちになり自然と涙がこぼれ落ちてきました。
私と東京との関わりは、そんな感じではじまったように思います。
高校を卒業して美術の予備校に通いはじめるタイミングで、 新宿で姉と二人暮らしをはじめました。
予備校がある池袋へは電車で、 天気の良い日には自転車で通っていました。
アパートがあったのは明治通りを挟んで向かいに 「花園神社」 があるあたりで、 付近には夜のお店が並んでいる、 どちらかというと殺伐として猥雑なエリア。
遅刻しそうな時には花園神社の脇を通ってゴールデン街を突っ切り、 歌舞伎町を抜けて駅まで行くのが近道でした。
学校では絵の具まみれのツナギを着た友人たちとパンの耳をかじりながらワイワイやりつつ、 モデルの仕事を通じてちょっと華やかな大人の世界も体験する、 そんな日々でした。
自分で言うのもなんですが、 子どもの頃から純粋すぎるところがあって、 なぜこの世から戦争や争い事が無くならないのかを真剣に考えていました。
でも、 ピュアな思いだけではこの世界では戦えないのだということを、 新宿で暮らした10代の後半に身をもって思い知らされた気がします。 ある種の “ノイズ” も人生の醍醐味のひとつなのだという感覚を自分の中にインストールしてくれたのが、 この街での日々でした。
新宿は、 歌舞伎町やゴールデン街に代表されるような雑多な場所と 「伊勢丹 新宿店」 のようなキラキラした場所が混在している街です。
ノイジーな新宿に疲れたら、 伊勢丹にフラッと足を踏み入れるだけで心のバランスを取り戻すことができました。
当時はお金もあまりなくて迷ったり不安だった時もあったけれど、 “伊勢丹が持つ気高さも、 この街で暮らす私自身の一部なんだ” と思うことで気持ちが前向きになるというか、 今から考えると大きな心の支えになっていたんですね。
私の中で伊勢丹は、 人間としての誇りを担保してくれる 「パワースポット」 のような存在でした。
当時、 新宿でアルバイトもしました。 今も健在の 「タイムス」 という喫茶店です。
タイガーマスクの恰好をした新聞配達員さんが新聞片手に珈琲を飲んでいたり、 「新宿アルタ」 も近かったので芸人さんたちもよく来ていた記憶があります。
喫茶店で一緒に働いている年上の先輩たちはそれぞれに物語を持っている個性的な方ばかりで、 普通では出会えない人たちにたくさん出会うことが出来ました。
今でもたまに懐かしくてお店に行くのですが、 私が働いていた時から時間が止まっているというか……本当に当時のままで。
ディープすぎるのか、 昭和レトロな喫茶店ブームにも関わらずインスタ映えを狙って来るようなお客さんは見かけないですね(笑)。
結局美大への道からはドロップアウトしましたが、 高校を卒業して留学するまでの2年間新宿に暮らして思ったのは、 この街には互いが交わることのない “二つの世界線” が存在しているということです。
猥雑で雑多な場所とキラキラした場所、 両極ともいえる二つの世界を行き来しながらバランスを取るという感覚は、 すっかり大人になった今でも持ち続けています。
華やかでおしゃれな展示会に行った帰りに、 ふと立ち食いそば屋さんに入りたくなってみたり。
どちらが自分らしいかですか? 両方とも私、 だと思います。 たぶん、 どちらかに偏るのが嫌なのかな。
完璧なものや ‟究極の美” みたいなものに対して、 リスペクトする気持ちもありつつ苦手なところもあって、 どこかで崩したくなる感覚があります。
新宿は、 人生に大切な “重し” をくれた街。
一見すると愛にはみえないような 「愛」 がそこかしこに転がっていることもそうですが、 酸いも甘いも両方教えてくれた懐の大きな父親みたいな存在で、 私の人生観や美学の原点ともいえる場所です。
住んでいた当時とは街の様子が少し変わった気もしますが、 いまだに新宿へ行くとあちこちをひとりでスイスイと歩きます。
もうあれから何年も経つのに、 どこか 「私の街」 という風に思っているようで……。
山葉子 Yoko Yama
10代よりファッション誌の専属モデルとして活躍。 現在は俳優など、 多岐にわたって活動。 オンラインサロン 「ヨーコさんの部屋」 では日々を幸せに生きるコツや長年嗜んで来たタロットから読み解いたメッセージを配信。
Instagram:
@yoko_yama1202
東京と私