文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
はじめて「建築」に興味を持ったのは高校生の頃。きっかけは修学旅行で京都を訪れたときにやってきた。桂離宮を見て思わず涙が出た、といった美談ではもちろんない。当時何より僕の関心を惹いていたのは服である。1980年代後半、DCブランドブーム(といっても若い人は知らないでしょうね)全盛だった時代。僕は京都に行ったというのに神社仏閣よりブランドの店を見つけて興奮しているような、浅薄な若者だったのである。
お寺や旧跡を見るのにも飽きて、賑やかな河原町を同級生と歩いていると、気になる洋服ブランドのロゴが目に入った。「行こう、行こう」と友達と店に向かって歩いていた時だった。店が入っていたテナントビル自体が、なんだか妙にカッコいいなと感じたのである。
コンクリート打ち放しのシンプルで静かな外観、エッシャーの絵に出てくるような絵画的な細い階段、高瀬川沿いすれすれに建つ川と一体化したような不思議な建築。いかにも最先端のデザイナーズブランドにふさわしい箱、という感じのその建物は、建築家・安藤忠雄が設計した「TIME’S」というビルだった。
以来「建築」というものを意識するようになり、色々と見て歩くようになった。社会人になっても彫刻作品を見るように建築を見て楽しんでいたのだが、次第に以前ほど夢中になれなくなってしまったのは、結局どんなに憧れても建築は自分のものにはならないことに虚しさを感じてしまったからだと思う。つくづく所有欲の強い人間なのかもしれない。
ある時、ふと立ち寄った古書店で古いイギリス製の鳥かごを見つけた。あるスタイリストさんの放出品だという。木製の四角い箱の正面だけがケージになっている壁かけタイプで、外側は黒、内側は煤けたようなクリーム色をしていた。いかにも“MADE IN ENGLAND”という色使いに感心しつつ、その姿がイギリスの古いテラスハウスのミニチュアのように僕には思えたのだった。
そんなわけで鳥かごを建築のオブジェと見立て、飾って楽しむようになった。上の写真は既製の鳥かごではなく、友人でもある美術家・澄敬一さんの「cage」。古いテニスラケット、アルミ板、枝などを使って構成されている作品だ。懐かしいウッドフレームのラケットが描く楕円のラインとそれを包むようにアルミ板が囲むフォルム。木とアルミとナイロンガットの素材と色のバランス。ユーモア、技術、デザインセンスの幸運な邂逅が生みだす詩情。しかもそれが鳥かごとして表現されているとは。もうイチコロである。
最近、またあるアンティーク店で素晴らしい鳥かごと出会った。パリにあるグランパレのガラスドームさながらのかたちをした優雅でノスタルジックなフランスの古い鳥かごだった。枯れた緑色をした木製のフレームも、まるで銅が酸化して生じた緑青のようでいかにも古い建物といった雰囲気である。「ああ、欲しい!」と思ったけれど、それこそ鳥かごのような僕の部屋には、もはやこれ以上飾れるスペースがない。涙をのんで店を後にした。