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21のバガテル モノを巡るちょっとしたお話

21のバガテル Ⅱ
第21番:Shelf-portrait 2
「ガラスキャビネットに映る自画像」

文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。 慶應義塾大学卒業後、 イデー、 全日空機内誌 『翼の王国』 の編集者勤務を経て、 2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。 同時に 「CLASKA Gallery & Shop "DO" 」をプロデュース。 ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。


大熊健郎
古い日本のガラスキャビネットの中には個人の思い入れと思い出が詰まった 「私にとっての」 一軍選手たちが並んでいる。 この連載に登場したものもちらほら。 皆に苦笑されること承知で言うと、 本人的にはこれでも気分はオフビートな 「cabinet of curiosities」 のつもり。

 日曜日、 家で昼ご飯を食べながらふと時計に目をやると13時を回っている。 「しまったー!」 とひとり大声を出しながら慌てふためいてテレビのリモコンを探しまわる私。 家族の半ば呆れたような視線を感じながらも、 構うことなく夢中でテレビにかじりつく。 日曜午後のお楽しみ、 といえば同志たちならもうおわかりだろう。 テレ東きってのご長寿番組 「開運、なんでも鑑定団」 の再放送がはじまる時間である。

 そんなわけで、 大きな声ではあまり言いたくはないが私はあの番組が大好きである。 大枚はたいて手に入れた自慢の逸品、 のはずが真っ赤なニセモノと知らされ顔面蒼白になる者、 なんの興味もなかった祖父の残したガラクタがとんでもない逸品だったとわかって狂喜乱舞する者。 鑑賞などという品のいいレベルをはるかに超えて収集に明け暮れる様々な愛好家たちの姿。 「鑑定団」 がこれほど長く支持され続けてきたのは単にモノの価値がどうのこうのという世界を越え、 人間というどうしようもなく愚かで、 欲が深くて、 物好きで、 愛すべき存在を浮かび上がらせるドキュメントとしての面白さがあるからだろう。

 全国放送のテレビ番組なのに 「内緒だけどこれまで〇千万はつぎ込んできた」 と思わず小声でレポーターに耳打ちしてしまう骨董好きのお父さん。 陶磁器や掛け軸から何やら得体の知れない怪しい置物まで、 倉庫いっぱいに詰め込み、 ため込んでいる。 だけど一瞬でわかるくらいニセモノ臭が漂っていて、 もはや鑑定の結果を待つまでもない。 でも私は思うのである。 アホじゃないかとお父さんを笑うのは簡単だけど、 むしろこういった人たちを本気で羨ましくさえ感じるのである。 なぜなら他人が何と言おうが人生を、 情熱を傾けずにはいられない世界を持てたことは幸せなことに違いないと思うからである。

 「鑑定団」 に出せるようなものは何ひとつ無いけれど、 この古いガラスキャビネットには私の愛すべき、 そして思い出深い品々が詰め込まれている。 私はその一つひとつをわが子のようにかわいいなあとか、よくきたなあと何度でも愛でて、 味わうことができるのだが、 世の中的にはほとんど市場価値の無いものばかり、 つまりガラクタの集まりである。 いくら自分はこっちの方がはるかにいいと思っていても、 それらが 「私情」 価値に過ぎないならば、 先のお父さんのコレクションと何ら変わりはないのである。

 ただお父さんと私が決定的に違うところがある。 鑑賞したり、 美しく並べるでもなく倉庫に詰め込まれたお父さんのコレクションには、 抑えられない欲望、 ひたすら集めることへのただならぬ情熱があり、 それはモノの価値を越えた何か、 本物のマニアにのみ宿るある種の狂気がある。 憑かれた者のみが得られる幸福な時間の堆積がある。 その点、 バランスや調和を考えてしまったり、 いいかげん断捨離すべきかと悩んだりする小市民的でちんまりした趣味の世界から逸脱できない私にはその情熱や狂気が悲しいかな圧倒的に欠落している。 そしてそのちんまりしたコレクションが私自身の姿そのものかと思うと実に複雑な気持ちになるのである。

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2023/07/27

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