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21のバガテル モノを巡るちょっとしたお話

第17番:Les Miserables(レ・ミゼラブル)
「パイル手芸社のぬいぐるみ」

文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。


 昔、とある雑貨屋さんで古い小さなゾウのぬいぐるみを見つけた。日に焼けて色褪せ、少し物悲しい雰囲気を漂わせていたが、よく見るとなかなか良く出来ている。店の人に聞くと昔上野動物園で売られていたものだという。確かに外国製のものとは違う、日本的な情緒が漂っている。子どもの頃に読んだ絵本『かわいそうなぞう』のことを思い出したりして家に連れて帰ることにした。

 それから何年も経ってからのこと。知人のスタイリストさんが僕に見せたいぬいぐるみがあるということで訪ねてきた。かわいいのできっと僕も気に入るはずと彼女は自信満々。しかもそのぬいぐるみの復刻を考えているという。そう言って見せてくれたのが小さなマレーバクのぬいぐるみだった。確かにかわいい、でもこの質感といい、雰囲気、なんか見たことあるような……そうだあのゾウに似ている。

「僕も似た感じのぬいぐるみをひとつ持ってるんだけど」と例のゾウを見せると「あ、これ同じシリーズの小ゾウです。」と彼女は即答するではないか。「こんなこともあるんだなあ」なんて驚き、喜んでいると彼女はこのぬいぐるみシリーズの由来を詳しく教えてくれた。

 このぬいぐるみはパイル手芸社という会社が製造し、東京動物園協会が運営する都内の動物園で販売されていた。同協会がぬいぐるみを商品として扱いはじめたのが昭和33年頃。当時はぬいぐるみの質、デザイン共にクオリティの低いものが多かったそうだが、そんな中、パイル手芸社を創業した三田村社長が苦心の末つくり上げたのがこのシリーズだった。

 動物園協会の指導の下、三田村社長は動物の骨格を研究するところから開始。さらに素材の改善を重ね、布地には伸縮性の少ない綿別珍を特別に染めたもの、中身は軽くて匂いに癖のない桐のおが屑を使うことにした。そして昭和37年、ついにぬいぐるみは完成し7種類の動物からスタート。最終的には36種類以上になったという。

 しかし、パイル手芸社はやがて大きな岐路に立つことになる。昭和47年、2頭のジャイアントパンダ「カンカンとランラン」が「来日」した。これを機にパンダーブームが到来し、業界はパンダのぬいぐるみ一色に。このとき流行ったのが毛足の長い布地にアクリル綿をつめたフワフワのぬいぐるみ。その影響で次第にパイル手芸社の業績は低下し、平成4年、三田村社長の他界と共に終止符を打つことになる。

 ああ無情。かくしてこの素晴らしいぬいぐるみたちは姿を消してしまったわけであるが、「いい仕事」はこうして誰かに再発見されるのだ。知人が復刻するという話は残念ながら立ち消えになってしまったが、その後見つけては手に入れて、現在5匹の仲間たちが我が家に残っているという次第である。

パイル手芸社のぬいぐるみ
一番のお気に入りは右から二番目にいるカバ。骨格研究したというだけあって見た目以上に造形は本格的。右端が最初に出会った小ゾウ。

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2020/10/26

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