文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
急に取引先のお偉方と会うことになったりして大慌てする時がある。どんな格好をしていけばよいのかわからないのだ。普通ならスーツでも着ていけばとりあえず済む話なのだろうがそのスーツがない。だいたいスーツとは縁のないままこの歳になってしまったのがいけない。こういう事態に陥る度に今度こそちゃんとしたものを一式揃えようと一度は決心するのだが、いざとなると貧乏性が発動して滅多にない機会のためだけにもったいないな、と結局買わず仕舞いに終わる有様……。
というような人間にとっていきなりスーツはハードルが高い。そして今更スーツを着るのに照れもある。そこで改革の第一歩としてまず「失礼のない」鞄を探すことにした(誰も見ちゃいないんだけど……)。普段、自転車で通勤することが多いので持っている鞄と言えばリュックか斜め掛けできるショルダーバッグばかり。狙いはビジネスバッグの王道たるブリーフケースだ。
ところがいざ探すとなかなか見つからない。モノ好きとはいえ馴染みのない領域の探し物は難しい。半ばあきらめかけていたときに出会ったのがこのブリーフケース。たまたま仕事でPOSTALCOの受注会に足を運ぶと偶然、いや必然なのか、新作としてこのバッグが登場していたのである。
まず革製で落ち着きがある。控えめできちんと感のあるデザインながら細部のところどころにPOSTALCOらしいアクセントがありほどよく個性的。ハンドルの硬すぎず柔らかすぎない絶妙の掴み心地がまたいい。しかも取り外しできるストラップもついているので自転車もOK。まさに求めていた要素を全てクリアしていたのである。
このバッグの誕生秘話がまた傑作だった。話のきっかけは受注会場に飾ってあった見覚えのある一枚の写真。アーノルド・ニューマンが撮影したロバート・オッペンハイマー(マンハッタン計画で有名な物理学者)のポートレートだ。写っているのは書類を広げた机の前に座り、煙草片手にカメラを見据えるネクタイ姿のオッペンハイマー氏の姿である。
「どうしてこの写真が飾ってあるの?」とPOSTALCOのデザイナーであるマイクさんに尋ねると、このブリーフケースのイメージソースだと言う。もちろん写真にはバッグなんて写っていない。「ん?」と僕が頭をかしげているとマイクさんは次のように説明してくれた。
「オッペンハイマー氏はおそらくきちんとした性格の持ち主。彼は撮影に少し苛立ちを覚えていて一刻も早く仕事に戻りたいと思っている。そして次の瞬間、立ち上がって右手に持っている鞄がきっとこんな感じのバッグだったんじゃないかな」。マイクさんのイマジネーションには感服しましたね。ますますこの鞄が好きになったのは言うまでもありません。