文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
昨年「HOTEL CLASKA」が閉館した。奇しくも世界が一変した年にホテルは最後を迎えることになってしまったが、未曽有の災厄が閉館を招いた、というわけではない。建物の老朽化を含めたいくつかの理由により残念ながら既に決まっていたからである。
長く通った職場であり思い出もある場所の喪失に、少しは感傷的な気分になるのかと思いきや、閉館作業やオフィス移転のばたばたでそんな気分になる余裕もないまま時間が過ぎてしまった。でもホテルとの別れ際にせめて何か記念にと思い、客室で使われていたものをいくつか分けてもらうことにした。そのひとつがこのスツールである。
デザイン、制作したのは家具や空間デザインを手掛けるデザイナーの岡嶌要。岡嶌くんはかつての職場の同僚であり、CLASKAのリニューアルを共に手掛けた同志でもある。スツールと書いたけど実際は客室のベッドサイドテーブルとして使われていたもの。「TATAMI」というその部屋は海外ゲストに最も人気のあった部屋で、日本の素材や意匠、加工技術を多用しながら「和室のフュージョン」を志向したコンテンポラリーな空間だった。コンセプトから内装デザイン、家具、備品にいたるまで全て岡嶌くんが手掛けている。
スツールの素材は杉の切り株。はじめは敢えてデザインせず、丸太のまま使うことも考えていたそうだが水分含有率の高い素材だったためカービング(彫刻)して仕上げることにしたそうだ。チェーンソーでだいたいのかたちを削り出し、サンダー(研磨用の電動工具)で整え、最後に朱色のステインを塗って仕上げた。そういえばホテルの屋上で岡嶌くんが汗だくになりながらチェーンソーで丸太と格闘していたのを思い出す。
かつて家具の会社にいた頃、岡嶌くんがデザインする椅子やソファは他の企画スタッフがデザインするものとは一味違っていた。かたちが奇抜だったというわけではない。美大の彫刻科出身である岡嶌くんのデザインは平面的なスケッチをかたちにするのではなく、塊からかたちを探っていく、シェイプしていくという彫刻的なアプローチでデザインを抽出していくやり方だった。だからフォルムは唯一無二のものとなり、シンプルなデザインの中にも説得力があった。それに何ともいえない愛嬌も。
最近引っ越しをしてリビングに少しゆとりができたので久しぶりにソファのある生活になった。その横にこのスツールを置いてサイドテーブルとして使っている。小さいながらどこかユーモラスな有機的なフォルムやビビッドな色がこのところコンサバになりがちな我が家のインテリアにささやかなパンチを効かせてくれている。ああやっぱりインテリアにも「
> 次の回を見る