文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
きれいに掃き清められた塵ひとつない玄関。通されたダイニングルームのテーブルには丁寧にアイロンがけされた品のいいテーブルクロス、その上には季節の花がさりげなく飾られている。リビングルームの壁に目をやるとソファ越しに誰だろう、ベン・ニコルソンを思わせるグレイッシュでスモーキーなトーンのモダンな油彩画が掛けられていた。ソファの横にあるサイドテーブルには陶製のテーブルランプと読みかけの本。布製のシェードが少し日に焼けているのも部屋に落ち着きを与えている。曇りひとつないガラス窓から差しこむ光が部屋全体を柔らかく満たしていた。
というような部屋をいつも夢想しているのだが、元来ものぐさで几帳面さに欠けるわたくしは掃除や整理整頓というものが大の苦手、というか習慣化されていないダメ人間である。リビングにある大きめのダイニングテーブルの上はいつも半分以上何かで埋まっているし、玄関は出しっぱなしの靴と、子どものおもちゃ、外から紛れ込んできた落ち葉などで散らかり放題。あー神様と祈ったところで誰かが片づけてくれるわけでなし……。なんてことを書くとまた差しさわりがあるのでこれ以上は控えておく。
「優雅な生活の原理とは、秩序と調和を重んじて事物に詩情をもたらせようという高尚な思想に他ならない」。と言ったのはかの文豪オノレ・ド・バルザックである。そんな一節にグッときてバルザックを読み始めたわたくしは驚いた。とにかく物語空間を語る描写がくどくどしいほどに細かいのである。登場人物の身体的特徴はもちろん、所作や言葉遣い、服装は頭から足先まで、住居内の様子、家具や装飾品などの設え、乗っている馬車の種類、などなど事物の詳細な描写が長々と続くものだからいきなり面食らってしまった。
ただ頑張って読み進めていくと展開する物語のリアリティ、描かれる人間模様の生々しさにすっかり引き込まれてしまった。はじめくどくどしく感じた細かな描写についても、服装や家具、馬車といった「モノ」が、その人自身がどういう人間であるか、社会の中でどういう立場、ステイタスに属する人間なのか、あるいはその人と他者との差異を表す記号として機能している、ということを理解したとたん急に興味深く思えてくるから不思議である。おりしも時代は資本主義の幕開け期、中産階級なるものが誕生し、今日のはじまりとも言える「金」に恋焦がれる時代へと突入していた19世紀半ばである。
小説を読む限り、人間というものを熟知した神のような存在だったのかと思いきや、実は猛烈に虚栄心が強く、徹頭徹尾名誉、金、愛を欲し続けた人間、まさに「俗物」と称するにふさわしい人物であったというバルザック。農民出身の家系でありながら自らの名に貴族の称号である「ド」を勝手に冠する厚かましさ。貴族の婦人と聞くや夢中になって追いかけ、金儲けの匂いがすると思えば事業を起こしては失敗を繰り返し、借金に追われ続けたというその実人生はまさに「人間喜劇」そのもの。しかしその波乱続きでおよそ優雅とはかけ離れた決して長くないバルザックの生涯において、あまたの傑作を残し、文学の神に愛されたこの矛盾に満ちた男の人生、その「熱さ」にただただ圧倒されてしまうのである。