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21のバガテル モノを巡るちょっとしたお話

21のバガテル Ⅱ
第16番:The usual
「ニコラ・ド・スタールの図録」

文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。


ティモ・サルパネヴァのキャセロール
2003年に「ポンピドゥー・センター」で開催されたニコラ・ド・スタール展の展示会カタログ、チラシ、チケット。ロシア貴族の子として生まれながら革命で亡命を余儀なくされたド・スタール。ポーランド、ブリュッセル、そしてパリへと渡り最後は南仏アンティーブで自死している。

 佐野洋子さんのエッセイ 『ふつうがえらい』 の中にこんな文章がある。 ちょっと長いが引用させていただく。 「私でも旅の何が好き? ときかれたら答えられる。 ひりひりするような孤独感が、 たよりない心細さが、この美しい風景の中に最愛の人がそばにいないことが、 このめずらしいおいしいモノを一人で食べている味気なさに泣きそうになることが、 そしてもしかしたら人は本当に一人ぼっちなのかもしれないという恐怖にかられることが、 そしてわたしあの親しい人達に今すぐ会いたいと本当に本当に思っていることを確認したいから、 旅が好きと答えられる」

 この一見逆説的な旅好きの理由に私は思わず涙してしまった。 寒く曇天の中、 出張先の北国の喫茶店でこの本を読んでいたせいもあるかもしれない。 旅先で時折感じるひりひりするような孤独感、 心細さ、 所在なさ。 それらの感情は同時に相反する感情を呼び起こす。 朝、 自室の布団で目を覚ますこと、 毎日電車に乗って会社に行くこと、 家族や友人とのたわいないやりとり。 そんなんでもないこと、 なんでもない時間のかけがえのなさ、 奇跡を旅は人に気づかせる。 「ふつうがえらい」のだと。

 30歳を過ぎた頃、 はじめて海外へのひとり旅を経験した。 ところで私は決して旅好きな人間とはいえない。 どこかに行きたくなることはもちろんある。 でもなかなか体が動かない。 色々調べたり、 計画を立てたりするのが億劫なのだ。 旅したいと思ってすぐに体が動く人。 それが私にとっての旅好きな人のイメージだから。 それでもひとりで、 しかも海外に行く気になったのは大好きな画家、 ニコラ・ド・スタールの大規模な回顧展がパリの 「ポンピドゥー・センター」 で開催されると知ったから。 いや、 それだけじゃなくて好きな画家の展示を見るためにひとりでパリに行くというストーリーに自ら酔ってもいたのだった。

 ところがパリに着いてからが散々だった。 空港から電車で市内に入ることにしたのがそもそも間違いだったが、 車中は偏見もあるがなんとなくヤバそうな雰囲気の人がいて正直怖かったし、 その上ストライキに遭遇し途中の駅で降ろされることになったり、 やっとの思いでホテルにたどり着くと予約は入っていないと言われたりと (結局その日はホテルの洗濯室にマットを敷いて寝る羽目になった) 初日にして早くもホームシックにかかる始末。 思い描いていた甘美だったはずのパリ一人旅はこうして不穏な幕開けとなったのである。

 翌朝、 早速ガイド本片手にホテル探しである。 安ホテルを数軒回るが部屋は無いと門前払い。 もうダメかと心が折れそうになっていた時、 ふと、 以前仕事でパリに来た時に教えてもらった古いホテルがサンジェルマンにあったことを思い出した。 ぼんやりした記憶を頼りに歩き続け、 奇跡的にそのホテルにたどり着くことができた私は恐る恐る部屋はあるかとフロントに尋ねるとイエスとの返事。 その時の私の気持ちをお察しいただけるだろうか。 脳内にファンファーレが鳴り響き、 このたかだか宿を確保できたというだけの出来事に、 単純な私はかつてない達成感を味わったのだった。

 勝利した者のようにポジティブな気持ちを取り戻した私は喜び勇んで美術館へ通った。 はじめて見るド・スタールの大作や静物画に何度も静かな興奮を味わった。 具象と抽象、 そして色と色のあわいに感じるめくるめく快楽。 それは私が新ウィーン派の音楽に感じる冷たい官能とでもいうべきものに似ていた。 午前中は美術館、 そしてその合間には買い物、 散策を大いに楽しんだ。 散策の途中、 ポンヌフからセーヌ川を眺め、 「ああ、 今僕はたった一人パリにいる」 なんてセンチメンタルな気分に浸ってはほくそ笑んだ。

 ところが夜の訪れと共に孤独感が襲ってくる。 一人でレストランに入るのも気後れして毎日のようにサンドイッチやファラフェルを買ってホテルの部屋で済ます侘しさ。 そんな時、 私はきまって 「いつもの」 が恋しくなった。 日本のテレビ番組、 安くておいしい日本の食べ物、 緊張せずに歩ける夜の東京、 家の布団、 家族や友人の顔……。 遠く離れた場所で 「いつもの」 を希求するこの通俗的なこころの在り様は、 欠落感と同時にどこか懐かしさと心地よさを伴うアンビバレントな感情でもあった。 というわけで私は今、 ふたたびパリに行きたくてたまらないのである。

DUSYMA
ド・スタール関連の画集。実物の作品を見る機会が少ないのがとても残念。以前、日本の写真専門ギャラリーの草分け的存在である「ツァイトフォトサロン」の石原悦郎さんとお話する機会があり、昔パリでド・スタールの作品を買い付けたことがあるという話を聞いて仰天したことがある。今その作品はどこに!

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2022/09/08

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