東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
蛭海たづ子さん(50歳・母・交響楽団員)
取材日
Vol.1「いないけど、いる。いるけど、いない」/2019年7月
Vol.2/2020年1月
かぞくプロフィール
ヴィオラ奏者のたづ子さんは、音楽機材のスタッフである5歳上の涼さんと32歳で結婚。3児をもうけたが、2012年涼さんの大腸がんが発覚。最後は自宅での緩和ケアを選び、妻に看取られ2017年10月永眠した。
半年前との変化は、舜君のピアスと、彼が英語の専門学校に進学を決めたこと、女子サッカークラブに所属する瑛さんが靭帯断裂で手術を受け、6ヶ月のリハビリに入ったこと、青さんがメイクをしていたことの4つだ。
たづ子さんは、夫の看病時、交響楽団の仕事を休んで減給になっていた分を取り戻すべく、猛烈にコンサートや演奏旅行をこなし、昨年の12月は4回しか休んでいない。
「子どもが小さい頃は演奏旅行を断っていたんです。大きくなったら今度は夫ががんで、休まざるを得なかった。いま、介護の分マイナス80日なんでがんばらなきゃなんです」
不在の時は、ハヤシライスやマーボー豆腐、中華丼の具をつくり置きし、あとは子どもたちでやりくりする。
舜君の進学が決まりほっとひと安心だが、それまでの道のりはなかなかもどかしかったようだ。
「この半年はしんどかったですね。大学に行くいかないでも結論が出ないし、そもそも、うちの子どもたちはみんな欲がない。たとえば長女が造形や絵画によく賞に選ばれるので、美大はどう? といっても、すぐ無理無理って。私は高校生の時から楽器がうまくなりたいという欲がずーっとあったんですけどねえ。黙って見守るしかないから、歯がゆかったです」
亡夫もそういう人でガツガツせず、裏方が好き。血を引いたのかもしれないが、「夫が生きていたとしても、別にどうともならなかったでしょう。進路や生き方は、自分で決めるしかないから」と、淡々としている。
はらはらしながら子どもたちを見守るというより、自分の仕事の腕を高めることと、生活を回していくことに精一杯で、そこまでゆったり見守る余裕がなかったようにも見える。
「自分の演奏は、いつもなにかまだ足りないって思う。上手い人はいくらでもいますから。これでオッケーと思ったら終わりです」
だから、どうしたらもっとうまくなれるか始終考え続けている。最近も、「右手の使い方」に気がついたばかりだ。
「同僚の家でお酒を飲みながら楽器を弾き、音を追っている時にハッと気づいたんです。私は安易に右手をブンブン回していただけだったって。身体の中心から出る動きを意識していたつもりなのに、音に対するアプローチが全然違ったんですよね」
楽器の話になると、止まらない。
「人生は長いと思ったほうがいいな」
とりわけ年末のコンサートはチケットが高額で、これまで子どもたちを招いたことがなかった。夫存命中は留守を託せることができたので、招く機会がなかったともいえる。
第九の演奏など、あちこちをとびまわる12月。子どもたちだけで留守番をさせ続けるのも……と、昨年は思い切って三人を招待した。演奏者やスタッフが参加する打ち上げにも同席させた。
舜君は、その日のことを印象深く覚えている。
「テレビで生中継をしていて、有名な女優さんもいて、いつも父と年末にテレビで見ていたコンサートの裏側をはじめて見れて、すげーなって感動しました。帰りは“蛭海家に一台”なんて、タクシーも出してもらえちゃって。特別な体験でしたね」
彼に英語の専門学校の志望動機を尋ねたとき、周囲の大人から大学に行けと散々言われて迷ったが、自分は勉強が好きじゃないし、彼女が同じ学校に行くからとわりに軽めに決めた、と答えた。アメコミが好きで英語を勉強したかったので、と。
そんな息子にとって、コンサートの母はどう見えたのだろう。
「あの年齢になっても、やりたいことを仕事にできているってすごいこと。自分でいえば、サッカーでメシくうと同じくらいのこと。それって簡単じゃない。すげーなって思います」
すげーが二回出た。
「僕はこの半年で、自分のことを考える時間がやっとできて、自分でも少し大人になれたかなって思います。友だちもみんな将来を考えてる。今までしなかったような話をするようにもなった。僕は、人生は長いって思ったほうがいいなって思うんです。せかせかするより、ゆっくり考えたいから」
彼女が行くから同じ学校へ。自分の高校時代を振り返ると、そんな志望動機のカップルは何人もいたし、気持はよく分かる。でも、答えを先延ばしにしているとも言えないだろうか?
舜君は言う。
「人生ってバランスだなって思う。いいことあったら悪いこともある。今、なにをしたいかわからないけど、せかせか決めずにゆっくり考えて、そこから大学へ転入してもいいと思っているんです。人生は長いから」
たづ子さんは、起床後5分間、呼吸と姿勢、体幹を意識しながらの音階練習を毎日続けている。
夫と同じく、子どもにああしろこうしろとは言わないが、上を目指して努力する母の姿を彼らは見ている。
そうなれるものが自分には見つかっていない、でもゆっくり考えることをやめないという決意が、舜君から伝わってきた。
いいことも悪いこともあったかもしれないが、今日ももっと楽器がうまくなりたいと考える母を持った子が私は羨ましいし、こちらもカメラを通してゆっくり彼らのゆく先を見守りたいと思った。