文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
ハッと目が覚めると車内にはもう誰もいなかった。「着きましたよ」とバスの運転手さんの声が聞こえる。東京駅から高速バスに乗って1時間半。寝ぼけまなこでバスを降りると、佐原の町は今にも雨が降りだしそうな曇天だった。駅の裏側なのか人気が全くない。
「ああ着きました? 駅前に観光協会があるからそこで待ってて」。約束通りに電話をかけるとそう言いつけられた。「水郷佐原観光協会」というサインのある建物はすぐに見つかった。中に入り待っていると5分もしないうちに軽バンがやってきて、その人は現れた。「あなた佐原ははじめて? じゃあちょっと案内します」と初対面の僕を助手席に乗せ軽バンは出発した。
その数日前のことである。僕は企画展の打合せで、あるライターさんの事務所にお邪魔していた。雑誌『ブルータス』の巻末で今も続くご長寿連載「みやげもん」のファンだった僕は、「みやげもん」の企画展をCLASKAで開催すべく、筆者である川端正吾さんの元を訪ねていたのである。CLASKA Gallery & Shop "DO"がスタートしてまだ間もない頃だった。
川端さんの事務所のテーブルや床には、郷土玩具やお守りなどの縁起物がところ狭しと並んでいる。その中にひときわ目を引く張子があった。最初は何の動物かよくわからなかったのだが、どうやら牛らしい。かたちも絵付けもなんだかラフで、プロの仕事というより素人がつくったようにも見える。にもかかわらず、得も言われぬ愛嬌と存在感が心を掴んで離さない。思わず笑いがこみあげてきた。
もしかしたら子どもの作品かと思って川端さんに尋ねると、いやいや、この道50年(当時)の大ベテランで、鎌田芳朗さんという千葉の佐原に住む一風変わった職人さんがつくっているという。それを聞いてさらに仰天した僕は、これはなんとしてもご本人に会いに行かねばと佐原に向かうことにしたのである。
「小さい頃から図画工作が大の苦手でねえ」と笑いながら鎌田さんは言う。張子づくりをはじめたのはおじいさんの代から。後を継いだお父さんは若くして亡くなり、気が付いた時には張子づくりを継がざるを得なかったそうだ。仕方なくはじめた張子づくりだったが個性的な姿と顔立ちのだるまが評判で、的屋の人たちからひっきりなしに注文が入った。
だるまの注文が一段落したと思ったら今度は鎌田さん作の「餅つきうさぎ」の張子が年賀切手の絵柄に採用され、また注文が殺到。いつのまにか佐原の伝統工芸にも指定されていた。「上達しないまま50年経っちゃった」と鎌田さんはまた笑っている。
町から頼まれて、佐原観光に来た人向けに張子づくりのワークショップを時々開催する。参加したおばさんたちの「あたしの孫の方がもっと上手いわよ」という遠慮ない声も、今では「最高の褒め言葉」だという鎌田さん。絶望的な瞬間を乗り越えるのは簡単ではないが、笑うことで人は少し楽になれる。鎌田さんの張子にはそんな力があるのだ。