東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
サルボ恭子さん(47歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・51歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・24歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・22歳・大学4年生)
取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 2020年5月
かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。18歳までは4人で、社会人になった現在は兄妹ふたり暮らしで自活。恭子さんは料理家12年目。先月より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。
Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot
そもそも数ヶ月スパンの定点観測で、日々それほど大きな変化があるのか、連載開始当初は見当がつかなかった。しかし、サルボ家を取材して驚いた。
半年前、長男はパリ留学を終え帰国。現在は、長女の大学卒業を機に子どもたちはふたりで自活、恭子さん夫妻は転居し、地方から上京した両親との二世帯同居をはじめていた。
「母がリウマチで、1ヶ月半に1度東京の病院で治療をするため、我が家に1日滞在していたことがきっかけです。その後、まさかこの歳で両親とひとつ屋根の下で暮らすようになるとは思いもしませんでした」(恭子さん)
高齢の親が、住み慣れた地を離れるのはそう簡単ではない。現に、昨年の5月までは、恭子さんが何度言っても重い腰を上げなかった。
「ところが、母が通院で我が家に滞在中、腹痛で救急車に。たんのう破裂で緊急入院したのです。退院後もしばらく我が家でお世話をしたので、その時に両親に“この先もふたりだけで暮らし続けるのは難しいのでは?”と。家を処分するわけでもないし、夏物の服と大事なものだけ詰めてきてくれればいいからと説得しました」
実は、両親の身体を心配し、早く東京に呼ぼうと強く勧め続けたのは夫のセルジュさんである。
「僕は、遠く離れたフランスの両親の面倒を見ることができない。そのぶん日本の両親の面倒をちゃんとみてあげたいし、子として当然のこと。1日でも早く東京に呼んだほうがいいよ」
かくして2019年5月、自分たちの住んでいた住まいを両親に譲り、そこから5分のマンションにセルジュさんと越した。新しい家具や生活道具を両親があれこれ揃えるより、身軽な自分たちが越して最低限のものを調達したほうが楽だろうと思ったからだ。
「私自身、物欲がないので、独身者用の小さな冷蔵庫で、本や植物やうつわを少しだけ前の家から持ってくるような生活で十分でした。それでも暮らしていくと荷物ってだんだん増えてしまうものなんですよね」
実の親子だからこそ些細な行き違いも
今年2月。子どもたちがふたりで住むことになり、セルジュさんが「恭子の両親と同居しよう、そのほうが安心だし僕は全然構わないよ」と発案。
彼女のほうがためらった。
「彼は、日本人のように溜め込まないし何かあったら言うから気にしなくていいよって言うんだけど、きっと彼と両親の間に入るのは私。ちょっと気おくれしたんですよね。越して1年も経っていませんし」
そんな時ネットでたまたま、庭付きの二世帯住宅を近所に見つけた。家賃も予算内で、キッチンもお風呂も二箇所ずつ。彼女はまたとない稀有な物件だと直感的に思った。
「実の親とはいえ、一軒に主婦がふたり。水回りはふたつないと絶対に無理、でもそんな物件が予算内でそうそうあるものではないと諦めていたので。1階と2階が完全にわかれた間取りで、とても魅力的でした」
またとない物件に両親も同意。引越し直後にコロナのニュースが出始める。仕事がキャンセルになったことで、片付けや家の手入れができて、「総じてラッキーでした」と彼女は微笑む。
越してまだ3ヶ月。
二家族の距離感は、手探り状態である。実の親子だからこそ、イラッとくることだってなくはない。たとえば生活リズムが違うので、食事も含め互いに干渉しあわないようにと決めているのに、こちらの食事後に母が、料理のおすそわけを持ってくることも。
「お腹いっぱいと言ってるのにって思うけれど、日本人の母の多くがそうであるように、母にとって私はいつまでも子どもなんですよね。そんな些細なことも、セルジュに愚痴を言ったら適当に流してくれて、おしまいになる。彼にはすごく救われています」
彼のほうが、肩の力を抜いて恭子さんの両親と程よい距離感で付き合いを楽しんでいるという。
妻の親との同居を勧め、気負わず付き合う。日本人同士でもなかなか難しいことを、彼はどうして自然にできるのか。
「人種の違いをわかっていますから。元から、人は全部理解し合えるものではないと知っている。だから、行き違いを気にしないし、おおらかに受け止められるんでしょうね」
たとえ日本人同士であっても、あるいは親子でも、夫婦でも、すべてはわかりあえない。わかろうとしなくていい。人はそれぞれ違う考えのものという前提で付き合えたら、私達はもっと楽に生きられるかもしれない ——。
グアドループ島と日本の、家族のありかた
20余年ぶりの両親との同居で、彼女も気づきや学びを得ている。たとえば、母が手を怪我したときに、料理を差し入れた。母は何も言わなかったが、もしかしたら自分の食べたいものが別にあるかもしれないし、怪我をした手を使ってゆっくり自分のペースでつくりたいかもしれない。
「母の過ごす日々の中で、料理は大事な創造的な作業の一つ。私もまたつい母にいろいろやってあげたくなるのですが、手伝いすぎず、尊重することも大事だよなと反省しました」
距離感を真剣に考えあぐねる彼女にある日、セルジュさんがサラリと言った。
「週に1日くらい上で一緒に食べたりしたほうがいいんじゃない?」
それから時折、両親の部屋で4人で卓を囲むようになった。
フランス人は皆そんなふうに両親を大切にするものなのでしょうかと、間の抜けた問いかけをした。恭子さんは語る。
「彼はパリ生まれのパリ育ちですが、祖父母がフランスの海外県のグアドループという島の出身で、大のおばあちゃん子だったことも深く関係しているかもしれません」
島には日本と同じく年長者や先人に敬意を払うという伝統と習慣があるという。年配を敬う精神はフランスの在郷にもあるが、島のそれはとりわけ厳格で、たとえば食事でも、祖父母または父親が一番いい肉を食べる。
セルジュさんは、祖父母のルーツでもある島の習慣や精神に深い憧れがあり、目上の面倒をみるのは当然だと受け止めていたにも関わらず、大好きな祖母の最後のお世話を、自分は日本に来てしまったためにできなかった。「その悔いもあるようです」と恭子さんは語る。
自分は孝行をしたくてもできなかった分、妻の両親を大切にするという彼に、今の暮らしを尋ねると。「最高!」と、至福のひと言が返ってきた。
「家族を大切にするのは、自分のルーツでもあるカリブの文化です。それからこの家は和室があってすごく心が落ち着きます。畳が大好きなので。貸家ですが、ずっとここでみんなで暮らしたいな」
フランス語のオンライン授業は、縁側に腰掛けて行うそうだ。
—— 総じてラッキー。
後日仕上がった自宅でくつろぐふたりの写真を見て、恭子さんの穏やかな言葉が、脳裏に再び聞こえた気がした。