文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。慶應義塾大学卒業後、イデー、全日空機内誌『翼の王国』の編集者勤務を経て、2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。同時に CLASKA Gallery & Shop "DO" をプロデュース。ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
フィリップ・ワイズベッカーという名前を知ったのは『HAND TOOLS』(アムズアーツプレス 2003年)という一冊の作品集だった。日本の大工道具を独特のパースペクティブと繊細な線で描いたこのドローイング集を見たときの興奮。見慣れていたはずのカンナやノコギリが、まったく新鮮な輝きとユーモアをもって表現されているという驚き。これぞクリエーションだと思ったものである。
その後も雑誌や広告などでワイズベッカーの作品を目にしていたが、決定的に夢中になったのは2009年に銀座の「ギャラリーG8」で開催された「recollections」という展覧会を見に行ってから。今思い返してもこの時ほど高揚し、楽しかった展覧会体験はなかったと思う。その理由は購入するという前提で作品を「選ぶこと」の醍醐味を味わったから。
会場にはいくつものシリーズが数多く展示され、魅力的な作品で溢れていた。隣にいたデザイナーの友人も「いいですねえ」と興奮気味である。ただ僕も友人もとにかく懐が寂しかった。それでも二人は覚悟を決めた。今後の経済的な見通しの心配よりもワイズベッカーの作品を自分のものにしたいという欲望がはるかに勝ったのである。
そうなると作品に対する視線も自ずと熱くなる。興奮した犬のように二人は会場を歩き回り「これもいい、あれも捨てがたい」と堂々巡りを続けたがその日は決めきれず、結局5回も会場に足を運ぶことになった。それぞれ会場に行く度に今日のランキングをお互い報告し合うのが何より楽しかった。
そして月日が経ち、まさか自分の店でワイズベッカーの展覧会を開催し、本人とも親しくなれる日がくるとは夢にも思わなかったから人生捨てたものではない。ワイズベッカーがパリから来日する度に、くだんの友人と骨董市などに出かけるようになった。あるとき3人で神保町に出かけていった時のことである。
神保町の街をブラブラ3人で歩いていると、ワイズベッカーは「ここに寄っていい?」と昔ながらの荒物屋を指さしている。ワイズベッカーは世界中のどの街に行ってもハードウェアストアをのぞくのだという。僕も何かおもしろいものはないかと店内を物色していると、ふと棚の上に置かれていた住宅用の古い郵便ポストに目が留まった。
一瞬、この店は古道具も扱っているのかと思いきやそうではなかった。おそらく30年以上前に新品だった頃から売れずにずっと残っていたようである。貼られていた値札シールは変色して茶色くなり、値段も当時のままでびっくりするほど安かった。シンプルなかたち、経年変化でくすんだ赤い色、そしてポスト然としたその姿、どれも僕の好みだった。
棚から降ろして手に取り、買おうかどうしようか逡巡していると、それを見透かしたようにワイズベッカーがやってきて「僕が東京に住んでいたら絶対買うね」と耳元でささやいた。いつか宝くじでも当たったら、広い庭のある質素で品のいい家を建ててそこで使おう。それまでは、とりあえずオブジェという名のもとに、狭いマンションの一室でスタンバイしていてもらうことにした。