東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
サルボ恭子さん(50歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・53歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・26歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・24歳・准社員、塾講師)
取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 「人はすべてをわかりあえないと知っている人の強さ」/2020年5月
Vol.3 「3人の親と、サプライズのバタークリームケーキ」/2020年10月
Vol.4 「来日27年。彼が日本で学んだものは」/2021年2月
Vol.5 「彼女はまたがんになるかもしれない。でももう僕は大丈夫」/2021年6月
Vol.6 2021年11月
かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。成人した子どもたちはそれぞれ自立。恭子さんは料理家14年目。昨年より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。
Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot
サルボ家を訪ねるようになり、丸二年が経つ。今回は長男ミカエルさんにじっくり話を聞きたいと思った。
社会人になりたての彼は忙しいスケジュールを縫い初回から取材に協力、当時、コロナ禍前で料理本の出版が続いていた恭子さんの「体が心配」とセルジュさん以上に顔をしかめていたのが印象的だったからだ。言葉は多くないが、心の底から案じているのがわかる表情だった。
ひとり近所の公園に連れ出し、インタビューをした。
ミカエルさんはセルジュさんの前妻のもとで8歳まで育ち、その後は妹レイラさん、再婚した恭子さんと家族4人で暮らした。
「実は高校2年の時、あまりに父のしつけが厳しく喧嘩して家出したんです。深沢の母の実家へ。なぜって、普段の門限は6時、遅くとも7時で、部活で遅くなってもだめ。夜12時なんてもってのほかでしたから。都立高校で皆自由だったので、当時は友達とのギャップが苦しくて。このままでは抑圧される!! と飛び出しました」
深沢では1年「遊びまくりました」と恥ずかしそうに告白。その後フランスに4年間留学した。ホームステイ先の叔父叔母から心配されるほど、勉強とバイトに打ち込んだ。
「留学すると何をしても親にはわからないから遊びまくる人も多いんです。でも僕は父や恭子に迷惑をかけたという思いがあるので。それに深沢で遊びはやりきった感もある。ただ、深沢でもフランスでも、いつどんなところにいても、頭の片隅に父と恭子の姿はありました」
前述のように彼には母、父、恭子さんという3人の親がいる。全員のグループラインがあり、今年舌がんがわかった時は、恭子さんがラインに病気を報告。前妻もミカエルさんらとひどく心配したという。そんな、日本では珍しいオープンな関係にあって、彼は「親が3人いてよかった」と振り返る。
「父と母は感情的になりやすい。恭子は冷静で真面目。だからありがたかった。僕の知っている大人の中でパパと恭子が一番厳しいんです。
とくに恭子は、学業に手を抜いていると、“遊び過ぎなんじゃない?”って、正しい日本語で静かに釘を刺す。そのとおりだからギクッとするし、怖くもある。でも誰よりも教育熱心で、僕は進路は全面的に恭子に相談してたし、保護者会や学校の行事も全部来てくれた。僕の受験勉強にも真摯に向き合ってた。
恭子がいなかったら、僕は留学も社会人にもなれなかったかもしれません。だから僕は心のどこかでいつも、この人の前で変な生き方したくないなって思うんです」
帰国後はモデルの仕事が縁で知ったアパレル会社に、インターンを経て正式に就職した。現在は海外の商談などに必要な書類の翻訳や企画、PR業務についている。
母のような師のような上司のような……。適切なたとえが見つからないが、損得抜きの深い愛情で自分の人生を見守る人間が両親の他にもうひとりいるのは、なるほどたしかに素敵で、尊い。
彼女の前で変な生き方をしたくないと言い切るミカエルさんのまっすぐさに、私は率直に胸を打たれた。
忘れられない鴨のコンフィ
え、なんで今?
料理の仕事に影響しないのか? ろれつが回らないような後遺症が残ったらどうしよう。手術をしたら本当に治るのだろうか。
今年5月、恭子さんの舌がんがわかったとき、ミカエルさんはショックと不安に襲われた。
「もともと病弱な人なんです。昔から料理教室や撮影でものすごく働いたあと、急に寝込むこともあったし。幼い頃、よく深夜にトイレに起きると、ダイニングでカタカタ、レシピ原稿を書いていて、子ども心に大変だなあって頭が下がりました。僕は今雇われの身なので、帰宅したら仕事は終わりですが、恭子のような個人事業主のタイムマネージメントは本当に大変だなとしみじみ思います。そういう疲れやストレスで病気になったのかなとか、いろいろ考えました」
がんは初期段階だったため、手術は成功。後遺症もなくすんだ。
9月の恭子さんの誕生日、ミカエルさんははじめてひとり暮らしの家に招いて手料理でもてなした。
「クスクスをつくりました。料理好きは恭子の影響です。父が再婚して一緒に暮らしはじめた時、生まれてはじめて鴨のコンフィを食べてびっくりするくらいおいしかった。そんなの食べたことなかったから。見たこともない食材が一気に増えて、スーパーへ買い出しについていくのも好きでしたね。チコリ、アンディーブ、ラムチョップ、ヤギのチーズ……。全部、恭子の手料理で知りました」
食への興味は膨らみ続け、会社には弁当持参、コロナ禍でリモートワークになった今は、毎日自炊を楽しんでいる。ちなみに昨夜はグラタンとステーキだそう。
「恭子のつくるグラタンドフィノアが大好きで。ああいうのをつくりたいし、彼女みたいにもてなせる人になりたいんだけど、まだまだです」
ミカエルさんも恭子さんもシャイなので、クスクスがどんな出来栄えだったかわからないが、最高の快気祝いになったのは間違いない。
じっとしているのは苦手
「取材の1回目を読み返すと、まだ本格的に社会に出ていない、何となくフラフラ漠然と不安を抱えていた感じが伝わってきてちょっと恥ずかしいですね」
インターンとして働き出した頃である。それから2年を経て、ミカエルさんは傍から見ても凛とした精神のたくましさが感じられる。ぶれない何かが育ちつつあるのがわかる。
日英仏に加え、中国語も勉強中。父の影響で語学を、母方の祖父の影響で歴史に興味があり探究を続けている。
「僕はじっとしているのが苦手なので、デスクワークだけだとつらいんです。今はコロナで海外出張も遠のいているので、ジレンマはあります。父は国と国の文化の間で仕事をしてきた人。僕も様々な国の文化的側面だけでなく戦争も含めた歴史を理解した上で、ゆくゆくは国と国の間でなにかをつなぐ仕事に携わりたいと思っています」
現在の仕事はその第一歩だ。ファッション業界なので、多様な国の製品を扱っている。だから「早く行き来が再開して、商談のお手伝いをしたい」と希望を語る。
料理や暮らしを整える1年半を経て、目線は世界に。癖は強いが良き相談者が3人もついている。彼と膝を交えて語り合い、ひさしぶりにこんな言葉を思い出した。前途有望。