東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
中津圭博さん(35歳・会社員)
Kさん(36歳・医師・男性)
取材日
Vol.1 笑った分だけ親身になれる、ふたりの10年/2019年1月
Vol.2 人はみな最後はひとり。だからこそ交わした、ある契約/2020年6月
Vol.3 傷つけられた記憶は消えない/2020年11月
Vol.4 コロナで人生が大きく方向転換/2021年3月
Vol.5 夢を叶えた彼の生グレープフルーツサワーと恋のはじまり/2021年7月
Vol.6 2021年12月
かぞくプロフィール
香川県出身の中津圭博さんは、高校時代に性的マイノリティを自覚。上京後はLGBTを対象に相談支援活動を行うNPO法人の代表や世界の食の不均衡をなくすNPOなど、精力的に社会的活動に参加。証券会社、運用会社を経て、2021年4月飲食事業会社に転職。九州出身、医師の恋人Kさんとは25歳から交際。同棲8年になる。
ふたりを追いかけてまる2年。その間に中津さんは資産運用を担う金融業から、大好きな酒を軸に店舗を展開していく会社に。パートナーで医師のKさんは、大学病院からクリニックに転職をした。Kさんはふたりのために家も建てた。公私ともに大きな変化があったこの時期に取材を定期的に受けたことは、彼らにとってどんな意味があっただろうか。
過去のLGBTをテーマにしたテレビ取材の苦い経験からマスコミは苦手と語っていたKさんが、先に口を開いた。
「自分の人生を深く考えたことがないので。こういう取材で振り返ると、今は今でそれぞれ新しい世界で大変だけど、でも楽しいことをやれているなって思える。そう気づけるのはいいなと思います」
中津さんは、取材のたびに前回の振り返りをするらしい。そこで自分の放った言葉に奮い立つこともあれば、時にはプレッシャーになることもあるという。
「取材で言ったからにはやらなきゃって思ったり、俯瞰すると“あ、自分は置き去りにしていた課題があったな”と気づかされたり。取材は貴重な体験だなと思います。でも最近は、ちょっと気持ちが変わってきて。取材じゃない、自分と向き合わなきゃだと。自分はまだ目標を達成できていないですし。できていないことも含めて、今の自分なんですよね」
彼の言う目標とは、学生時代から志している“誰かの役に立つ、何かの架け橋になる”こと。(第1回「笑った分だけ親身になれる、ふたりの10年」)
前職では日々の業務に追われ、取り組むことができなかった。だが今の会社なら本業として取り組めて、かつ結果がすぐ見える、と彼は目を輝かせる。
「会社の代表は、一貫して日本酒の発展に貢献したいと考えています。そこに深く共感できますし、世界に広めようという志は、何かの架け橋にという自分のルーツとも重なる。日本酒ってこれだけ手間のかかるものなのに、価格も安く、国内でさえ魅力の認知がまだまだ進んでいません。現在も経営にあえぐ老舗の酒蔵のコンサルにたずさわっていますが、僕は文化やストーリーも一緒にお客さんに提供していきたいと思っています」
2021年11月には役員になった。中津さんの入社以降、3店舗がオープンし、現在6軒の開店準備が進行している。酒蔵のコンサルティングや日本酒の味づくりにも関わる。スタッフやアルバイトも多数。帰宅は24時過ぎも珍しくない。
以前の職場よりはるかに業務が多岐にわたり、おまけに長時間労働だが、彼は日本酒効果なのか、ツヤツヤした血色の良い肌で朗らかにこう語る。
「30人の部下がいた前職のほうが精神的にはしんどかったですね。でも、はじめて経営側からものをみているので、前の職場の上司はこういう気持ちだったのかと理解できることもある。前は決まったことをやる側。今は決めて言う側。毎日学ぶことだらけです」
オープン間もない中津さんの会社の店で、Kさんはじつにおいしそうにビールを飲みながらニコニコと彼の話を聞いている。なんだかふたりとも、とっても幸せそうだな……。コロナ禍、仕事のストレスで中津さんが夜も眠れず、メニエール病で苦しんでいたのを取材で知っている私は、しみじみとしてしまい、心があたたかくゆるんだ。
“日々を助ける”
いっぽうふだん口数の少ないKさんも、この日は雄弁だった。転職した病院がとても肌に合っているようだ。全国から患者が集まる著名な大学病院から、私鉄沿線の商業地と住宅地が混じり合う街の小さなクリニックへ。はたから見ると大きな決断のようだが ——。
「今の職場は街の人との距離が近いんですね。おばあちゃんがちょっと何かあったらすぐ来てくれる。それが嬉しい。“患者さんの日々を助けている”という実感があります。自分はこういうことがやりたかったんだよなと。あのう、こんなこと医者が言っちゃだめなんだけど、思わず“また来てね”って言いたくなっちゃうんです」
顔見知りになると会話が生まれる。一対一で最後までじっくり付き合う診察からは、穏やかな繋がりが生まれる。ある時、母子(ははこ)で来た子どもを診察してしばらくしたら、同じ住所の男性が来た。あれ? あの子のお父さんかな? 今度は同じ住所らしき老婦人が。次にまた男性が来て、「この間、母が受診したんです」と言われ、ああやっぱりと嬉しくなった。
「家でご家族に“あの病院良かったよ”って言ってくれたんだなあって思ったら、本当に嬉しくて。街の病院には街の病院の役割があるなあと実感しています。仕事は毎日楽しい」
今は中津さんが多忙なので、Kさんは仕事のあと40分かけて彼の店に来て飲んで帰ることが多いそうだ。一緒に食事をしたりデートをする時間は激減したが、互いに根っこのところが充実しているからか、安らいだ表情で、実に穏やかな空気が流れている。
取材で唯一、Kさんが愚痴をこぼしたのはこんなことだった。
「一昨日、彼は貴重な早上がりの日でご飯食べようと約束していたのに、あと1時間、あとちょっと、と待たされて結局帰ったのが夜12時。この人、仕事の見通しが甘いんですよね」
24時っていつもと同じじゃないですか、そこ怒ってもいいところですよと言うと。
「うん、でも店を辞める人の話を聞いてたみたいで。そういうケアは仕事終わってからになっちゃいますもんね。しょうがないです」
貴重な早帰りを返上して退職するスタッフに付き合ってしまうような人が好きなんだろうし、うん、たしかにしょうがない。
次回の取材は春。中津さんはそれまでにはもう少しだけ自分ファーストにして、Kさんとの時間もつくれることができるよう老婆心ながら願った。