文:大熊健郎(CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクター) 写真:馬場わかな 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
大熊健郎 Takeo Okuma
1969年東京生まれ。 慶應義塾大学卒業後、 イデー、 全日空機内誌 『翼の王国』 の編集者勤務を経て、 2007年 CLASKA のリニューアルを手掛ける。 同時に 「CLASKA Gallery & Shop "DO" 」をプロデュース。 ディレクターとしてバイイングから企画運営全般に関わっている。
以前、 香川県の牟礼町にある 「イサム・ノグチ庭園美術館」 に行ったことがある。 元々イサム・ノグチのアトリエ兼住居 (1969年から20年あまりノグチはこの地とN.Yを行き来する生活をしていた) だった場所を当時の雰囲気そのままに美術館として公開している。 庭やアトリエに並ぶ石の彫刻作品だけでなく、 古い民家を移築したという住居や作業場などの建造物、 さらには背景に抱く山並みや空さえも含めて美術館全体がアート作品のようであり、 ノグチの感性を丸ごと体感できる素敵なところだった。 特に庭園をぐるりと囲んだ石垣が彫刻作品以上に彫刻的だったのが強く印象に残っている。
住居部分にはノグチの代表作とも言える 「AKARI」 シリーズの大きな照明がぶら下がっていた。 日本の提灯との出会いによって50年代にデザインされたこの照明シリーズは、 提灯そのままに和紙と竹ひごという極めて日本的な素材使いにも関わらず不思議と和洋どちらの空間にも溶け込んでしまう。 そればかりか実用性とアート性を兼ねた 「光る彫刻」 という新たな存在の魅力もあり、 今も世界中の人たちに愛されている。 そして私は改めて思うのである。 岐阜の名産品であった提灯を現代の照明器具として再構築、 リデザインしたこのAKARIこそ、 日本の伝統工芸の技術と歴史を今日に生かした最も成功したプロダクトであり唯一にして最高の例だと。
なんてつい力が入ってしまうのには理由がある。 仕事柄、 「伝統工芸」 と呼ばれるものを色々目にしてきたけれど、 ただ 「伝統」 という名の元にかろうじて存続しながらも時代性と乖離した遺物的存在と化したものをたくさん見てきた。 そうかといってそれらを現代の生活に合うものに変換、 応用させることの難しさも痛感したからだ。 伝統工芸の産地に足を運ぶたびに、 その技術を何か今日的なものに再構築してAKARIのような素晴らしいプロダクトを生み出せないものかといつも夢見てきたが、 かたちにするのは本当に難しい。
ある日のこと、 ぶらりと立ち寄った店で熊の絵が描かれた置物が並んでいるのが目に入った。 繊細さとユーモアが同居したタッチで描かれたその置物は、 よく見るとロシアの民芸品としておなじみのマトリョーシカである。 見慣れた民芸品に感じる野暮ったさのようなものが微塵もないそのかわいさに、 定番の工芸品をこんなふうに今日的にアレンジした人がいたのかと興奮していると、 店の人が 「COMPANY」 というフィンランドの二人組デザインユニットがデザインしたものだと教えてくれた。
COMPANYの二人がデザイン、 プロデュースするものは基本的に一点ものではなく、 継続的な量産を想定したプロダクトが多い。 一回限りのイベント的なプロジェクトではなく彼らが産業性を大切にしてモノづくりをしている点が素晴らしいなと私は思うのである。 しかも彼らは世界各地で同じようなプロジェクトを手掛けていて、 どのプロダクトも産地に寄り添いつつオリジナリティがあり、 商品としての完成度がとても高い。 ノグチのAKARIに比べると趣味性に左右されるものかもしれないけど、 「そうそう! こういうことなんだよなあ」 と私は嬉しくなり、 励まされるのである。