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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

須賀・笹木家の場合 Vol.11
巡りくるお米

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
須賀澄江さん(85歳・母方祖母)
笹木千尋さん(37歳・孫・主婦)

取材日
Vol.1 「誰も入れぬ固いもので結ばれた、孫と祖母の物語」/2019年7月
Vol.2 「夫を亡くして百ヶ日。『日が暮れると寂しいの』」/2020年4月
Vol.3 「母の突然の死から13年。家族の心の穴を埋めようと必死だった日からの卒業」/2020年9月
Vol.4 「母を亡くした姉妹。とけた誤解と今後の夢」/2021年1月
Vol.5 「一生祖母のそばにと決めていた彼女が移住を決意。亡き母からの卒業」/2021年6月
Vol.6 「祖母と孫の別離、生まれた新しい夢」/2021年10月
Vol.7 「キャリアはいったんゼロに。でも全く後悔がない彼女の選択とは」/2022年2月
Vol.8 「離れられないふたり、支える彼」/2022年6月
Vol.9 「祖母の最後は私が決める」/2022年10月
vol.10 「人の人生をどうにかなんて、 できるはずがない」/2023年3月
Vol.11 2023年7月

かぞくプロフィール
笹木千尋さんの祖母 ・ 澄江さんは長女、 次女を相次いで亡くす。 今年6月、 パーキンソン病悪化のため、 住み慣れた江戸川区葛西から、 千葉の高齢者施設へ入所。
千尋さんは祖母の次女の娘。 高校時代に両親が離婚し、 父のもとで育つ。 うつ病の母は、 澄江さんのいる実家で暮らしたが、 41歳で急逝。 29歳の結婚後も祖母宅近くに住み、 一心同体のような濃い関わり合い方をしてきたが2021年7月、 夫の転職を機に千葉に移住。 自宅近くの施設に祖母を呼び寄せた。


 祖母・須賀澄江さんと我々取材スタッフは2年10カ月ぶりに再会した。 場所は千葉の療養型高齢者施設、 許された時間は10分。
 パーキンソン病が悪化し、 現在は発語および自力での移動ができない。 孫・笹木千尋さんは寂しそうに語る。
 「おばあちゃんは喋れないので、 認知がはじまっているのか、 何を理解し、 何を理解していないのか、 私にもわかりません。 体調に波があって、 時々声が出ると、 “あ、 千尋” と言うことも。 でも、 いつもわかっているわけではないようです」

 幼い時に母を亡くし、 江戸川区葛西に住む近所の母方の祖母・澄江さんが精神的支柱だった。 しかし、 共に依存し合う関係から卒業したいという気持ちもあり、 夫の転職を機に千葉に移住。 アルバイトや家庭菜園をして暮らしはじめた。

 ところがまもなく澄江さんの体調は悪化し、 千葉に引き取ることを決める。
 50代無職の息子とふたりで暮らす祖母を、 見るに見かねての決断だった。

 「その伯父も去年急死し、 本当にこの決断が正しかったのか。 おばあちゃんは生まれ育った東京の葛西の家で最期を暮らしたかったんじゃないか。 口もきけずただ寝たきりの今の生活を見ていると、 申し訳無さでいっぱいになってしまうのです」

 ふだんあまり弱音を言わない千尋さんの口からは、 自責の念があふれ続けた。
 前々回 (第9回 「祖母の最後は私が決める」) 呟いた言葉が忘れられない。
 「人って不思議。 自分が死ぬ時は、 第三者が決めるんですね」

 親戚が皆高齢だったので、 自ら進んで祖母を千葉の施設に引き取った。 アパートから車で10分。 これならいつも駆けつけられると思っていたが、 コロナ禍での面会制限は想定外だった。

 「あの時どうすべきだったかなんて、 こればっかりは答えはわからない。 療養型の病院は、 意識がなかったり寝たきりだったりする方が多いので静かなんですよね。 知らない街で、 知らない人に囲まれて、 寂しいだろうなあと思うんだけど……」
 この取材の日は、 「じゃあね」 と千尋さんが言うと、 別れぎわにそっと右手を上げた。

 大好物の 「とらや」 のもなかを取り寄せて、 施設に持っていくと、 嬉しそうに食べる。あとから看護婦さんに 「あれ、 すぐ全部召し上がりましたよ」 と言われる。
 「食欲を見ると、 この先が長いのか短いかわからない。 ただこの状態で長生きするのが本当に幸せなのか……。 せめて眠っている時、 夢の中でいい記憶が蘇っていてほしいなと願っています。 どんな夢を見ているのか、 それすらわかんないけど」

 言葉を交わせなくなった今、 千尋さんは無力感に襲われているように見えた。 祖母に対して、 手がかりのない暗闇の中を、 さまよい歩いているような。
 取材ではじめて会った時、 私は澄江さんに何度も千尋さんの結婚式の写真を自慢された。 「きれいでしょう。 かわいいでしょう」 と。
 冷蔵庫には、 彼女がいつ来ても食べられるように夏みかんの皮が剥かれ、 ラップで覆った皿に冷えていた。
 自分という存在が、 かつて祖母にどれだけ幸福なギフトを与えていたか、 千尋さんは忘れているようだ。
 そう話すと、 目もとがうるんだ。
 千葉に来てから、 取材ではじめて見る涙だったように思う。

 「おばあちゃんってすごいんですよ。 寝たきりになっても私を助けてくれてるんです」
 なんでも、 この年になるまで、 祖母が送ってくれるので米と海苔と梅干しを買ったことがなかったらしい。
 しかしさすがに、 最後にもらった米も底をつきた。 いざ炊こうと思ったら1粒もないのに気づき、 「ああ、 明日買わなくちゃ」 と思った矢先、 アパートの呼び鈴が鳴った。
 郵便配達員から渡されたのは、 「お米クーポン券」 だった。
 葛西の祖母宅の郵便物を、 千尋さんは自宅に転送しているのだが、 東京都からの生活支援で澄江さん宛に送られたものだった。
 泣き笑いの顔で千尋さんは言う。
 「入院してもまだ私は、おばあちゃんにしてもらってるんです」

 おまけに、 澄江さんを千葉に引き取ったことで、 親戚中から感謝されているとのこと。
 「自分は寝ているだけなのに、 おばあちゃんは私の株を上げてくれてるんです」


ゆるやかに、 街とつながる

 千尋さんは半月後引っ越しをする。
 近所に平屋の古屋を買ったのだ。
 アルバイト先のオーナーから物件を紹介されたのだという。
「ずっとその家に住み続けるかはわかりませんが、 もう東京には戻らないでしょうね。 私にとって東京は、 魅力がありません」

 現在は、 カフェの一角を借り、 古書店を営む。 箱主にスペースを貸すシェア型古書店 で、 「風六堂」 と名付け週4日つめている。 まだまだ採算は取れずアルバイトも並行しているが、 古書店だけで食べていくことが目下の夢だ。
 客が客を呼び、 トークイベントも頻繁に開く。 千尋さんとのおしゃべり目当てに昼間から立ち寄る常連も多い。

 「まさか自分が本屋の店主になるとは思ってもいませんでしたが、 人生って、 あのお米みたいに、 足りない時に誰かが手を差し伸べてくれたり、 パズルみたいにがちがちっとハマる時はハマっていくものなんだなあって。 この街に来て、 知りました。 私は地域の人に救われてきたので、 恩返しもしたいです」

 移住者も多く、 週末もマルシェやフリマなど、 様々なイベントごとが多い。 雪だるま式に友人が増えていき、 いまはそれが心地良い。
 東京では、 どちらかという先を読んできっちり予定を組んで進めていく性格だったが、 今は 「なるようになる」 。 ゆるやかに、 何かあらがうことなく、 自分の心地よさを大事にしながら生きている。

 連載開始当初、 葛西に住み、 祖母の体調が心配で広告の仕事を辞め、 葬儀屋のアルバイトをするなど、 その気遣いを半ば危うくも感じていた。 千尋さんの中で澄江さんの存在が大きすぎるのではないか。 まだ若いのに、 自分のやりたいことが二の次になっているのではという、 老婆心ゆえの心配がなかったと言えば嘘になる。

 澄江さんは結果的に、 千尋さんが自分らしく生きるよう導いた。
 ベッドに寝たきりでもなお、 彼女が言うように、 孫の世話を焼いているのだ。 そんな尊い絆を誰が責められよう。

 よかったのだこれで、 という言葉を私は胸にしまった。 他人が言わなくても、 千尋さんが書店や館山での暮らしを楽しむことが、 澄江さんへの何よりのギフトになる。 いつかきっとそうわかるに違いないからだ。


「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
「令和・かぞくの肖像」須賀家取材写真
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2023/08/10

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