東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
中津圭博さん(34歳・会社員)
Kさん(36歳・医師・男性)
取材日
Vol.1 笑った分だけ親身になれる、ふたりの10年/2019年1月
Vol.2 2020年6月
かぞくプロフィール
香川県出身の中津圭博さんは、高校時代に性的マイノリティを自覚。進学で上京後は学生会議や、LGBTを対象に相談支援活動を行うNPO法人の代表を務め、証券会社入社後は世界の食の不均衡をなくすNPOなど、精力的に社会的活動に参加。25歳で運用会社に転職。九州出身、医師の恋人男性とは同年から交際。同棲8年になる。
家族というテーマはむずがゆい
Kさんは前回の取材で会う約束をしていたが、仕事のため間に合わなかった。途中何度か中津さんに連絡が入り、電話の向こうで言うことには「インタビューだけならいいけど、撮影には出たくない」。
ごめんなさい、話しといたんですけどなんだかうまく伝えられてなくて、と弱り顔の中津さんに、いやそもそも自宅というふたりのプライベートエリアに押しかける我々のほうが申し訳ないのだと恐縮した。
半年後の今回はコロナ禍でもあるので、まずオンラインでじっくりKさんとお話し、それから撮影で対面した。
画面越しのKさんは、最初は慎重に言葉を選んで
「じつは以前、性的マイノリティについてのテーマでふたりでメディアに出たことがあったんですが、プライバシー含め、約束と違う結果に終わり、取材に対して不信というかトラウマになってしまったんです。すみません」(Kさん)
メディアの都合のいいように勝手な進行をされてしまったらしい。それに……と、Kさんが言いにくそうに続ける。
「家族ってそんなにすごいことって僕は思ってないんです。死ぬときはみんなひとり、最終的にひとりって思っているところがあります。だから家族っていうテーマは、どこかむずがゆいんです」
取材に協力しても不愉快な気持ちになることが少なくない。民法で同性婚が認められていない現状で、家族にこだわっていないのに、あえて聞かれるとむずがゆいし戸惑う。その気持ちはよく理解できる。
では中津さんのほうはなぜ自らを公表し、取材を受け入れたんだろう。
「こんな言い方は失礼ですが、どんな誠実な方であっても、取材はどうしたって一部を切り取られる。百人百様で、自分の思ったようにはならないと思っています」(中津さん)
LGBT対象の相談支援活動を行うNPO法人の代表など、早くからメディアで自らを開示していただけに言葉によどみがなく、独特のわりきりも感じられた。彼は続ける。
「二十代の時、僕も“家族”というかたちやあり方について悩みました。自分が試行錯誤をした日々のことなどを話すことで、悩みや希望を共有できたり、微力ながら誰かの生きていく上での何かしらの支えになればいいなと思って、取材を受けました」
老後、誰かそばにいてほしいから家族を持つわけではない。家族とは、そのためにいてもらうものでもない、とふたりは口を揃える。
「ひとりでも満足。でも楽しいことやいろんな挑戦から生まれる喜びや苦労を分かち合える人がいるといいよね。相手がいるからできることがある。夢や挑戦を思いつける心強さ。そういう相手の存在を家族っていうのかなって、僕は思ってます」(中津さん)
現在、Kさん主導で互いに任意後見契約を結び、公正証書を作成中である。将来、自分になにかあったとき、相手に財産を残せるようにしたかったからだ。僕たちは通常の家族とは違うから、とKさんはその理由を語る。
「僕は最近、大きめの買い物をしたのですが、そういうものも、僕が死んだら中津は蚊帳の外になってしまう。これだけ長い時間一緒にいて、幸せな時間を過ごしたのに中津が“その他のひとり”になってしまうのは違うなと。中津がいるからできたことがある。いつ死ぬかわからないけど、中津が幸せに生きていけるならいいなと思って証書をつくりました」
最終的にみんなひとりと言ったKさんは、だからこそ残された相手がひとりでも困らないように30代の今から準備をはじめている。
私は再び自問自答する。
—— 家族とは、親が命をかけて子を守るような間柄だけをいうのだろうか。
親を傷つける不安より、大切な人には伝えたいという想いが勝った
前回詳述したがKさんは昨夏、両親にゲイであることをカミングアウトした。
長く、「死ぬまで言わないでおこう。知らずに死んだほうが親は幸せだ」と信じて生きてきた。
だが、恋人と出会って変わった。
学生時代から名前を公表してさまざまな社会活動をしてきた中津さんは、すべてを知るシングルマザーの母とも仲がいい。
「中津とお母さんのふたりの関係を見ていいなあ、僕も言ってもいいかもしれないと少しずつ思いはじめたのです。親に言って傷つける不安より、大切な人には言いたいという欲求のほうが大きくなった」
しかし、父はゲイのタレントも苦手な頭の硬い人で、実家に帰るたび逡巡し、勇気がなく、ああ今回も言えなかったと「しょんぼりしながら」(Kさん)東京に帰ることが続いた。
2019年7月。
帰省した最終日の午前中、家を出る寸前でようやく「実はね」と切り出した。
意外にも理解のありそうだった母がトイレに立ち、涙をぬぐっていた。父は「お父さんはそういうのをとくに変だとは思ってないから。自分を信頼して生きたいようにすればいい。お父さんとお母さんは応援するから。言ってくれてありがとう」。
息子の勇気とセクシャリティを母より早く理解した。
8月。不安になっているだろう親を東京に呼び、中津さんと引き合わせた。頭がきれ、喋りが明晰で底抜けに朗らかな中津さんを、父は驚くほどすぐに気に入り、意気投合。母は、はきはきした彼とのんびりした息子を見比べ、こっそりささやく。「あなた、尻に敷かれるわね」
帰りがけ、父はほほえみながら言った。
「お父さんは、息子がふたりに増えたと思っているよ」
Kさんは少し照れくさそうに、かたわらの中津さんを指してつぶやいた。
「あの時両親にカミングアウトできたのは、この人の影響です」
LGBTの人々がみなこうできるわけではない。また、カミングアウトしなければ不幸でもない。僕はたまたまこういう人と出会ったのでと、Kさんは繰り返す。
「自分にないポジティブ思考を持つ人とたまたま一緒になれて、そのおかげで毎日楽しいし、幸せです。中津はもちろんだめなところもいっぱいある。だめなところは僕が支えないと、と思ってます」
撮影で会ったKさんの、中津さんを見つめる目はどこまでもあたたかかった。
こんな言葉は軽すぎて不本意だが、新しいかぞくの絆という糸をこれからもていねいに