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令和・かぞくの肖像 これは、これまでの時代、これからの時代における「社会×家族」の物語。

須賀・笹木家の場合 Vol.4
母を亡くした姉妹。とけた誤解と今後の夢

東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。

写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)

かぞくデータ
須賀澄江さん(81歳・母方祖母)
笹木千尋さん(34歳・孫・アルバイト)
佐藤奈々さん(27歳・孫・会社員、育休中)

取材日
Vol.1 「誰も入れぬ固いもので結ばれた、孫と祖母の物語」/2019年7月
Vol.2 「夫を亡くして百ヶ日。『日が暮れると寂しいの』」/2020年4月
Vol.3 「母の突然の死から13年。家族の心の穴を埋めようと必死だった日からの卒業」/2020年9月
Vol.4 2021年1月

かぞくプロフィール
澄江さんは江戸川区葛西で生まれ育つ。実家は海苔の養殖を営んでいた。義父母同居の近所に嫁ぎ、一男二女に恵まれたが、長女、次女を相次いで亡くす。現在は長男とのふたり暮らし。孫の笹木千尋さんは、次女の娘。千尋さんは高校時代に両親が離婚し、父のもとで育つ。うつ病の母は、実家である澄江さんのもとで暮らしたが、41歳で亡くなり、祖母と孫は互いの家を自転車で往来しながら、現在に至る。千尋さんは32歳で結婚。妹の奈々さん(27歳)は、23歳で結婚、二児あり。現在育休中。


 コロナ禍のため今回は81歳の澄江さんを案じ、千尋さんの7歳下の妹、奈々さんに登場願った。
千尋さんは3人姉妹である。次女は神奈川在住、三女の奈々さんは千尋さん宅から徒歩10分ということもあるが、彼女に取材を依頼した最大の理由は、「精神疾患の親を持つ子どもの心のケアをする勉強をしたい」と考えていると聞いたからだ。

 千尋さんは「妹は小さな子どもがふたりいて、仕事もして大変なのに自分のようにつらい思いをして苦しんでいる子の役に立ちたいとは、身内ながらすごいなと率直に心を動かされた」と、かつて語っていた。

 笑顔で現れた奈々さんは、かたときもじっとしていない2歳の女の子と1歳の男の子を追いかけながら、懸命に言葉をつむいだ。

「長姉は7歳上、次姉は5歳上。末っ子の私はいつも、家族の問題から蚊帳の外で事情を教えてもらえませんでした。両親が離婚して、母についていくことになった時、長姉のちーちゃんだけお父さんのところに残るというのも、当日の朝聞きました。え、なんで? って。母との暮らしが破綻した時に私たちが戻れる場所をつくっておくためだったと、この連載ではじめて知って。読んで泣きました。二番目の姉も泣いたと言ってました」

 家族だからこそ痛みを素直に言えなかったり、遠慮したり、気を使い合ったりすることがある。
「うちはそれが普通の家より多いと思う」と、千尋さんは言う。大好きな祖母の澄江さんに対しても、亡くなったお母さんに対しても。中1で母を亡くした奈々さんとて、同じだ。

「私達と一緒にお母さんについてこないって、なんて冷たい人だと、ずっと思っていました」
 胸の奥にしまったままの、あの時の「なぜ?」の答えがわかったのもつい最近なのだから。


「大丈夫だよ」と言ってほしかった

 奈々さんは母の死を知った時、ふたつの気持ちが去来した。
 もう突然学校に怒鳴り込みに来られたり、奇異な行動に悩まされずにすむのだという安堵感。そして、安堵感を抱いた自分への罪悪感だ。後者は今も続いている。

「母は30代に入ってすぐにうつを発病したので、姉たちは20代のうつでなかった母を知っているのです。私は物心ついたときから母が病気で、よそのお母さんとどこか違うと感じていた。その気持は徐々に膨らみ、亡くなった時は思春期まっただなか。母への不信感が大きかった。でも、それはうつ病に理解がなかったから。もっと接し方や対処法を知っていたら、優しくできたのにと悔いています」

 ちなみに次女の晶代さんは、街なかで同じ病気と思われる人を見ると、辛い記憶がフラッシュバックして避けてしまうそうだ。千尋さんは、お母さんの代わりに自分がしっかりしなくてはと気を張り続けてきた。
 三者三様に、母亡き後の心情は異なるが、3人とも結婚し、いろんなことが俯瞰して見られるようになった今、ぼつぼつとあの頃のことや母のことを話すようになったらしい。

「どうすればよかったのか。いまだに答えが出ないんです。でもきょうだいで話すことで消化しあっているところはあるかもしれません」(奈々さん)

 育休が終わり、4月から仕事に復帰する。働きながら、精神疾患の親を持つ子に寄り添うための勉強やサポートのあり方を探っていきたいと希望を語る。

「思春期の頃、母のことを誰にも相談できませんでした。言うのが恥ずかしかった。それは今の子も変わらないと思う。つらいから相談センターに電話する子なんて滅多にいない。気軽に、近所の人に相談するようなテンションで、なにかできないか。お母さんが悪いんじゃないんだよ、大丈夫だよって言うだけでもいい。私がそう誰かに言ってほしかったから」


葬儀屋の仕事をはじめた理由

 いっぽう千尋さんは、祖母澄江さんのめんどうをみるため、昨年広報として働いていた会社をやめた。ところが、公共の介護支援が手厚く、自分がやりすぎるのはかえって迷惑になると気づき、最近葬儀屋のバイトをはじめたという。

 前職とは全く違う分野だが、志望動機は明快だった。
「家族のかたちを見たかったのです。ご遺族にはいろんな家族がいる。送り方も人それぞれ。亡くなった人との関係を考えたり、死について深く考えさせられる。言い方は変かもしれませんが仕事はとても勉強になります」

 千尋さんも奈々さんも、それぞれのやりかたで、母と向き合い続けている気がした。あの時どうすればよかったかはわからないが、今同じ痛みを抱える人がいたら、寄り添いたいと考えているところは同じだ。

 千尋さんが母親代わりで頑張ってきたぶん、今度は奈々さんが「10カ年計画でちーちゃんの立場をのっとりたい」とはりきる。なんでも、年老いてきた父との同居を計画しているそうな。
 姉妹で、一番先に母親になったのも、「計画的」とのこと。「何でも蚊帳の外だった」末っ子が、いまは一番のしっかり者ですと千尋さんは眩しそうに言う。

 その千尋さんの目下の目標は、「祖母の葬儀を完璧に取り仕切ること。葬送曲のリクエストはもう聞いてあります。『木綿のハンカチーフ』だそうです」
 それはちょっと気が早すぎるのでは……。もっともっと祖母と孫の日々を定点観測させてください。

須賀・笹木家の取材写真
須賀・笹木家の取材写真
須賀・笹木家の取材写真
須賀・笹木家の取材写真
須賀・笹木家の取材写真
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左から、三女の奈々さん、千尋さん、次女の晶代さん、お話は千尋さんと奈々さんに伺った。

Vol.5へ続く

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2021/02/11

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