東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
サルボ恭子さん(47歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・51歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・25歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・23歳・準社員、塾講師アルバイト)
取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 「人はすべてをわかりあえないと知っている人の強さ」/2020年5月
Vol.3 「3人の親と、サプライズのバタークリームケーキ」/2020年10月
Vol.4 2021年2月
かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。成人した子どもたちはそれぞれ自立。恭子さんは料理家13年目。昨年より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。
Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot
「恭子の両親と一緒に住もうよ」。
地方で暮らす高齢の義父母を心配し、最初に提案したのは夫のセルジュさんだ。故郷フランスで、親や目上の人を大切にする風土で育った彼にとって、ごく自然な発想だった。
昨年からはじまった二世帯暮らしは、一階が恭子さんとセルジュさん、二階が恭子さんの両親。食事は基本別々だが、恭子さんが不在の時は察して「いないみたいだから、と色とりどりのきれいな和食を、お義母さんがつくって持ってきてくれます」と嬉しそうに語る。
来日27年。ちょうどフランスで暮らした歳月と同じになった。本国で日本人女性と結婚、日本へ来て二児をもうけた後に離婚。主宰するフランス語教室の生徒だった恭子さんと三年付き合った。
ある日、彼は言った。
「もうそろそろ一緒になりませんか」
「だったら、うちの両親のところに挨拶に来てください」
フランスでは、18歳以降はひとりの大人として扱い、なにごとも親は干渉しない。彼はたじろいだが、ここは日本。ではきちんとお話しましょうと出向いた。空気が肌にしみる冬の寒い日だった。
その日の印象を「びびりました」と、おかしそうに述懐する。
「当時は旅館を営んでいて、まず、こんな大きな家の娘さんだったのかと。彼女はあまりそういうことを言わなかったので。お義母さんは一歩下がってずーっと下を向いているし、お義父さんからは、うちの恭子のことはミカエル君やレイラちゃんにはなんと呼ばせますかと次々質問されて。ホントびびりました」
前妻との子らになんと呼ばせるかという問いに、きっぱりと彼は答えた。「絶対お母さんとは呼ばせません」。
“絶対”という言葉の強さに、今度は義父が“ビビった”らしい。
付き合う時も恭子さんにはっきり伝えている。
「僕はふたりの子の父親でもあります。今は子どもたちは前妻と暮らしているけれど、いつか一緒に暮らすこともあります」
また、はじめて子どもたちを彼女に会わせた時、子らに言った。
「恭子は君たちのママじゃない。パパの奥さんで、家族なんだ」
考え方も子どものしつけも、真面目で硬い、融通がきかないので日本では難しい時もある、と恭子さんが評するセルジュさんは、どんなテーマをなげかけても自分なりの筋が一本通っていて、ブレがない。二児を公立の小中高に通わせてきた日々には、折り合いが難しいことも多々あっただろう。
現に、授業参観や入学式、卒業式など学校行事が多いことに疑問を抱いているため、一度も参加したことはない。
小学生から一緒に暮らしはじめた恭子さんが、保護者会や受験相談を担った。
セルジュさんは、今度は私に明言した。「あの人には感謝しかありません」。眼差しはキッチンに立つ恭子さんに向けられている。
素直にまっすぐ育ったふたりの子どもたちについて、どう思うかという質問に対してだった。
皿を洗いながら彼女が言う。
「子どもたちのこと感謝してます、と最近よく言うんです。それも急にね」
だってそうだから。セルジュさんがつぶやく。
“思いやり”にぴったりはまるフランス語はない
「フランス語の教室では、生徒さんには必ず最初にこう言います。フランス語を習うなら、“私が何々をしたい”“私はこうです”と言うことからはじめてください。◯◯会社の私ではなく、私はこれこれこういう人間で、◯◯に勤めています、とね」(セルジュさん)
いかにも個人の意見を尊重する国の人らしい。伝える際は、あまり相手がどう思うかは考えないそうだ。
「たとえばテーブルは、ラ・タブルといいます。相手が間違えてル・タブルと言うと、フランス人は途中でさえぎってノンノンノン、“ラ・タブル”と訂正します。郵便局でも銀行でもどこでもそう。その言い方が強いから、日本人は傷つきやすい。でも違うんです。単に耳慣れない言葉が居心地悪いから正したいだけ。僕なんかこの前フランスで、三歳の女の子にノンノンノンって注意されましたからね」
相手を
「だからフランスで過ごした時間と同じ歳月が過ぎた今、思うんです。日本に来てよかったなって。僕は日本で“思いやり”を学んだ。思いやりが、僕を大人にしてくれました」
ほとんど日本語がわからないまま来日し、半年喫茶店で働いた時。
「お店の人もお客さんも、たどたどしい日本語を僕は一度も注意されたり直されたりしたことがありません。みんな必死で理解してくれようとしてくれた。なんて温かい人たちなんだろうと涙が出そうでした」
“思いやり”というフランス語もなく、訳すのもひどく難しいという。
しつけに厳しくポリシーを曲げない彼と、時に子どもたちや学校や保護者仲間の間に立ち、陰日向となってバランスを取ってきたのは恭子さんだ。今も彼と両親との間に立つ。彼女の相手を思う気持ちに支えられて、現在があることを、彼はよく理解している。
恭子さんはこの1年、コロナ禍で主宰の料理教室を休止した。緊急宣言が解かれた秋の終わり、1レッスン(同一献立で複数開催)だけ開いたとき、のべ100人が参加した。
生徒に「再開はたくさん悩まれたことでしょう、開いてくださってありがとうございます。先生の料理を食べたかった」と言われた。
「お金をいただいているのにそんなことを言われて、こちらこそありがとうございますと、胸がいっぱいになりました」(恭子さん)
一番嬉しかったのは、無事再開できたことでもたくさん来たことでもなく、人に喜んでもらえたことだった。
そんなふうに考えられる人だから、夫はふいに「感謝しています」と何度も言ったりするんだろう。
サルボ家の取材をはじめて2年4ヶ月になる。その間に子どもたちは自立し、恭子さんの両親と同居がはじまるなど、大きな変化があった。きっと変化の数だけ、「ありがとう」が増えている。そう言いあえる夫婦はどれだけいるんだろう。ある種の眩しさをいだきながら、定点観測を続けている。