東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
中津圭博さん(35歳・会社員)
Kさん(36歳・医師・男性)
取材日
Vol.1 笑った分だけ親身になれる、ふたりの10年/2019年1月
Vol.2 人はみな最後はひとり。だからこそ交わした、ある契約/2020年6月
Vol.3 傷つけられた記憶は消えない/2020年11月
Vol.4 コロナで人生が大きく方向転換/2021年3月
Vol.5 2021年7月
かぞくプロフィール
香川県出身の中津圭博さんは、高校時代に性的マイノリティを自覚。上京後はLGBTを対象に相談支援活動を行うNPO法人の代表や世界の食の不均衡をなくすNPOなど、精力的に社会的活動に参加。証券会社、運用会社を経て、今年7月7日ダイニングバーを開店。九州出身、医師の恋人Kさんとは25歳から交際。同棲8年になる。
中津&Kカップルの“舌の記憶”は生グレープフルーツサワーだ。数日前、中津さんが彼に尋ねた。
「今度の取材は思い出の味がテーマらしいんだけど、Kはなに?」
「なかっちゃんのつくるグレープフルーツサワー」
予想外の素朴な答えに、懐かしくて笑ってしまったという。
それはたしかに、ふたりにしかわからない舌の記憶だった。
ちょうど10年前、ふたりはゲイ同士の合コンで知り合った。好奇心旺盛で友達とワイワイ騒ぐのが大好きな中津さんと、穏やかで何事も慎重派のKさんは不思議と馬が合い、惹かれ合った。
付き合いだして間もないころ、安い居酒屋でKさんが生グレープフルーツサワーを頼んだ。運ばれてきた果実を「こうするとおいしいよ」と、中津さんはバイト先で聞きかじった方法で絞ってあげた。ひと口飲むと、彼は目を丸くして言った。「あ、ホントだ! ぜんぜん違う!」
取材では、建てたばかりの二人の新居でそれを再現してもらった。
「学生時代バイトしていた居酒屋で教わったコツは、グレープフルーツを絞り器にあてるとき、ねじらないこと。手でまっすぐ下方にギューって、ゆっくり押すんです。ねじると酸味や苦味が強くなっちゃう。時間がかかりますが、絶対このほうがおいしいんですよ」
22歳のとき、銀座の和食料理店で店長から教わったという。日常のなんでもない安酒を、ほんのひと手間で魔法のようにおいしくしてしまう恋人は、Kさんにどんなふうに映っただろう。
取材当日は中津さんだけに登場いただいたので、彼の気持ちは確認していない。
だが、料理上手な中津さんの数あるレシピからこの一杯を指定するところに、当時の初々しい感激がありありと伝わる。
じつは、至福のドリンクは中津さんの店「NAMONAKI SAKABA中野坂上店」で "『家族の肖像』を読んだ" と言えば特別に、緊急事態宣言解除後に味わえる。2021年7月7日プレオープン。同21日開店。長年打ち込んだ金融の世界から、飲食の世界に飛び込んだ経緯はVol.4に詳しい。
ねじらないコツを教えてくれたあの店長はその後独立、日本酒にこだわった飲食店を都内に複数展開している。仕事のあり方に疑問を持ちはじめていた中津さんは、休職していた際、料理の勉強をしようと無償で手伝いをしたのがきっかけで、「一緒にやらないか」と誘われた。
180度異なる世界での日々ははじまったばかり。しかし、疎遠になるかと思っていた前の会社からたくさんの人が訪れ、思いがけず前職時代はなかった新たなつながりが生まれようとしている。
友人知人を呼んだプレオープン期間を、「自分にとって貴重で、かつ不思議な時間だった」と形容する。
「自分がどういう人と付き合って来て、どういう人が残ったか。その人たちに自分はどう見られてきたのか。人生を振り返る機会になりました。まるで人生の精算を一回したような気持ちです」。
「僕も楽しんでるよ」
20代の頃から人が有機的に繋がれる場所をつくりたかった。前職の同僚や取引先の関係者、学生時代のNPOの仲間、ゴルフ仲間、シェアハウスに住んでいた頃のルームメイト……。初日の予約リストを見て、「バラエティに富んでるねえ」と板前に驚かれた。こんなにたくさんの友達、いつつくったの?と。
「やりたいやりたいと願っていたことが、今やっとできている。まだまだ修行中ですが、自分は人が好き。ただ儲かればいいというのではなく、みんなに喜んでもらえるような場所づくりをしていきたい」
入社してすぐ社員の目標設定から教育、人事、損益計算書作成、税金関連の業務など多岐に渡り携わっている。全く別の業界と思っていたが、金融時代に培ったスキルを発揮できる場所でもあると気づいた。
現在は、店の経営と本社業務をこなしながら、次の2店舗の準備と、コロナ禍で苦しんでいる地方の酒蔵や地鶏販売メーカーの支えになればと取引量を増やしている。
「このままだと体が持たないよ。気をつけて」と、Kさんから心配されている。何しろ9時から閉店まで働きづめなのだ。
そのKさんも、医師の業務を終えて帰宅すると、まず店に来て、空いた皿を片付けたり、換気や皿洗いを手伝うそうだ。
かつて、「人見知りで初対面の人と人間関係を築くのがちょっと苦手だった」と中津さんが評する彼は、私達取材陣がプライベートで店を訪れた時も、ニコニコと楽しそうに片付けをし、客らと談笑していた。
「僕なんかより彼のほうが変わりましたね。学生時代、ゲイの友人以外にはだれにもカミングウトしてなかったそうですが、今は両親にも同僚にもカミングアウトしてる。昔は、新しいことをする時は必ず石橋を叩く人だった。今は“いいね!”と一緒に面白がる。自分も疲れて帰ってきて、どこかに飲みに行きたいだろうに、僕のお店に来て皿洗いしてるのを見ると、自分の夢じゃないのに、よくここまで付き合ってくれるなーって……」
あるとき、Kさんにこう言われた。
「自分ひとりだったら、生きてくなかで絶対体験できないことを、なかっちゃんと一緒だと体験できる。僕も楽しんでるよ」
彼らを追いかけはじめて2年半が過ぎた。
この日の中津さんが一番忙しそうで息も絶え絶えだったが、一番充実して笑顔が美しかった。きっと仕事と暮らしと家族のバランスがうまくとれているんだろう。
ただ、ほぼ毎日夕食をともにし週に何度かは外食していたふたりは、もう数週間もどこにも行けていないらしい。
たまには恋人のためだけに、思い出の生グレープフルーツサワーをつくってあげてはと、老婆心ながら思ってしまう。なんに対しても頑張りすぎてしまう中津さんが、我々もちょっと心配です。