東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
蛭海たづ子さん(53歳・母・交響楽団員)
取材日
Vol.1 「いないけど、いる。いるけど、いない」/2019年7月
Vol.2 「欲のある母と、欲のない子どもたち」/2020年1月
Vol.3 「コロナで没む人、上がる人」/2020年7月
Vol.4 「夫が逝って3年。変わること変わらないこと。彼女の心の内」/2020年12月
Vol.5 「いつも誰かが悩んでいる3人きょうだい。今日は誰が?」/2021年4月
Vol.6 「あの人の蒔いた種」/ 2021年8月
Vol.7 「同棲、親子喧嘩、父の命日に母の誕生日。
蛭海家は今日も賑やか
」/ 2022年1月
Vol.8 「人生、一緒にいる人で自分が変わる」/ 2022年5月
Vol.9 2022年9月
かぞくプロフィール
ヴィオラ奏者のたづ子さんは、 音楽機材の業者である五歳上の涼さんと32歳で結婚。 3児をもうけたが、 2012年涼さんの大腸がんが発覚。 最後は自宅での緩和ケアを選び、 妻に看取られ2017年10月永眠。 長男舜君は21年10月から恋人と暮らしている。
三人きょうだいの長男・舜くんはコロナ禍に進学した英語の専門学校を、 リモート授業で級友と会えないまま夏前に中退。 以来2年半、 アルバイト生活を続けている。
ワーキングホリデーで働きながら英語を学びたいという目標のもと、 英検の勉強をぼちぼち続ける中、 昨夏よりアルバイト先の焼肉店で知り合った2歳上の恋人宅で同棲をはじめた。 「自分の21の頃なんてもっとひどかったから」 と自嘲するする母のたづ子さんは、 子どもの自主性に任せて口を出さない。 息子の彼女とも気さくに会ったり、 息子の焼肉店に長女たちと出かけたり、 父の命日に待ち合わせて家族全員で食事をしたりと、 良好な関係を築いている。
そんな舜くんが、 恋人と母親の関係を見聞きして、 最近つくづく実感したのは——。
「俺の親は言わなすぎだな、 と(笑)。 いや、 うすうすは気づいてたんです。 高校時代、 成績についてなにか言われたことも、 ああしろこうしろと言われたこともない。 一度だけブチ切れられたのは、 授業に出ずに家で寝てた時。 ベッドから叩き起こされ “お前何してんだ!” と殴られました (笑)。 外から見たら、 今の俺は学生でもない社会人でもない。 彼女のお母さんが不安になるのは当然なんです」
どうやら、 恋人の親からよく思われていないらしい。
家賃や光熱費すべてをふたりで出し合い、 家事は係を決めて分担。 「人生ではじめて生活のことをやっている」 という彼は、 毎日が学ぶことだらけだ。
「彼女は留学もしていたのでひとり暮らし歴が長く生活力が高い。 だから毎日怒られっぱなしです。 バイトの服と私服を一緒に洗濯するなとか、 下着はネットに入れるとか。 トイレの電気はこまめに消す。 実家にいる時あれほど使っていたコンビニも今は行きません。 高いから。 スーパーで倹約しながらトイレットペーパーとか少しでも安いものを探します」
付き合う前はバイト代をすぐ使い果たし、 ワーキングホリデーのための渡航費用をなかなか貯められなかった。 現在は、 彼女の助言で家計簿をつけはじめた。 英検の勉強も疎かになっていたので、 時間の使い方にも厳しい指摘が入る。 この取材をはじめた高校生の頃もガールフレンドはいたが、 生活を語る彼の表情には当たり前ながら大人の気配を帯び、 今の恋人の存在がいかに大きな刺激を与えているかがよくわかる。
ただ、 率直なひと言が胸に響いた。
「今いちばん悩んでます」
「ご飯食べる?」
「英語の勉強もやると言いながらやったりやらなかったり有言不実行。 ワーホリも彼女と付き合いはじめて、 行くのをやめた。 彼女には “行って” と言われたけど、 内心寂しいのがわかるし、 なにより俺がふたりでいたかったから。 彼女はある程度就職先のあてがあるけれど、 俺はやりたいことがない。 金のために就職してがむしゃらに働くのもありかもしれない。 でも男として本当にそれで良いのか。 もう1年だけやりたいことを探すか。 ……ルールやふるまいに厳しい父が生きていたら、 今の自分はなんて怒られるんだろうと想像することがよくあります」
彼女の親にきちんと認められたい。 不安を覆したい。 気持ちばかりが焦る。
昔から実家に遊びに来ては親戚のようにかわいがってくれている父の親友たちからは、 正月などに会うと 「お前そろそろきちんとしろ」 「こういう本読め」 「お前そんなんじゃだめだぞ」 と、 口々に言われる。 舜君いわく 「小言親父」 だ。
「母は、 あんまり気にするなっていうんだけど、 俺、 小言親父たちの小言、 正直嫌じゃないんです。 父がいない分、 半年に一度くらい真面目に怒られてもいいなって」
舜君に限らず、 この家の子たちは素直だ。 表面的にではなく三年間、 個々と話せば話すほど強く感じる。
自分が何者か。 何をよすがに生きていくべきか。 学生という公然のモラトリアム時代を手放したことで生じた行きどころのないもやもやを、 父なき今もあたたかく見守る大人が複数いることは、 彼にとって最大の幸運だ。
「はい、 そう思います。 母も彼女も、 俺は本当に人に恵まれてるなって思う。 だからどうそこに甘えず、 自分にも甘えないでやっていくか悩む。 今が人生の考えどころなんですよね」
取材に合わせて答えなど用意できない。 自分の21歳を振り返ってもそうだった。 思わず拙い体験談を話すと、 「そうなんですね。 うんうん。 へえ転職は26かあ」 と真剣に耳を傾ける。
天国の父に伝えたい。 まだまだたくさん迷い続けるでしょうが、 お子さんはまっすぐの瞳で相手の話に耳を傾ける類まれな素直さを持ち合わせている。 あなたが与えた贈り物が、 きっと確かな後ろ盾になってくれるのではないでしょうか。
ところで去年の11月、 突然気が向いてひょこっと半年ぶりにひとりで実家に帰った。 連絡なしに現れた息子を見ると、 たづ子さんが言った。
「ご飯食べる?」
驚いたふうでも、 今どうやって暮らしているのかでもなく、 いつものように。
「その日? サバの煮込みとご飯と味噌汁でした。 この人すげえなって改めて思いました」
はっきり献立を覚えていた。 母として腹をくくって息子を信頼しているのが嫌でも伝わったに違いなく、 こういう子はそうそう投げやりな生き方はしないだろう、 だから悩むんだろうなと思った。