東京で暮らす4組の家族を、定期的に取材。
さまざまな「かぞく」のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
サルボ恭子さん(50歳・料理研究家)
サルボ・セルジュさん(夫・54歳・フランス語教師)
サルボ・ミカエルさん(長男・27歳・会社員)
サルボ・レイラさん(長女・25歳・会社員)
取材日
Vol.1 「家族だけど母じゃないという時間がもたらしたもの」/2019年11月
Vol.2 「人はすべてをわかりあえないと知っている人の強さ」/2020年5月
Vol.3 「3人の親と、サプライズのバタークリームケーキ」/2020年10月
Vol.4 「来日27年。彼が日本で学んだものは」/2021年2月
Vol.5 「彼女はまたがんになるかもしれない。でももう僕は大丈夫」/2021年6月
Vol.6 「3人の親がいてよかった。26歳の回想」/2021年11月
Vol.7 「どんな老い方や人生の閉じ方をしたいかを前向きに考える」/2022年3月
Vol.8 「母と息子、最後の一日」/2022年7月
Vol.9 2022年11月
かぞくプロフィール
フランス語教師、セルジュさんと32歳で結婚。前妻の二子、ミカエルさん(当時小3)、レイラさん(小1)と家族に。 成人した子どもたちはそれぞれ自立。 恭子さんは料理家14年目。 '20年より実家の両親を呼び寄せ、二世帯住宅で暮らしはじめた。
Facebook:サルボ恭子 official
Instagram:@kyokosalbot
大学卒業から一年半、 レイラさんは本当にやりたい仕事が見つからず、 アルバイトをして暮らしていた。 実家から独立しているので、 セルジュ・恭子夫妻と会ったのは久しぶりだ。 家族それぞれとは、 LINEで頻繁にやり取りしている。
ある日、 趣味の絵画のポストカードをインスタにあげると、 「社員募集」 の広告がポップアップ表示された。 ターゲティングと呼ばれる、 投稿やユーザーの属性、 関心に基づき自動的に配信されたものだ。 モダンアートや現代アートを扱う銀座のギャラリーだった。
「もともとアートが好きで、 美術館に行った投稿などをあげていたので、 そのせいでしょうね。 私、 7月にコロナになったんです。 バイト先の規定で1カ月休まなくちゃいけなくて、 家にずっといて。 なにか、 行動を起こそうと思いはじめていた頃で。 8月にそのインスタを見つけて、 すぐ応募しました」 (レイラさん)
社歴のある大きな会社で、 採用担当者に 「とりあえず面接に来てください」 と言われた。
「オンラインの指定でないところが良いな、 と思いました。 対面じゃないとわからないことってあるから」
3次面接まで進み、 ある絵画について接客文を考えてきてくださいという課題が出た。
彼女は困り果て、 家族それぞれにLINEで助けを求めた。 そこまでレイラさんが話すと、 他の3人が顔を見合わせる。
ミカエル : 「そのLINE来た来た! えー、 みんなに送ってたんだ。 恭子はなんて返事したの?」
恭子 : 「文章が送られて来たから 『私が直して書いちゃダメじゃん』 って」
全員 : 笑
恭子 : 「だってそれで採用されても嘘になっちゃうじゃん。 だから、 レポートじゃなくてセールストークにしなきゃダメだよっていう助言だけ」
ミカエル : 「僕のところは、 “パリって聞いて何を思う?” っていきなり」
レイラ : 「パリを描いた作品だったから」
ミカエル : 「だから、 ひたすらバスティーユやマリー・アントワネットについての歴史を書いた」
セルジュ : 「僕にはメール来てないなあ。 いつもそうなんです。 僕以外のこの3人で、 なんかやってる」
恭子 : 「人づてに聞くのが、 このお父さん、 いちばん寂しいのよね」
レイラ : 「そのあとパパにも話したじゃん」
セルジュ :「あー、 そうだった。 それで返事しました。 『自分で考えるものじゃないですか?』 って」
全員 : 爆笑
そうこうして無事入社。 3ヶ月の試用期間を経て、 年明け1月より正式採用となる。
海外のアーティストのアテンドやホームページの解説の翻訳、 もちろん接客もある。 先日、 はじめて高価な作品を売ったらしい。
とにかくこの日のレイラさんは雄弁で、 気持ちが定まった20代特有のキラキラした輝きが、 表情や全身から発光しているように美しかった。
じつはこうして4人揃って話すのは一年ぶりだそう。 人生に迷っていた末っ子の新しい出発を、 全員で喜んでいるのが手にとるように伝わってきた。
ミカエルさんは言う。
「画廊の面接を受けるって聞いたとき、 ああいいなあって思いました。 僕は、 絵とか美術とか縁がないので。 素晴らしいんじゃない? って、 レイラにも言った。 自分の力で仕事を見つけて、 彼女にも自信がついたと思う」
とはいえまだ2カ月。 上司の中には、 絵の解説や画家の略歴を、 無理に覚えなくてもいいという人もいる。 絵に正解はない。 自分の言葉で、 思ったことをお客さまに説明してもいいのだ、 と。
しかし、 レイラさんは。
「どういう背景で描かれたかは知っておきたい。 その上で自分の言葉で説明をしたいのです。 だから今は少しでも時間を見つけて、 勉強をしている真っ最中です」
前職は食品店で、 接客も担った。 気持ちの面で、 どんな違いがあっただろうか。
「食品は、 日常に必要不可欠なもの。 絵はなくてもいいもの。 それでも必要としてくれている人がいる。 だからこそ、 喜びとやりがいがあります」
じーっと、 はじめて彼女の仕事の話に耳を傾けるセルジュさんと恭子さん。 コメントを求めると、 彼は 「言ってることが、 大人になったなあ」。
恭子さんは、 「感無量です。 悩んでいるとこ、 知ってるから。 自分で一歩も二歩も踏み出して、 試験を受けて、 採用してもらって……。 もちろんそこがゴールじゃないですけど、 絵について話している姿や、 自分の言葉で話す姿に……もうホント良かったなと。 それだけです」
レイラさんにとって、 血の繋がらない母である恭子さんはどんな存在なのか。 取材をはじめてから3年間、 なかなか聞く機会を持てずにいた。
感無量と答える恭子さんと、 真っ先に試験のことを相談したレイラさんの話を聞いて、 そんな質問は無用だと悟った。 人生の相談相手、 自分の喜びや悲しみを我が事のように受け止めてくれる大人の女性が、 この世にふたりいるのは、 とっても素敵なことだ。
「辛くても、絶対いつか役立つ」
変化があったのは妹だけではない。 ミカエルさんも、 9ヶ月前にアパレルブランドから、 フランス系の広告代理店に転職した。
彼もまた、 1年前の取材では 「やりたい仕事ができていない」 と語り、 深いトンネルの中にいた。 フランスと日本を行き来して、 パイプ的な役割を果たしたかったが、 コロナで渡仏が不可能に。 自分の活躍の場がなく、 もやもやしていた頃、 親戚の誘いもあり現在の会社の試験を受けた。
3次面接も無事クリアし転職できたが、 服をつくって売る仕事から “マージン” がすべての世界へ。
「わからない言葉だらけで、 もう必死です。 今もなんとかぎりぎりやっているって感じで。 なにせ、 広報と広告の違いもろくにわかっていませんでしたから」
屋外広告、 デジタル広告、 セールス。 広告のしくみも実践の場で覚えていく。 ものすごいスピードで仕事が進み、 同時にいろんなクライアントのことを考えて行動せねばならない。 仕事量が膨大で、 帰宅はいつも夜遅い。
「広告は超資本主義。 矛盾を感じることがなくはないですが、 今辛くても、 広告業界で学んだことは、 無駄にならない。 絶対次に生かせると思うんです。 何をするにも、 広告宣伝って欠かせませんから」
傍らの恭子さんがぽつりとひとこと。 「なんか大人なこと、 言ってる」。
ミカエルさんは、 生き生きと語る。
「たとえば僕も料理が好きだから、 将来何かやりたいという時に、 今の経験が役立つと思うんですよね。 それに、 世の中にはどうやって PR していいかわからない人が、 たくさんいます。 前の会社にいた時に、 なんでだろうってジレンマを感じていたことが、 今の会社にきて “ああ、 こうすればよかったんだ” とわかる。 広告で解決できることって、 たくさんあるとわかったのです」
フランスの大学に留学していた時、 級友の多くがビジネススクールを併用していた。 ミカエルさんは、 地理を勉強しに行ったので 「なんでビジネスなんて、 勉強するんだろう」 と不思議に思っていたという。
「今ならわかるんですよね。 ビジネススクールで学ぶ大切さが。 僕はお金をいただいて、会社で勉強させてもらってる。 ありがたいです」
セルジュさんは相変わらず黙って聞き入り、 表情が読めない。 子どもの自立を早くから促していた彼にとって、 これは自然で、 当然の成長なんだろうか。
と思ったら、 「今日、 コインランドリーで、 居合わせた日本人とおしゃべりしました」。
相手に聞かれたので、 セルジュさんは自己紹介をしたらしい。
「ふたりの子どもが自立してくれてホッとしていると、 何度も言いました。 自分たちの世界で生きるのは、 とてもいいことです」
恭子さんは、 「取材じゃないとこんなこと、 聞けません。 ありがとうございます」 と頭を下げた。
そして、 冗談交じりにもう一度同じ言葉を使うのだった。
「感無量です。 もう死んでもいいです。 それぞれに生きていけるなって思ったから」