Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
東陽町は何年か前まで私にはまったく縁のないエリアだった。
年に数回行くようになったのは、そこに竹中工務店の財団が運営する「ギャラリーA4(エークワッド)」という「建築」を中心にした優れた企画の展覧会が行われるギャラリーがあるからだ。
このギャラリーの活動目的は「建築文化の発信」で、文化、歴史、環境、教育などさまざまな現代社会を取り巻くAtomosphere(周辺の事象)への思いを「建築」を中心に構築した企画として建築を専門とする人はもとより一般の人へ解りやすく伝えることだという。
この数年でも、中村好文と職人たちとの「建築家×家具職人 コラボレーション展」(2016~2017年)、「マリメッコの暮らしぶり展」(2017年)、「ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』展」(2017年)、「イームズ・ハウス:より良い暮らしを実現するデザイン展」(2019年)、「AINO AND ALVAR AALTO Shared Visions アイノとアルヴァ 二人のアアルト 建築・デザイン・生活革命展」(2019年~2020年)、最近では「マギーズセンターの建築と庭展」(2020年)など印象に残る展示が多かった。
建設会社の財団だけあって展示会場には部屋が構築されていることもあり、マリメッコの展示では特製の茶室の中での茶会も開かれたし、マギーズセンターの展示ではリチャード・ロジャース率いるRogers Stirk Harbour+partners 設計のウエストロンドンにあるマギーズの建築とダン・ピアソンのデザインした庭園の一部が再現されていた。
子どもたちがその中で愉しんでいる光景を目の当たりにすると、このギャラリーの姿勢に感服せざるを得ない。
10月2日からギャラリーA4で「フィリップ・ワイズベッカーが見た日本─大工道具、建物、日常品 展」がはじまった。
ワイズベッカーは独自の視線であらゆるものから「美しさ」を見つけ出し、定規で引いたミニマルな鉛筆の線によって不思議なパースペクティブを生み出し「美しさ」を構成し直す作家だ。
時を経た建物や、工夫から生み出された道具や機械、日常にある使い込まれたもの……。彼の興味はその構造や仕組みにまで踏み込んでいく。
描かれたものは古いものが多いが、これは過去への憧憬とはまったく異なるものだ。
今回の展示テーマは「Inside Japan」で、ワイズベッカーの見た「日本と日本人の暮らし」。日本の日常の中に何気なくあるものの魅力を彼独特の感性と手法で表現したものだ。
構成は「大工道具」「木材」「畳」「たてもの」「トラック」「柵」「看板」「日常品」などに分類され、彼のアトリエ内の写真と、筆記用具やコレクションの一部、スクラップブック、そして13分に編集されたアトリエでのインタビューフィルムも上映されている。
彼の作品展は度々見たことがあるが、今回は彼自身の身の回りや製作に至るまでをフォーカスしたはじめての展覧会ではないかと思う。
大工道具の新作が展覧会のメインビジュアルになっているのにはこんな経緯がある。
竹中工務店は消えてゆく大工道具を民族遺産として収集・保存し、研究・展示を通じて後世に伝える目的で、1984年に日本で唯一の大工道具の博物館「竹中大工道具館」を設立した。
その創立30周年を記念して2014年に新神戸駅近くに移転。その時に館のシンボル・ビジュアルをワイズベッカーに依頼したそうだ。
展示会場に飾られている最初の4点 曲尺、墨壺、鋸、鉋の絵がそれだ。
木材を描いた斬新な新作もある。
そしてそれに続く「大工道具」の大作はこの展覧会のために今までにない手法を用いていて圧巻だ。
この「畳」シリーズは以前、CLASKAでの展示でも見たことがあるが、ワイズベッカーによると浮世絵に描かれた建築から人物を排除して生まれた絵だという。絵巻物などによく見られる吹抜屋台と呼ばれる技法も彼が描くと遠近法を用いないアクソメ図のように見える。
宮大工が日本古来の大工仕事でつくり上げた社、明治期に建てられた西洋建築を真似た煉瓦作りの洋館、それに加えて目黒通りの倉庫と思わしき「たてもの」もあった。神社の拝殿傍の授与所(売店)も、寺社建築を真似たトイレまで描いているところがワイズベッカーのワイズベッカーたる所以だ。
彼は、はじめて日本で電車に乗り京都から大阪に向かう車窓から見える家並みを眺め続けていた時のことをこう書いている。京都でいくつかの美しい寺を訪れた後のことだ。
「ずっと続くちぐはぐに並んだ住宅、街頭で複雑に絡み合う網目状の電線、屋上のいびつな給水塔など、通り過ぎる風景にぎょっとしていた。
その数日後、自分が目にした光景を友人に伝え、日本の見事な伝統建築が、これほどまでの構造的カオスと共存できていることに、どれほど驚いたかを話した。すると返ってきた答えは……『日本人は文脈にはこだわらず、美にだけ目を向けるんだよ』。日本の地に足を踏み入れたとたん恋に落ちてしまった理由を、そのとき一瞬にして悟った。」(展覧会 メッセージより)
すでに評価されている美と同等に、ささいなものや平凡なものの中にも美を感じる彼にとって、日本はその両方を提起してくる不思議なところなのだ。
彼の手にかかると、見慣れたはずのとるに足らないようなものが、見たこともない斬新なかたちとなって迫ってくる。
そしてこの展覧会でのもう一つの大きな収穫は、彼のアトリエの全貌を知ることができる仕掛けがあることだった。
実物大に引き伸ばされたアトリエの室内や、引き出しの中の写真。アトリエから運ばれて展示されている文房具などもある立体的な展示だ。
昨年引っ越したばかりのパリのアトリエ内を彼が案内してくれる映像は、何度何度も繰り返して見入ってしまった。
「紙」「鉛筆」「テープ」「定規」工具や自作の家具、その棚に収められたコレクションなどを一つひとつ丁寧に説明しながら見せてくれる。
ここで和紙に描くことやノコギリについて話す彼の言葉が印象的だった。
和紙や日本の紙が納められた引き出しを開けて、
「私の紙に対する愛を知った日本の友人たちが贈ってくれた日本の紙はあまりにも素晴らしくて美しいので、なかなか使い出せなかった。和紙は描いては消す私の手法に向いていなかったからです。けれど、気に入らない部分は切り取りそこに新しく紙を貼り付ければ新たに絵を完成できる。そこに興味深いアッサンブラージュが生まれるのです。」
壁にかけられた使い慣れたノコギリの前では
「日本のノコギリを使い出して知ったのですが、欧米では押すけれど、日本では引いて切るという違いがあります。私にとっては引くほうがずっと使いやすく、簡単にスパッと繊細な切り口にできるのです。」
彼は日本の友人から贈られた和紙に描くことによって日本の紙を理解し、日本のノコギリを使うことによって、道具を通じて日本の職人が感じる手応えを追体験する。
異文化に素直に向き合うための真っ直ぐな姿勢を見せつけられたような気持ちになる展示だった。
それにしても、彼の周囲に思慮深い日本の友人たちがいることは新しい作品を待ち望む我々にとってなんと幸運なことだろう。
<関連情報>
□「フィリップ・ワイズベッカーが見た日本 大工道具、たてもの、日常品」
「ギャラリーA4」にて2020年11月20日まで開催中。
住所:東京都江東区新砂1-1-1 竹中工務店東京本店1F
開館時間:平日10時~18時(土曜・最終日は17時まで)
休館日:日・祝休館、10月10日(土)、10月24日(土)、11月7日(土)
http://www.a-quad.jp/exhibition/exhibition.html
□ギャラリーA4
http://www.a-quad.jp
・中村好文×横山浩司・奥田忠彦・金澤知之「建築家×家具職人 コラボレーション展」(2016~2017年)
http://www.a-quad.jp/exhibition/081/p01.html
・「マリメッコの暮らしぶり展」(2017年)
http://www.a-quad.jp/exhibition/087/p01.html
・「ヴァージニア・リー・バートンの『ちいさいおうち』展」(2017年)
http://www.a-quad.jp/exhibition/083/p01.html
・「イームズ・ハウス:より良い暮らしを実現するデザイン展」(2019年)
http://www.a-quad.jp/exhibition/095/p01.html
・「AINO AND ALVAR AALTO Shared Visions アイノとアルヴァ 二人のアアルト 建築・デザイン・生活革命展」(2019年~2020年)」
http://www.a-quad.jp/exhibition/100/p01.html
「AINO AND ALVAR AALTO Shared Visions アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話」(開催予定)
https://www.aino-alvar.com
・「マギーズセンターの建築と庭展」(2020年)
http://www.a-quad.jp/exhibition/101/p01.html
□竹中大工道具館
https://www.dougukan.jp
□フィリップ・ワイズベッカー書籍
・『フィリップ・ワイズベッカー作品集』(PIE international 刊)
https://pie.co.jp/book/i/4981/
・『WAGON』(FOTOKINO刊)
・『JOYO OH』(FOTOKINO刊)
・『HAND TOOLS』(888ブックス 刊)
・『INTIMACY』(ハモニカブックス 刊)
・『MARC’S CAMERAS』(ハモニカブックス 刊)
・『ACCESSOORES』(ハモニカブックス 刊)
https://888books.shop/?category_id=5e8fe7ca2a9a420c441a1a7f
・『Structure Series』(Nieves刊)
・『Adirondacks』 Nieves刊
https://utrecht.jp/collections/all/products/adirondacks-philippe-weisbecker
・『ワイズベッカー の日本郷土玩具十二支めぐり』(青幻舎刊)
http://www.seigensha.com/newbook/2018/10/11131625
・『あさ・ひる・ばん・茶』 長尾智子著 フィリップ・ワイズベッカー挿画(文化出版局 刊)
料理研究家の長尾智子さんが撮りためた写真をもとに、フィリップ・ワイズベッカーが描いた20数点の絵が挿入されている。細かく丁寧に色鉛筆で描き込まれたワイズベッカーにしては珍しい写実的画風。かつてプッシュピン・スタジオのビジュアルワークに魅せられたということがうなずける。
https://bureaukida.com/あさ・ひる・ばん・茶/