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TOKYO BUCKET LIST. 都市の愉しみ方 お菓子から建築、アートまで歩いて探す愉しみいろいろ。

第35回:二人のアアルト

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


北欧にはじめて行ったのは8年ほど前、名建築を訪ねることだけが目的だった。

スウェーデンではグンナール・アスプルンドの「夏の家」、「森の墓地」、「ストックホルム市立図書館」、「スカンディア・シネマ」などを巡り、続いてフェリーでフィンランドに渡り、アルヴァ・アアルトの「マイレア邸」、「パイミオのサナトリウム」、「アトリエ・アアルト」、「アアルト自邸」、「ヘルシンキ工科大学」などを見て廻った。

飛行機の窓から見える風景
写真:筆者提供
北欧の旅の写真
左)ストックホルムから約70km、ステンネースにある背後に花崗岩の岩山、南面にフィヨルドを望むグンナール・アスプルンドの「夏の家」(1937年)。右)フィヨルドに桟橋が突き出ていてボートの船着き場になっている。 写真:筆者提供
北欧の旅の写真
左)アスプルンドの代表作ともいえる「森の墓地」(1918-20年)。火葬がまだ普及していない時代、アスプルンドがつくり出したランドスケープのなだらかな丘を歩きながら、人々は「死者の魂が森へ還る」ことに得心させられる。 右)直方体に円柱を乗せたようなアスプルンド設計の「ストックホルム市立図書館」(1928年)。 写真:筆者提供
北欧の旅の写
ストックホルム市立図書館内部。円柱内部は高窓から自然光が入る吹き抜けの大空間。3層の書架が360度ぐるりと壁面にめぐらされている。 写真:筆者提供

アートやデザインは作品を運搬し展示することができるが、建築はそうはいかない。
設計図や模型、写真などで少しは理解できたとしても、その土地へ足を運ばなければ、建物の本質は分からない。
だから建築は見に出かけるのが一番だ、と今でも思っている。

『アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話』展看板
写真:筆者提供

現在、『アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話』展が「世田谷美術館」で開催されている。
この展示の企画のスタートは、2016年に「ギャラリーA4」で開催されたアルヴァ・アアルトの妻アイノに焦点を当てた『AINO AALTO(アイノ・アールト) Architect and Designer―Alvar Aaltoと歩んだ25年―』展であり、2019年同ギャラリーで開かれた『「アイノとアルヴァ 二人のアアルト 建築・デザイン・生活革命」Small is beautiful - ideal homes for everyone 小さな暮らしを考える』展を発展させたものだ。

アアルト表紙

YouTube > AINO AALTO Architect and Designer ―Alvar Aaltoと歩んだ25年―
YouTube > AINO AND ALVAR AALTO Shared Visions

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト
ニューヨーク万国博覧会フィンランド館で図面を見る二人。 アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト、1937年 Aalto Family Collection, Photo: Eino Mäkinen

この企画の立案者である「ギャラリーA4」副館長・主任学芸員の岡部三知代氏は、展示の意図を「アルヴァ・アアルトの業績としてブランディングされてきたアアルト建築をアイノの関わりから紐解くと、彼らが生きた時代そのものの需要や、建築家としてのミッションがより一人一人の国民の暮らしに根ざしており、彼らは決してそこから離れなかったことが分かると思います。」と語る。
ギャラリーA4の着眼点、企画力、そして建築を伝えるためのさまざまな工夫には、いつもながら感服する。

世田谷美術館での展覧会は、二人の出会い、二人が影響を受けたイタリアへの旅、家族の為にアイノが設計した小さな夏の家「ヴィラ・フローラ」、そこで過ごすファミリーのフィルムなどからはじまる。

アイノ・アアルト、ヴィラ・フローラ水彩スケッチ
アイノ・アアルト、ヴィラ・フローラ水彩スケッチ、1942年 Aalto Family Collection

最初の家であるトゥルクの自宅兼事務所、「最小限住宅展(1930年)」の小規模アパートのレイアウト、子どもの生活空間などの再現は、「彼女が加わったことで、アルヴァの作品は使いやすく心地よいという『暮らしを大切にする』視線が加わり、空間に柔らかさや優しさが生まれたといわれています。そのことが、彼を世界的建築家の道へと歩ませたといっても過言ではありません。彼の作品が、モダニズム建築の流れのなかで、ヒューマニズムと自然主義という位置を占めるのはアイノの影響が大きかったのは確かでしょう。」(岡部三知代「AINO AALTO(アイノ・アールト) Architect and Designer―Alvar Aaltoと歩んだ25年―」リーフレットより)
という説明と呼応して説得力がある。

アルヴァ・アアルトのトゥルクの自宅兼事務所、最小限住宅展(1930)の小規模アパートのレイアウト写真
展示会場の様子。左)アイノがデザインした子ども用家具の置かれた子ども部屋。トゥルクの自宅兼事務所の再現。右)「最小限住宅展」(1930年)の小規模アパートのレイアウト。ダイニング・ルームに続くビングルーム。テーブルはアイノ、椅子、ソファーベッド、壁つけ棚はアルヴァのデザイン。 写真:筆者提供

そして木材曲げ加工の技術革新というブースでは、森の国ならではの木工椅子の工法が詳らかになる。

「木材曲げ加工の技術革新」ブース
展示会場の様子。「家具のデザインにおいて根本的な問題となるのは、その変遷や実用性から見ても、垂直部材と水平部材をつなぐ部分である。それはスタイルを決定づけると言ってもいいであろう。水平レベルと接続しているという点では、椅子の脚は、建築の柱の妹分のようなものである。」アルヴァ・アアルト(1954)。 写真:筆者提供
ヴィーブリ図書室の椅子「スツール60」
展示会場の様子。アアルトのL-レッグの代表的な椅子「スツール60」が大々的に披露された「ヴィープリ図書館」(1927~35年) 左は「402 アームチェア」(1933年)、右は「68チェア」(1935年)。 写真:筆者提供
ヴィープリの図書館 講堂
ヴィープリの図書館 講堂 Alvar Aalto Foundation
アルヴァ・アアルト「スツール60」
アルヴァ・アアルト、スツール60、1933年デザイン Alvar Aalto Foundation
うねる壁面
展示会場の様子。 写真:筆者提供

家具の展示の裏はこのようなうねる壁面になっていて、アアルトのこの言葉が記されている。

「私の家具は単独で生まれる事はほとんどない。ほぼ例外なく、建築プロジェクトの一部として、公共の建物、上流階級の邸宅、労働者の住宅などさまざまな設計の中で家具をデザインしてきた。建築とともに家具をデザインするのは楽しい。」 アルヴァ・アアルト(1954)

この言葉通り名作「パイミオ チェア」は結核療養所「パイミオのサナトリウム」のためにつくられた椅子だ。

アルヴァ・アアルトによる「パイミオ チェア」
アルヴァ・アアルト、41 アームチェア パイミオ、1932年デザイン Photo: Tiina Ekosaari Alvar Aalto Foundation
病室の消音設計された洗面器の解説図
病室の消音設計された洗面器の解説図/パイミオのサナトリウム、1933年 Alvar Aalto Foundation

北欧に訪ねたアアルトの建築の中で最も心打たれたのはこの「パイミオのサナトリウム」で、人里離れた針葉樹の林の中に忽然と現れるモダニズム建築。1930年代でも、まだ結核の養護療法は外気浴と日光浴に限られていたことがしのばれる。

パイミオのサナトリウム
写真:筆者提供
パイミオのサナトリウム
サナトリウム最上階からの眺め。 写真:筆者提供
パイミオのサナトリウム
左)病棟の床は黄色のリノリウムが貼られ、掃除がしやすいようにコーナーはR形状になっている。右)飛沫を散らさず消音効果をもつように設計された洗面台と、特別にデザインされた痰壷(たんつぼ)。 写真:筆者提供
パイミオのサナトリウム
左)病室窓は二重ガラスになっていて冷たい空気が直接室内に入らないような工夫がなされている。右)ドアハンドルは患者服や白衣の袖が引っかからないようなデザイン。 写真:筆者提供
エイノ・カウリア/アルヴァ・アアルト、パイミオのサナトリウム1階天井色彩計画
エイノ・カウリア/アルヴァ・アアルト、パイミオのサナトリウム1階天井色彩計画、1930年頃 Alvar Aalto Foundation

病室棟、職員の住宅、食堂、図書室など療養に必要な棟が枝分かれするように配され、色が精神に及ぼす影響を考えたのだろう、クリアでクリーンな明るい色彩設計がなされている。
この建築のために考えられたものは有名な「パイミオ チェア」だ。フレームも座面も木材を積層し、曲げ加工した大判の成型合板で温かみを感じさせる。
背もたれの角度は、患者が腰掛けたときに呼吸が楽になるよう設計されている。
他にもドアハンドル、照明、洗面台なども機能面を重視し、特別に考えられたものが多い。 「人に寄りそう建築」。この建物はまさにそれだと思った。

最上階から眺める常緑樹の緑、窓からの日差し、病魔と闘う心細さをこの建築は支え、つなぎ目のないなだらかな木の曲線の「パイミオ チェア」が身体を優しく受け止めてくれる。

今、多くのアアルトの名作椅子が品質を保って生産され続けているのは、アルヴァ・アアルトとアイノ・アアルト、そしてマイレ・グリクセン、ニルス=グスタフ・ハールの若い4人によって1935年に起業された会社「Artek(アルテック)」があるからだ。

この会社は家具の販売をするだけでなく展示会や啓蒙活動によってモダニズム文化を促進することを目的として設立された。社名は1920年代に沸き起こったモダニズム運動のキーワード「Art」と「Technology」の二つを掛け合わせたもの。アイノは初代のアートディレクターを務めている。
アイノがデザインした「ボルゲブリック(水の波紋の意)」や「アーロン・クッカ(波の花の意)」などのガラス器は「イッタラ」社が今も生産を続けている。
これらは、コンペで設計を勝ち取った1939年に開かれたニューヨーク万国博覧会フィンランド館にも展示されたという。内井昭蔵設計の世田谷美術館の天井高いっぱいにニューヨーク万国博覧会のうねる壁が一部再現され、それらの展示も見ることができる。

Artek
展示会場の様子。左)アルテックストアのショーウインドウ(1939年撮影)。右)ニューヨーク万国博覧会フィンランド館の前傾したうねる壁の再現。この設計主旨は「箱」のような建物の直角を崩すことだったという。 写真:筆者提供
Artek
ガラス器成形のための木の型枠。 写真:筆者提供

「『日常生活こそデザインされなければならない。』『私たちは贅沢な家具をつくることには興味はない。それは簡単なことだし、そこにはなんの課題もないから…。』という信念のもとに、家具や照明器具、食器やファブリックなど多くのデザインを手掛けています。アイノタンブラーと呼ばれるコップは小さな子どもの手で握っても滑らないように工夫され、スタッキングすることも出来ます。しかも美しくデザインしました。彼女は、実用的でシンプルなデザイン、しかも安く大量生産が出来、一般大衆も手に入れることができることを目指しました。この様な生活に根差した「暮らし」への視線はアルヴァに多くの気づきを与えました。」
(岡部三知代『AINO AALTO(アイノ・アアルト) Architect and Designer―Alvar Aaltoと歩んだ25年―』展リーフレットより)

アアルトハウス リビングルーム
アアルトハウス リビングルーム Alvar Aalto Foundation
アアルトハウス庭側立面スケッチ
アアルトハウス庭側立面スケッチ、1935年 Alvar Aalto Foundation

アアルトはArtekの共同創業者のグリクセン夫妻の「マイレア邸」や画商のルイ・カレのパリ郊外の邸宅など”上流階級”の家の設計もしている。ここも訪れたことがあるが、どちらも郊外の広々とした敷地にプールもあるような、ゲストを招くためのスペースで、使用人が家事をする家だ。一般大衆や庶民の暮らしとはかけ離れている。けれど、二人のアアルトの仕事を貫いているのは上記のテキストにあるように、実用的でシンプルで誰もが手にすることができるデザイン、それが人を支えるという信念だったように思う。アイノはアルヴァの仕事の上でのパートナーであるだけでなく主婦であり母だった。彼女の生活に根差した暮らしへの視線こそが、今も我々の「暮らしに寄り添う」デザインとなって生きているのだと実感させてくれる展示だ。

マイレア邸外観
マイレア邸外観 Alvar Aalto Foundation
マイレア邸 リビングルーム
マイレア邸 リビングルーム Alvar Aalto Foundation
アイノ・アアルト、ボルゲブリック・シリーズ
アイノ・アアルト、ボルゲブリック・シリーズ、1932年デザイン Alvar Aalto Foundation

最後の部屋はアルヴァが描いた54歳で世を去ったアイノの横顔や、アイノの描いたテキスタイルのためのスケッチなど、二人の私的な遺品で、アアルト・ファミリーにとって思い出深い品々が並ぶ。

テキスタイルのためのスケッチ
展示会場の様子。 写真:筆者提供

最近、地上波でも放映されはじめたスウェーデンの公共テレビSVT (Sveriges Television)制作の「The Architect’s Place 北欧発 建築家の幸せな住まい」は、6名のスウェーデン建築家の自邸とオフィス、作品を紹介しながら住まいに対する彼らの発想や哲学を聞くというTVシリーズだ。
現代の北欧の建築家たちの仕事を知ることができて興味深い。

NHK > THE ARCHITECT’S PLACE 北欧発 建築家の幸せな住まい
SVT > The architect's place
SVT > Hemma hos arkitekten 4. Hans Murman

アアルト夫妻のような建築家ユニットも今では当たり前のようだし、北欧の人にとっては現代でも水辺の「夏の家」は必要不可欠で、実用的でシンプルなモダニズム建築は彼らにも受け継がれているように見える。
ハンス・ムールマンという建築家はジュニパーの林に囲まれたコンパクトな「夏の家」を建て「家をどこまで狭くできるかに挑戦した」と語る。けれどそれらが、アアルトが残したデザインのように美しいかどうかは……また別の話。

アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト
アイノ・アアルトとアルヴァ・アアルト、1937年 Aalto Family Collection, Photo: Eino Mäkinen

<関連情報>

□「アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話」
https://www.setagayaartmuseum.or.jp/exhibition/special/detail.php?id=sp00202
会期:2021年3月20日~6月20日
*日時指定予約制です。日時指定予約のお願い予約・購入サイトはこちら
開館時間:10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝・休日の場合は開館、翌平日休館)
会場:世田谷美術館 1階展示室

□「アイノとアルヴァ 二人のアアルト フィンランド─建築・デザインの神話」
https://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/
会期:2021年7月3日~8月29日
開館時間:10:00~18:00(最終入場は17:30まで)
休館日:毎週月曜日(祝・休日の場合は開館、翌平日休館)
会場:兵庫県立美術館


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2021/04/17

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