Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
旅行に行ってもあまり買い物はしない。
その代わり、その土地の石を拾うことが多い。
「BUCKET LIST 建築版」のような、いつかは行ってみたい建築のリストをつくっていたことがあった。
その筆頭はピーター・ズントー(ペーター・ツムトア)の設計したスパ施設「Therme Vals」。
YouTube > Peter Zumthor: Therme Vals / Interview
ここは、チューリッヒからは車で約2時間、鉄道ならクールでローカル線レーティッシュ鉄道に乗り換えイーランツ駅へ、そこから郵便バスで約1時間。所要約3時間というなかなかの奥地にある。
ここに行きたいばかりに参加した建築ツアーが、私の建築行脚のはじまりだった。
アルプス山脈に囲まれたグラウビュンデンの山岳地帯は、登山やスキー目的でない限りあまり訪れる機会がない。
目的地は標高1250mのヴァルス渓谷の山村だ。山の斜面に見える岩肌は緑色を帯びた珪岩(quartzite)で、その珪岩で葺かれた屋根の家が散在していたりする。
温泉が湧く土地で、天然硬質温泉水「ファルサー(VALSER)」を産出する名水の里として有名らしい。古くから利用されてきた村の共同浴場だった湯治場を、近くの村ハルデンシュタインにアトリエを構える建築家ピーター・ズントーが設計し、近代的なスパ施設として再生させたという。
斜面に嵌まり込むように建てられたスパ施設の壁面は、岩肌に見えていたこの地域で採掘された珪岩を石スラブにして積み重ねたもの。
屋根は草で覆われ周辺の牧草地と同化して見える。
目当ての浴場は外壁と同じ石で貼られ、まるで石切場のような雰囲気。大きな室内プールのようで、それが複雑に仕切られいくつかの部屋になっている。メインの浴場は湧き出る30度ほどの温泉で、42度の「炎の風呂」や冷水の「氷の風呂」もある。
強い水流に漂ったり薄暗く狭いトンネルを通りぬけたり、花びらが浮かぶ薬草湯もある、音の響きを強く感じる部屋もあり、屋外の温水スイミングプールへは泳いで抜けられる。
石壁のスリットから差し込む光と影、絶えず聞こえる水の音が心地よく反響する。
水温、水圧、音響、陰影、木々の香り、五感を全て使って体感する不思議な空間。そして目の前に迫る山の斜面。
夜にはこの浴室内でEcho vom Zürihornのアルペンホルンの演奏会も行われた。
YouTube > A concert inside Peter Zumthor's Vals thermal baths
Echo vom Zürihorn
http://www.echo-vom-zuerihorn.ch/links.html
もちろんここで珪岩の小石を拾った。
ズントー初期の建築はこの地域に集中していて、クールにある「ローマ遺跡のためのシェルター(1986年)」、「クール・ヒュンドナー美術館の連絡通路(1990年)」、「マサンス老人ホーム(1993年)」など、地域のコミュニティーの為のものが多い。
このローカルな村の建築家ズントーを一躍有名にしたのは、ヴァルスからも近いスンヴィッツの山の斜面に建てられた「聖べネディクト教会(1989年)」だ。
こけら葺きにされた板張りの外壁は緩い楕円で、方舟のようでもあり、中に入ると天井は木の葉のような屋根構造になっていて、気がつくと床も木の葉のようだった。ほんの十数人でいっぱいになってしまうほどこじんまりしていて、教会というより小さな礼拝室だった。
ケルン郊外のヴァッヘンドルフにあるもう一つの小さな礼拝堂にも行った。麦畑のはるか彼方にある「ブラザー・クラウス野外礼拝堂(2007年)」。
YouTube > Peter Zumthor - Bruder-Klaus-Kapelle
黄土色のコンクリートの直方体に向かって、あぜ道を辿りながら向かう。歩きながら足元を見るとコンクリートの色と踏みしだく土や石が同じ色をしていることに気付く。コンクリートにこの土地の土や石を混ぜ込んだのだ。
三角形の扉を開けると内部は黒っぽい円錐形をしていて、奥の礼拝堂の天井は勾玉のようなかたちの空が見える。その真下の床には水溜りができている。天井がないのだ。後から聞いた説明では、細い丸太を円錐形に組み周りを型枠で囲み、そこにコンクリートを50cmずつ流し込み固めたそうだ。壁面が地層のように見えるのはそういうわけだ。全て固まった段階で、内部の丸太に火をつけて燃やし取り除くという斬新な工法でできた建築だという。農作業の合間にでも礼拝ができるようにと、地元住民主導でつくられたものだという。
ここでも粘土質の砂石を拾った。
YouTube > Peter Zumthor - Bruder-Klaus-Kapelle
ズントーの書いた本にこのようなフレーズを見つけた。
「風景のなかに建物を建てるさいには、建築の素材が、歴史のなかで育まれてきた風土の実質(サブスタンス)に合ったものであることを重視する。建築の素材と風土の素材とが、共鳴し合っていなければならない。自分でも思うのだが、私は場所と素材と建造物の関わりに人一倍敏感だ。素材と建物は場所とつながっていなければならないし、ときにはそこに直接由来するものでなければならない。(中略)
建物は風景のなかで美しく古びていかなければならないのだ。」(ペーター・ツムトア『建築を考える』─建築と風景─より 鈴木仁子訳 みすず書房刊)
なるほどヴァルスのスパも、聖ベネディクト教会も、ブラザー・クラウス野外礼拝堂も、風土に直接由来する素材を選び抜き、素材と建物と場所がつながっていた。そしていつか、風景の中で美しく古びていくのだろう。
ところが、dezeen のこんな記事を見つけた。
Morphosis unveils “Minimalist”skyscraper next to Zumthor’s Therme Vals
ヴァルスのコミュニティが所有していたホテルとスパが2012年に投資家に売却され、高級リゾート化されるとのことだ。
私が宿泊した当時、ホテル名は「Hotel Therme Vals」だったが、今は「7132 Therme&Hotel」というデザインホテルになったらしい。地元住民が楽しんでいたスパもホテルの顧客だけしか利用できなくなったという。日本の建築家がインテリアをデザインしたスイートルームが売りだそうだ。
その上、スパの隣に高さ381mのガラス貼り超高層ホテルを建設するプロジェクトが進んでいるという。
地元のコミュニティのために設計された湯治場が、ヘリで飛んでくる富裕層だけに奉仕するラグジュアリービジネスに売り飛ばされ、その風土まで蹂躙するとは。
この愚かさは度し難い。
ヴァルスへは遠路はるばる車に揺られ、聖ベネディクト教会へは自分の足で急な山道を登り、ブラザー・クラウス野外礼拝堂へは遙か遠くに見える建物を目指して歩き続けなければ辿り着けない。
巡礼のような道行きの道すがら目にする空の色、光のゆらぎ、森や林の木々の緑、土の匂いや草の生気、涼やかな風を感じることもズントーへ近づく過程だったと今は思う。
様々なものを感受する感覚がその道のりの中で研ぎ澄まされていく。
日常や効率を捨てなければ聖なるものには近づけない。
ズントー建築への旅は、お金と引き換えに楽をする人には永遠に手に入らない天からの賜物にも似ていた。
<関連情報>
□ローマ遺跡のためのシェルター(Shelters for Roman archaeological site)
https://www.atlasofplaces.com/architecture/shelter-roman-archaeological-site/
□聖ベネディクト教会(Saint Benedict Chapel)
https://www.archdaily.com/418996/ad-classics-saint-benedict-chapel-peter-zumthor
□マサンスの老人ホーム(Residential home for the elderly Masans)
https://www.archiweb.cz/en/b/bydleni-pro-starsi-obcany-v-masans
□テルメ ヴァルス(Therme Vals)
https://7132.com/en/therme/thermal-baths-and-spa/overview
□ブレゲンツ美術館(Kunsthaus Bregenz)
https://www.kunsthaus-bregenz.at
https://www.kunsthaus-bregenz.at/ueber-uns/architektur/
□ブラザー・クラウス野外礼拝堂(Bruder Klaus Kapelle)
https://www.feldkapelle.de
□聖コロンバ教会ケルン大司教区美術館(Kolumba)
https://www.kolumba.de/?fbclid=IwAR30bRUtbg9gFvxf-43vM_WpJbHKdbxaI3Ltm3-4H1Rn2CAGqU64ZmrP1kA