造形作家 古賀充さんへのインタビュー。
後編では、ますますジャンルの広がりを見せる「素材」との向き合い方、
つくり手として思う、理想のものづくりのありかたなどついてお話を伺った。
写真:HAL KUZUYA 聞き手・文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
古賀 充 MITSURU KOGA
1980年生まれ。造形作家。日常に潜む美しさや面白さを、さまざまな手仕事によって作品にし、国内外の展示会にて発表。作品集や絵本も制作。主な作品集に 『SEA STONE VASES』『LEAF CUTOUTS』『Driftwood Dinosaurs』『Atelier』、絵本に『ゴトガタ トラック』、『いしころ とことこ』(福音館書店)がある。
https://mitsuru-koga.com
古賀充新作展示会「CUP」
[会期]2020年1月25日(土)~2月16日(日) 11:00~18:30 ※2月6日(木)、13日(木) 店休
[会場]CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店(CLASKA 2F)
この世界の美しさ、面白さを再発見する
この連載は「つくる人」というタイトルなんですけど、“つくる”という言葉を漢字で書く時に、「創る」、「造る」、「作る」といったようにいくつかの選択肢がありますよね。たとえば生活用品をつくる人、アート作品をつくる人、新しい概念をつくる人……使う漢字によって、意味合いが変わる。「つくる」という行為は必ずしも手を動かすわけではないし、出来上がったものが有形のものもあれば、無形のものもある。古賀さんの作品はかたちあるものですが、観察したり考えたりしている時間もまた「つくる」という意味合いが非常に濃いという意味で、有形でもあり無形でもある、と言える気がします。
- 古賀:
- そうかもしれませんね。
インタビュー前半では石や葉を使った作品についての話を伺いましたが、2010年に発表されたダンボールを使った作品「FLAT WORKS / BOX」もまた、キャリアを語る上で重要な作品なのではないかと思います。CLASKAと古賀さんのご縁のきっかけとなった作品でもありますね。このシリーズが生まれた当時のことについて、お話を聞かせてください。
- 古賀:
- 2010年にCLASKAで開かれた「ダンボール・ハイ」という、デザインディレクターの岡田栄造さんによる企画展に参加しました。「or-ita」というダンボール用カッターを使って何か作品をつくる、という明確なお題があったんです。
新しい作品をつくる時にお題があるというのは、古賀さんとしては珍しいケースだったのではないでしょうか?
- 古賀:
- そうですね。うまく行かなかったらすみません、という感じでした(笑)。「ダンボールは、ダンボールだよなぁ」という感じで、最初は作品イメージがなかなか固まらなかったのですが、ある時、完成予想図のようなものがプリントしてあるダンボールを見つけて、「この図面を立体にしたらどうなるんだろう?」って思ったんです。最終的には平面の作品になったのですが、封筒みたいに中にものが入るからダンボールの構造はぎりぎり維持してる。いいかも! って。そうして生まれたのが「FLAT WORKS / BOX」という作品です。
実在するダンボールの意匠がヒントになったんですね。
- 古賀:
- はい。この作品をきっかけに、ダンボールを使った作品にはさまざまなバリエーションが生まれました。家の近所の店先や、捨ててあるダンボールを観察して、「いいな」と思うものを発見したら写真に撮って。そうして集めた魅力的な断片を組み合わせて、“理想のダンボール”をつくる感覚です。「この色合いのほうが、この文字だとバランスがいいな」といったように、実在するパーツを少しずつ調整して配置しながら仕上げていきました。
素材としては、それまでメインで扱っていた自然素材とは真逆の人工素材。もしかしたら向き合い方や制作の進め方にも圧倒的な違いがあったのかなと想像していたのですが、与えられたテーマに沿って作品づくりをするというチャレンジ性はあったものの、思考の流れとしてはいつもやっていることとあまり違いがなかったりしたのでしょうか。
- 古賀:
- 発見をかたちにする、という意味ではそうですね。ただそれまでは、まず素材に魅力を感じるところからスタートするのが常でしたが、ダンボールの場合はその逆。「素材に触れることで興味が沸くこともあるんだ」と新鮮な気持ちになりましたし、自然素材だけにとらわれず……という考え方になっていく、ひとつのきっかけになりました。
ダンボール以外にも、「フラットシリーズ」としてさまざまな作品に発展していきましたね。
- 古賀:
- そうですね。ワイヤーを使った「FLAT WORKS / BASKET」や、ペイント缶をモチーフにした「FLAT WORKS / PAINT CAN」とか。先ほど自然素材と人工素材でそんなに違いはないと言いましたが、自然素材は触っていると心地が良くて、人工素材は心が・・・・・・機械っぽくなってくる。どこか、労働の気配が出てくる(笑)。
なるほど(笑)
- 古賀:
- 労働、好きですけどね。身体を動かして作業して、「あー、今日は良く働いたな!」という感じが結構好きなんですよ。家で作品づくりをしていない時も、常になにかしら手を動かしている気がします。家の廊下を剥がして張り替えたり、壁を塗ったり。起きている間は、ずっと何かしらつくってる(笑)。
生粋の「つくる人」ですね。それにしても、ダンボールってごく当たり前の存在じゃないですか。でも、古賀さんの「FLAT WORKS / BOX」を見たことで、新たなものの価値に気づきました。「ダンボールって、よく見てみたらいいデザインのものもあるんだな」って。
- 古賀:
- そう言っていただけると嬉しいです。当たり前になって見えなくなっている美しさや面白さを、手を動かしながら再発見していけたらいいなと思っています。当たり前つながりでいうと、「自然って綺麗だよね」というようなことってよく言われるじゃないですか。でも、いざ本当に綺麗なものを見つけようと思うと結構大変で。あたりまえですけど、“全部綺麗”じゃないんですよ。
わかる気がします。
- 古賀:
- そもそも誰かの美意識をもってつくられたものではないし、よく見ると、美しくないものもたくさん落ちてますよね。
海辺に落ちている石にしても虫食いがある葉にしても、自然の中に存在する「かたち」は、自然界の無数の工程が偶然生み出したもの。古賀さんがおっしゃるとおり、良く目を凝らしてみると必ずしもすべてが美しいわけではないから、たまに出会う「綺麗なもの」は、特別な存在に思えてきますね。
- 古賀:
- だからというわけではありませんが、自然界の工程に極力近い方法で手仕事を施していきたいと思っています。先ほど(インタビュー前半)で話をした、“波が削りだしているように、石を手で削る”ということですね。
社会性と、個人性
作品に反映する素材は、基本的にご自身の生活圏内で探しているんですか?
- 古賀:
- そうですね。自転車でうろうろしているうちに平塚あたりまで行っちゃうこともありますけど、基本的に自分の家の周辺が中心ですね。結構いろいろなものを作品にしてきているので、たまに子どもが「パパ、かたちの良い樹を見つけたよ」って教えてくれるんですけど、「あ、もうそれは写真に撮ってるから」って(笑)。
古賀さんのものづくりは、とても独特な時間の流れ方をしていますよね。たとえば、私の場合は原稿の〆切に向けて自分さえ頑張れば予定通りことが進みますけど、古賀さんの場合は必ずしもそういうわけにはいかないですよね。
- 古賀:
- そうなんですよ!
あらゆることが効率化していますからね。でも古賀さんがやっていることは、なかなか効率化できない。魅力的なモチーフとの出会いや発見が、作品づくりのきっかけというかスタートになるわけですから。
- 古賀:
- だから、効率化は難しい。展覧会などは〆切が決まっているわけだから、なかなか思うように進まないと焦るんですけど、そういう時は焦りつつも無理しないのが一番……って言ったら怒られるかな(笑)。煮詰まった時に、展覧会のお声がけをいただいたギャラリーの方と会話をする中で生まれてくるアイデアもあったりしますね。何がきっかけになるかわかりません。
国内外問わずさまざまな場所で作品を発表されていますが、訪れる人の趣味嗜好もそれぞれ違うと思います。その会場の個性というか、「伝わるかどうか」ということは意識しますか?
- 古賀:
- そうですね。見に来てくれる方と共有できる感覚を持ちたいと思っています。「なんでここに、この作品があるの?」って思われちゃったら終わりですから。たとえばCLASKAだったら、生活に関わるものを扱っているから、ワイヤーのバスケットとかダンボールの作品であれば偶然作品を見てくれた人もすっと受け入れてくれるんじゃないかな? とか。感覚の下地、とでもいうのでしょうか。伝える、つながるための工夫はしています。
そういった気遣いは、「社会性」とも言い換えることができるのでしょうか。
- 古賀:
- どうなんでしょう。僕が思う「社会性」とは、ちょっと意味合いが異なるかもしれませんね。アート作品における「社会性」って、大多数の人に評価されているもの、というイメージがあります。個人的には、みんなにとっていいものではなく、少数の人にとって「絶対的にいいもの」であるほうがいいと思っています。大切にしたいのは社会性というより……。
個人性、ということでしょうか。
- 古賀:
- そうですね。極端なことを言えば、作品を買ってくれたひとりの人にとって大切なものになれば、それでいいです。つくる立場としても、自分が今生きていて、この綺麗な樹と出会ったからこの作品ができた、という個人性は、常に大事にしたいと思っています。あくまで、自分自身の感覚がはじまりであるということを。
ご自宅の中にアトリエがありますが、生活者である自分と仕事をしている時の自分は、明確に分けているんですか?
- 古賀:
- 作品が生活の延長であることを大事に思っているので、仕事モードに切り替えるということはしていないですね。朝一番から仕事して、子どもたちが帰ってきたら相手をして、彼らが寝たらまた制作に戻って。忙しい毎日だけど、そういうあわただしさの中で学ぶことや発見することもあるので。
先ほど、仕事以外でもずっと何かしら手を動かしているという話を伺って、本当に「つくる」ことが好きな方なんだな、この連載の第一回目に登場していただいて本当に良かったなって思ってるんですけど(笑)。「つくること」って古賀さんにとってどんなことでしょう?
- 古賀:
- 何だろう……ほんと、ずっとつくってますからね(笑)。家の中をいじったり、日々のごはんをつくることも手を動かすという意味では作品づくりと一緒ですけど、作品は、自分の視点や気づきがかたちになったものだから……。この世界における、自分自身の位置を確認する作業とでもいったらいいのかな。
古賀さんはもうすぐ40代。活動をはじめた20代の頃と比べて、自分は変わったなと思いますか?
- 古賀:
- 僕自身は変わってないと思ってます。でも世の中の流れが速すぎるので、時代や周りの人の変化を見て、「あれ? もしかして自分が変わったのかな?」って思うこともありますけど。
どういうものに「美しさ」「綺麗さ」を感じるのか、そのあたりの基準も変わりませんか? 改めてお伺いしますが、古賀さんが思う「綺麗なもの」ってどのようなものなのでしょうか。
- 古賀:
- 本来は成り立つはずがないものが奇跡的なバランスで成り立っている、という状態を「綺麗だな」って思いますね。「これ、おかしなことになっているはずなのに、なぜかすっと心に入ってくるな」というものがいいなと思っています。自分の作品も、そういう風に感じてもらえるといいですね。
理由はわからないけど、なぜか目が離せない魅力を放つもの、眺めていたくなるものってありますよね。古賀さんにとっての石や葉が、まさにそういう存在なのでしょうか。
- 古賀:
- そうですね。風景の中に溶け込んでいて目に止めなければ見えてこないけれど、よく見てみると素晴らしいストーリーや時間が詰まっている。古い葉書とかもそうですよね。僕が作品づくりに使っている石は、たまたま落ちていたものを拾ってきただけですけど、自分にとっては、いま話したような種類の美しさを持ったものなんです。
そういえばこの部屋に入った時から気になっていたのですが、「つくる時に大切にすること」という見出しのメモが壁に貼ってありますね。かなり具体的なことが書いてあるんですけど、こういう風に自分の中にある想いを文字にする、ということはよくされるんですか?
- 古賀:
- 文字にして貼っておくと、仕事中ふとした瞬間に見るんですよね。道に迷ったときに、気持ちを立て直すというか。辛い時ほど、貼る紙の数が増えます。……こういう感じでここ最近書いたものを箱に入れて保存してあるんですけど、たとえばこれ見てください。「楽しいこと、わくわくすること、気持ちがのること」。
いいですね、気持ちがのること。大切なことですね。
- 古賀:
- これは作品づくりに限らないんですけど、“一度はじまったらずっとやれること“をやりたいな、と思っています。この先年齢を重ねていく中で、気持ちが乗って楽しく向き合えることが一つでも多く残っていて欲しいなって。わくわくすることを探しながら、楽しい気持ちで制作していくためにも、健康第一、ですね。
古賀 充 WORKS
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