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TOKYO BUCKET LIST. 都市の愉しみ方 お菓子から建築、アートまで歩いて探す愉しみいろいろ。

第43回:東京ビエンナーレと看板建築

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


ビエンナーレといえば2年に一度ヴェネツィアで開かれる国際的な現代美術展「ヴェネツィア・ビエンナーレ」がまず思い浮かぶ。
次は2000年にはじまった「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」。これは新潟県の6市町村の大自然の中で繰り広げられる3年に1度の芸術祭で、里山の廃校を使ったクリスチャン・ボルタンスキーの作品や、宿泊することのできるジェームズ・タレルの「光の館」、アブラモビッチの「夢の家」などが点在し、忘れられないアートとの出会いを体験した。

「東京ビエンナーレ2020/2021」が7月からはじまった。当初2020年に開催されるはずだったが、オリンピックと歩を合わせるように1年の延期を経ての開催だ。
そうか、「横浜トリエンナーレ」はあっても、東京ではビエンナーレもトリエンナーレも開かれていなかったのだ。

「千代田区・中央区・文京区・台東区の学校や歴史的建造物、公共空間、遊休空間、水辺など東京都心の約50ヶ所を舞台に、新しい東京ビエンナーレが立ち上がる。世界中から幅広い表現者が集結し、町に宿る文化を感じ取りながら地域とともにつくりあげる新しい芸術祭は、2年に1度の継続開催を目指している」。準備段階での開催趣意に、こう記されていた。

“新しい”東京ビエンナーレとは?
「東京ビエンナーレ」は1952年に創設された国際展で、1990年まで18回開催されていたらしい。それが長く途切れていたという。
1970年の第10回東京ビエンナーレ「人間と物質」展は、日本における現代美術展としては目を見張るものだったそうだ。参加したリチャード・セラが都美術館前の歩道に埋め込んだL字鋼による環状の作品「環で囲む」がビエンナーレ終了後どうなったかの顛末を読んだことがあって、セラ作品のその後を見に行きたいとずっと思っていた。

「セラの環」
https://murrari.hatenablog.com/entry/20090331/1238467485

さて、「東京ビエンナーレ2020/2021」が開催されている東京の北東の4つのエリア全てを巡りたいところだが、遠出を控えたい時期なので数カ所に絞り込んで出かけた。
神田小川町の額縁店「優美堂」とオーダーシャツの店「顔のYシャツ」、神田須田町の「海老原商店」の3カ所。街から次々に姿を消していく「看板建築」での展示ばかりだ。

看板建築
左)東京ビエンナーレ2020/2021のマップ。中)「優美堂」外観。右)「優美堂」カフェのメニュー。富士山カレーがあるらしい。 写真:筆者提供

戦後すぐに店を構えた「優美堂」の褪せた富士山の看板絵はトリコロールも鮮やかなモダンな富士に様変わりし、1階部分はカフェとインフォメーション・センターになり、2階・3階へも登れるようになっている。
額縁店に残された膨大な数の額が壁という壁に掛けられ、その中にあらゆる作家のあらゆる“富士”の絵が展示されている。創設当時の写真も飾られていた。看板に描かれた富士山と英語表記は戦後駐留した米兵相手の商売を意識してのことだったのだろう。
閉店後廃墟化が進んでいた店の建築改修、事業計画と運営、展覧会企画制作等を市民と共に創出する「優美堂」再生プロジェクトで、このプロジェクトリーダーのアーティスト・中村政人は小池一子と共に「東京ビエンナーレ」の総合プロデューサーも務めている。
YouTube > 優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ

「優美堂」自体を作品化し、再生を目指す過程を現在進行形で公開している。プロジェクト名である「ニクイホドヤサシイ」は、優美堂の電話番号(291)8341からきている。

優美堂
「優美堂」再生プロジェクトに集まった人たち。 写真提供:東京ビエンナーレ 撮影:ゆかい
優美堂
戦後間もない頃の「優美堂」。 写真提供:三澤義人
優美堂
新しくなった富士山と看板の裏。 写真:筆者提供
優美堂
様々な額と富士の絵が壁を埋め尽くす「優美堂」カフェ。 写真:筆者提供

次は小川町交差点のすぐそばにあるイガグリ頭の大きな顔の看板が目を引く「顔のYシャツ」へ。ここも中村政人の作品で、店の内部では「私たちは、顔のYシャツ」という観覧者参加型のインスタレーションが行われていた。
「顔のYシャツ」は大正9年(1920年)に創業したオーダーワイシャツ専門店で、トレードマークの顔は初代店主・梶永松氏の青年時代の似顔絵をそのまま看板にしたものだという。“たま”の歌った曲「まちあわせ」の、あの場所だ。
YouTube > たま まちあわせ

顔のYシャツ
写真提供:東京ビエンナーレ 撮影 Masato Nakamura
顔のYシャツ
写真:筆者提供
顔のYシャツ
左)分厚い無垢材のシャツ製作のための作業台。中)2階の壁に貼られたロマンの服地のポスター。当時のトップモデル三富邦子(上)とジューン・アダムス(下)。右)当時のままのタイル張りの洗面台。 写真:筆者提供

ここでは入り口で黄色いラバーボールを一袋手渡され、建物内の各所に貼られたメッセージのような文章に共感すれば、投票のようにその場にボールを置いていく仕掛けになっている。屋内のここかしこに黄色いボールが溢れている。

「顔のYシャツ」を出て、次を目指す。「ニコライ堂」を右に見て聖橋へ向かうと、右手に緑豊かな「湯島聖堂」が見えてくる。中山道を右折して昌平橋方向へ。総武線の高架下のスペースで立花文穂が雑誌『球体』の編集作業から印刷、製本までを展示形式で公開している。 かつて「万世橋駅」だったホーム部分は「2013プラットホーム」というデッキになっていて、中央線がデッキの両脇を通過する。明治45年(1912年)に完成したレンガ造りの高架橋は「mAAch ecute神田万世橋」となり、様々な店として利用されている。万世橋を左に見てそのまま柳原通りをどんどん行くと、目的地「海老原商店」の前に出る。

東京ビエンナーレ
立花文穂のプロジェクト 球体9「機会 OPPORTUNITIES」の展示。 写真提供:東京ビエンナーレ 撮影:ゆかい
東京ビエンナーレ
写真提供:東京ビエンナーレ 撮影:ゆかい
mAAch ecute神田万世橋と中央線
左)旧万世橋駅のあったレンガ作りの高架橋。中)「2013プラットフォーム」。右)使用されなくなったプラットフォームへの階段。左右の壁は昔のままのタイル貼り。 写真:筆者提供
海老原商店
「着がえる家」の会場になった「海老原商店」。 写真:筆者提供

ここは藤森照信の名著『建築探偵の冒険・東京篇』(ちくま文庫)で“看板建築”としてはじめて内部まで紹介されている建築だ。若い藤森が友人の堀と建築観察をしている中で発見し定義した建築“様式”で、“看板建築”と命名したのも藤森だ。

藤森は海老原商店の当時のオーナー海老原保翠さんの快諾を得て店の内部を見せてもらい、建築にまつわる話を聞く。初代の利八が茨城から上京し明治20年(1887年)にこの通りに古着屋を構えたこと、2代目の保蔵が震災後の昭和3年(1928年)に友人の画家 黒田武之輔と共に設計しこの建築に建て替えたこと、3代目の保翠さんの暮らしぶりまでも記述されている。

海老原商店
左)1950年頃の「海老原商店」二階部分のテラスはその後潰して白いモルタルで埋めてしまい、現在の状態となっている。中)1970年頃の「海老原商店」のある柳原通り。まだ看板建築が残っていた頃。右)戦前の「海老原商店」屋上からの神田の風景。近所の人が屋上に洗濯物を干している。 写真提供:海老原商店
海老原商店
アーチを描くエントランスのガラス窓。正面の4枚扉は新しいものになっているが、使われていた扉は保存されている。  写真:筆者提供
海老原商店
左)2階へ続く階段。使い込まれた手すりが美しい。中)2階の西尾作品の展示。右)吹き抜けに吊られたパッチワークの大作。 写真:筆者提供

「東京ビエンナーレ」では、「着がえる家」というプロジェクトの会場になった。
建築の側面に衣類が干されている。土間から小上がりがあり、その向こうに筒型パッチワークの作品が天井から下がっているのが見える。いや、天井ではなくそこは吹き抜けで、それは屋根に開けたトップライトからの光を引き入れる構造になっていることに気づく。筒型の作品(実はフィッティング・ルーム)は、2階の天井までの高さ=約7mから吊られている巨大な作品だ。

「装う」という行為とコミュニケーションの関係性をテーマにしている美術家・西尾美也は、明治から平成まで古着、既製服、服地の店だった「海老原商店」で、この商家の記憶をたぐりよせるような様々なワークショップを繰り広げた。
「子どもたちを創造的なテーラーに育てる」、「洗濯物を洗う・干す」という日常的な行為に着目したものなどもある。建物の側面に干されていた衣類はそれだったのか。

5代目のオーナーの海老原義也さんは鎌倉育ちで、父上の実家であるここ「海老原商店」で暮らしたことはないという。“おばあちゃんの家”という感覚だそうだ。
この通りに並んでいた看板建築は「地上げ屋」からの嫌がらせの放火もあったり老朽化も進み、数軒先の「岡昌裏地ボタン店」以外ほとんど残っていない。「江戸東京たてもの園」への移築の誘いも、先代は断ったそうだ。
海老原さんはこの地での「海老原商店」の存続を決め、2016年から「きらくなたてものや」の建築士・日高保さんと共に大々的な補強や改修を行った。
YouTube > 【AIR3331】SPECIAL PROGRAM「 Ebihara residence 」
https://residence.3331.jp/en/ebihara/

そして、2017年からはアートやダンスや、滞在型アーティストの制作プロジェクト、アーティスト・イン・レジデンスの場として活用されるようになった。

「建物の寿命はどれだけ頑丈に作ったかではない、どれだけ愛されたかで決まる」。

この日高さんから告げられた言葉に鼓舞されながら、海老原さんはアートの場としての運営に舵を切ったのだそう。

「東京ビエンナーレ2020/2021」をきっかけに再生されつつある他の2つの看板建築も、「海老原商店」のように人に愛され、地域に根ざすことで新しい命をつないでいく道を切り開いて欲しいと願うばかりだ。
9月5日に「東京ビエンナーレ」は閉幕してしまうが、再生プロジェクトは進行中だ。

海老原商店
「海老原商店」を貫く 光を引き入れる吹き抜け。 写真:近藤信也(Floating Mountain写真館)

<関連情報>

□東京ビエンナーレ 2020/2021
https://tb2020.jp

─おすすめのプロジェクト

●優美堂再生プロジェクト ニクイホドヤサシイ/中村政人
https://tb2020.jp/project/yubido-restoration-projectnikui-hodo-yasashi/

●私たちは、顔のYシャツ/中村政人
https://tb2020.jp/project/we-are-kao-no-waishatsu/

●着がえる家/西尾美也
https://tb2020.jp/project/kigaeru-house/

●球体9『機会 OPPORTUNITIES』/立花文穂
https://nostos.jp/archives/258288
https://tb2020.jp/project/kyutai-number-nine/

●Praying for Tokyo 東京に祈る─「わたしは生きた」/内藤礼
https://tb2020.jp/project/praying-for-tokyo-rei-naito/

●Praying for Tokyo 東京に祈る─「Well Temperament 良律」/柳井信乃
https://tb2020.jp/project/praying-for-tokyo-shino-yanai/

□海老原商店
https://www.ebiharashoten.com

□『建築探偵の冒険・東京篇』 藤森 照信 著/ちくま文庫
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480023711/

建築探偵の冒険・東京篇

□『看板建築図鑑』 宮下潤也 著/大福書林
https://daifukushorin.stores.jp/items/5ddcc875a551d531e5e50d20

看板建築図鑑

□「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2021」
https://www.echigo-tsumari.jp/news/20210714_01/

●光の館
https://hikarinoyakata.com

●夢の家
http://www.tsumari-artfield.com/dreamhouse/


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2021/08/27

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