不思議な縁がきっかけで移住した沖縄。
小学校3年生の時に食の道を志したという濱口さんは、
料理が繋ぐ人と人の縁にゆったりと身をゆだね、
夢に向かって邁進する日々。
写真:Maya Matsuura 文:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
濱口風太 Futa Hamaguchi
1997年三重県伊勢市生まれ。幼い頃より料理に親しみ、「三重県立相可高等学校」の食物調理科を卒業後、滋賀県内の大学へ進学。中学校、高等学校の家庭科の教職員免許を取得。
現在は那覇市内のレストラン「BACAR OKINAWA」でソムリエとして勤務している。
https://bacar.jp/
沖縄に移住してどれくらいになりますか。
- 1年半になりますね。ちょうど、コロナ禍のはじまりと同時に移住したんです。本当にすごいタイミングで……この後お話しすることになると思いますけど、最初からいろいろと大変でした(笑)。
三重県の伊勢市ご出身だそうですね。
- はい。海が近くて海産物がたくさん採れて、という街です。海が身近にあるという意味では、沖縄と少し似ているところがあるのかもしれません。
現在、那覇市内の「BACAR OKINAWA」という店に勤務されているそうですが、どんなお店なんでしょうか?
- ピッツァが名物で、マルゲリータとマリナーラの2種類で勝負しているんです。その他に、イタリア料理やスペイン料理の前菜、メイン、ドルチェまで提供していて、ピッツァ以外の料理もすごく美味しいんですよ。沖縄の食材も積極的に料理に組み込んでいます。
お客さんは地元の人が多いのでしょうか?
- 地元の方と県外から来てくださる方、半々くらいでしょうか。関東・関西からのお客さんも多くて、年齢層もさまざまですね。お店のスタッフの中で20代は僕だけで、店のスタッフや常連のお客さんたちに可愛がってもらっています。
少し遡って、子どもの頃の話について聞かせてください。やはり幼い頃から食への興味はあったのでしょうか。今の仕事に繋がるエピソードがあれば教えてください。
- 僕は“おばあちゃん子”だったんですけど、食への興味の原点は祖母のつくる料理です。小学校の頃から、学校から帰ったらおやつにシフォンケーキを焼いたり、チャーハンをつくったりして、それを家族や友達に食べさせていました(笑)。
すごい! では、割と早い段階で「将来は料理に関するお仕事をしたいな」という気持ちが芽生えたのでしょうか。
- そうですね。僕は地元の県立高校「相可高校」の出身なのですが、小学校3年の時にはその学校への進学を心に決めていたんです。進学校も勧められたのですが、当時はそれに興味を持てなくて。相可高校はちょっと変わった学校で、普通科の他に「生産経済科」「環境創造科」「食物調理科」という専門的なことを学べる学部を選択できるのですが、僕は「食物調理科」に行きたいと思って……。
で、実際にその夢を叶えられたわけですね。
- はい。高校在学中は、卒業をしたら大学には進学せずに飲食店で修業をしようと思っていたのですが、3年間受け持って頂いた松田先生から「つくるほうもいいけど、食の教育者になるのはどうだ?」という声かけをしてもらったんです。かなり無茶な進路変更でしたが、それがきっかけで4年制大学への進学を決めました。
偶然が重なり、沖縄へ
大学は何学部に?
- 滋賀にある大学の教育学部に進学しました。家庭科の先生の免許をとって、大学3年の時には将来を見据えてソムリエの資格もとって。
大学3年で? 早いですね。
- 高校時代の友人の多くはすでに現場で働いている人も多かったので、やっぱり意識する部分はあったというか、“自分も負けないぞ”という気持ちがあったんです。年齢制限や実務経験等の受験資格が整ったらすぐにとると決めていました。スクールに通う費用もなかったので、独学で勉強したんです。教員になるための勉強はしつつも、やはり卒業後は料理の現場で働きたいという気持ちが強かったので「何か強みになるものを」という気持ちで。
料理の世界は一般的に修行のスタートが早いですもんね。
- 大学卒業後、というのは遅い方ですからね。
卒業後、沖縄へ行くことになった経緯は?
- ちょっと長くなるんですけど良いですか(笑)。大学時代に沖縄旅行に行ったのですが、その時、アルバイト関係で知り合いになった滋賀県内の肉屋の店長さんの紹介で「ARDOR(アルドール)」というレストランに食事に行ったんです。その店はいわゆる高級レストランで、当時大学生だった自分はちょっと浮いていたと思います。実は、のちにアルドールで働くことになるのですが、当時はそんなことは予想もできませんでした。
なるほど。現在働いているBACARの前に、ARDORで働いていたんですね。
- そうなんです。そのきっかけをつくってくれたのは、東京のイタリアン「メゼババ」のシェフ髙山さんでした。
「メゼババ」といえば、都内のイタリアンでも超がつく人気店ですね。
- はい。実は僕、大学卒業後は「メゼババ」で働きたいと思って、在学中に髙山さんに手紙を送ったことがあったんです。髙山さんの料理が大好きでどうしても働かせて欲しかったので、熱意を伝えるために夜行バスに乗って東京に行って、直接直談判もして(笑)。2時間以上お話させていただいたのですが、めちゃくちゃ緊張して、喉がカラカラだった記憶があります。
すごい行動力ですね。
- 結果はだめだったんですけど、「この店はどう?」と髙山さんが提案してくれたのが、ARDORでした。シェフのエリさんが髙山さんと同じ店で働いていた時期があったそうで、「風太が求めている料理、この店なら学べると思うよ」ということで……凄い偶然なんですけど。ちなみに、ARDORのオーナーである仲村さんは、今働いているBACARのオーナーでもあります。
なるほど。そういう経緯だったのですね。先ほど「色々大変だった」とおっしゃっていましたが……。
- コロナの影響もあって、沖縄に移住して4か月でアルドールが閉店してしまったんです。でも、本当に濃い4か月でした。最後の1ヶ月は走り抜けすぎて、あまり記憶がないです(笑)。アルドールを畳んだあと、オーナーの仲村さんはBACARに注力をして再スタートをすることになり、BACARとARDORのスタッフの約1/3が新生BACARに移るかたちで新体制を組むことになったんです。そこに僕も加えてもらった、という流れですね。
現在、担当している仕事について教えてください。
- 午前中に出勤をして、まずは手打ちパスタやドルチェの仕込みをします。オープン後はソムリエとサービスの仕事をメインにしているのですが、時々キッチンのサポートに入ったりも。ワインに関しては仕入から担当していて、オーナーの仲村さんの言葉に甘えて、色々なシーンを想像しながら、フレキシブルにワインの仕入をさせてもらっています。
BACARでは、どんなワインを扱っているんですか?
- BACARのお客さんの層は実にさまざまで、東京から食べに来てくれるおしゃれな若いカップルもいれば、ゴルフ帰りの年配男性のグループもいます。それぞれ求めるワインのタイプは違いますから、幅広いものを揃えているつもりです。僕の中ではビオワインかそうでないかといった意識はそこまでないです。例えば、ブルゴーニュの名だたるつくり手のワインも自然的ですから。
色々な役割があって大変そうですが、どのような時にやりがいを感じますか?
- お客さんから料理やワインに対する感想を直接聞けるのが嬉しいですね。僕はつくる側でもありサービスをする側でもあるので、そういったことが次に繋がるフィードバックになっていると思います。
レストランって、キッチンとサービスが完全に分業しているイメージがありますよね。でも、濱口さんのように「分業しない」からこその楽しさってありそうです。
- そうですね。僕は性格的にそういう方が向いている気がします。色々なことを経験できると勉強になりますし。
人と人の縁を繋ぐレストランをつくりたい
今後は、どんなことに挑戦してみたいですか?
- 将来的に自分の店を持つという夢はありますが、その前にイタリアで働きたいなと思っています。だから、頑張ってお金を貯めなきゃ。
イタリアはどの地方に?
- 北イタリアです。イタリアは南部が魚介や野菜の文化、北部は肉・チーズ・多様な手打ちパスタの文化で、海が近い伊勢で生まれ育った自分にとっては南部の文化のほうに親しみがあるんですけど、あえて親和性のない環境で学んでみたいなという気持ちがあります。お金を貯めるのもそうだけど、語学も頑張らなきゃいけないですね。
ワインの勉強も引き続き?
- そうですね。ワインは学ぶことが無限に近いので、もしかしたら料理を学ぶより大変かもしれないです(笑)。自分が店を持つとしたら、イタリア料理の店だけどイタリアのワインだけじゃなくて日本やフランス、スペインのワインも楽しめる、そんな店にしたいですね。あと、今注目されている中国ワインもラインナップしておきたいです。広大な土地だし、素晴らしいワインが沢山あるんだろうなと気になっています。
コロナ禍のはじまりと共にはじまった挑戦は、なかなかスムーズとは言えないスタートだったと思いますが、こうしてお話を伺っているととても充実した日々を送られている感じがします。
- すごく充実しています。はじめて暮らす土地で友人もいなかったので、ARDORが閉店してしまった時はなかなかハードなものがありました。今はこうして笑って話せますけどね。「メゼババ」の髙山さんに近況報告をした時に「そういうエピソードは、人生のストーリーとして貯めていった方がいいよ」って言われました(笑)。
飲食店にとって、昨年から今年にかけて厳しい時間が続いてきたと思います。これからの時代、レストランができること、あるいはレストランの社会における役割って何だと思いますか?
- 人と人の繋がりをつくること、だと思います。レストランでは、どんなにすごい大企業の社長さんも、若い学生もある種平等な存在なんです。なぜなら、普通に暮らしていたら接点がないかもしれない人たちがレストランで肩を並べて食事をしたり、そこから新しい縁が生まれたりする。それって本当にすごいことだと思います。
たしかにそうですね。社会的な身分とか、どんな仕事しているとか、そういうこと抜きにしてはじまる出会いって、なかなか貴重かもしれません。
- そうですよね。だからこの先もレストランは必要なものだと思うし、僕はそういう店をつくりたいなと思っています。
これはこの連載に登場いただく皆さんに伺っているのですが、10年後、どこで何をしていたいですか?
- 東京で自分の店をやっていたいな、と思います。やっぱり人生に一度は日本の中心である東京で勝負してみたい。頑張ります。