Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
——「世中にたえて桜のなかりせば 春のこころはのどけからまし」 在原業平(古今集)
桜は人の心をざわつかせる。
その開花や終わりに一喜一憂するのは平安時代も今も同じ。
京都には桜の名所が多いので、何年か前までは桜のためによく通ったものだ。
けれど東京の桜だって捨てたものではない。
六本木なら「東京ミッドタウン」の桜並木と「国立新美術館」前の桜が見事だ。
その国立新美術館で日本初の大規模な個展「ダミアン・ハースト 桜」展がはじまった。
ダミアン・ハーストと聞いて一番に思い浮かべるのは最初の出会いである「SENSATION」展(1997年)。
「ロイヤル・アカデミー」で開かれたサーチ・ギャラリーのチャールズ・サーチが選んだ英国の若手アーチスト達の展覧会で、ガラスの箱に入ったホルマリン漬けの鮫の作品にやられた。
https://www.youtube.com/watch?v=KDjaAkD5J8g
そしてロンドンの書店で買った出版されたばかりの重さ3kg強もある作品集(1997年初版)、ノッティングヒルにあった「ファーマシー」というレストラン(1998年〜2003年)
https://pharmaceutical-journal.com/article/opinion/damien-hirst-pharmacy-and-the-1968-medicines-act
と続き、彼のすることなすこと何もかもが衝撃的で、カッティングエッジな才気は向かうところ敵無しという感じがした。
あの頃のサーチ・ギャラリーはノースロンドンにあるバウンダリー・ロードの塗料工場跡を利用したもので、空間を錯覚させるリチャード・ウイルソンの重油を使った作品「20:50」(1991年)に驚愕した。ギャラリーが移転する都度足を運んだが、どのような建物に変貌してもウイルソンの作品だけは常に静謐だった。
https://www.richardwilsonsculptor.com/sculpture/2050.html
https://www.youtube.com/watch?v=cYRo5nfPHRA
「SENSATION」展で注目された若手たちは、ダミアン・ハーストをはじめトレーシー・エミン、サラ・ルーカス、ゲーリー・ヒューム、インカ・ショニバレなどはその後、世界に名だたるアーチストへと成長していく。
さて「SENSATION」展での出会いから25年、ダミアン・ハーストの新作はなんと「桜」だ。
視界を覆う満開の桜、桜、桜。
それも天井までも届きそうな巨大な絵画ばかりだ。
ジャクソン・ポロックのアクション・ペインティングかと思わせるような叩きつけられたさまざまな色の絵の具の重なりが表現する桜の巨木。アムステルダムのゴッホ・ミュージアムの壁面に大きく引き伸ばされた「花咲くアーモンドの木の枝」(1890年)を見た時の不思議な感覚に似ていた。
https://www.vangoghmuseum.nl/en/collection/s0176V1962
絵画はそのスケールの大きさで全く違う印象になるものだ。
これは2018年から製作をはじめた「桜」シリーズで、3年かけて107点を完成させ、昨年の7月から今年の1月までパリの「カルティエ現代美術館」で開催した個展で29点を初公開したという。その中から24点をダミアン・ハーストが選び、国立新美術館のホワイト・キューブの展示スペースに合わせて再構築したものだそうだ。
展示スペースを抜けるとカルティエ現代美術財団製作のドキュメンタリー・フィルムが流されている。
美術史家ティム・マーロウによるダミアン・ハーストへのインタビューは25分弱あるが見応えがあるので必見だ。
https://www.youtube.com/watch?v=OxhtW0gmz-U
「桜の絵を描こうと思ったきっかけは?」の質問に、「ドットで埋め尽くしたベール・ペインティングという抽象画シリーズを描いていた時にそれが庭や木々のように見えてきた」。
5歳頃に彼の母が描いていた油絵の桜を思い出し「抽象的かつ具象的に描けたら両者の橋渡しができる。母の桜の絵に背中を押されたんだ」と語っている。
花の盛りから数日で儚く散る桜を描く「桜」シリーズは「美と生と死についての作品」だ。
「このスケールで描いた意味は?」との問いに、「観客に没入感を与えたかった」「木を間近に見た時、視界がいっぱいになる感じ」「見上げた時の桜の花」「目前に迫る感じにしたい」と。
彼が目指した通り、桜の木立を下から見上げた感覚が蘇り、枝の先の桜の花の奥には青空が広がって見えてくるようだ。
もうすぐ、この美術館の周りも桜の花で覆われるだろう。
あまたある京都の桜の名所の中でも、特に好きな「花の寺」がある。
多くの歌に桜を詠んだ在原業平が晩年を過ごした「十輪寺」。
そして、かなわぬ恋に俗世を捨てた西行が髪をおろした寺「勝持寺」。
——「花見んと群れつつ人の来るのみぞ あたら桜の咎にはありける」西行
この諧謔めいた歌を主旋律にした能「西行桜」の舞台となった寺だ。
どちらも長岡京の北側の古い社や寺が点在する
都会の桜も、山里の桜も、詠われた桜も、描かれた桜もその儚さで人を惑わす。
<関連情報>
□「ダミアン・ハースト 桜」展
https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/damienhirst/
会期:〜5月23日
休館日:毎週火曜日休館 ※ ただし5月3日(火・祝)は開館
開館時間:10:00〜18:00 ※毎週金・土曜日は20:00まで ※入場は閉館の30分前まで
会場:国立新美術館 企画展示室2E 〒106-8558 東京都港区六本木7-22-2
□十輪寺 開花情報
https://souda-kyoto.jp/guide/season/sakura/?id=0000476
□勝持寺 開花情報
https://souda-kyoto.jp/guide/season/sakura/?id=0000478