料理、インテリア、日用品。
何気ない日常に喜びを見出し、
"暮らし”を楽しむ術を発信し続けてきた堀井和子さん。
料理スタイリストを経て、「つくる人」に。
憧れの先輩に伺った、今までとこれからのこと。
写真:HAL KUZUYA 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
堀井和子
1954年東京生まれ。料理スタイリスト・粉料理研究家として、レシピ本や自宅のインテリアや雑貨などをテーマにした書籍や旅のエッセイなどを多数出版。2010年から「1丁目ほりい事務所」名義でものづくりに取り組み、CLASKA Gallery & Shop "DO" と共同で企画展の開催やオリジナル商品のデザイン制作も行う。OIL MAGAZINE にて「堀井和子さんの『いいもの』のファイル」を連載中。
ものづくりを愛する家に生まれて
ご自宅にお邪魔させていただくのは一年ぶりでしょうか。堀井さんには、2007年以来CLASKA Gallery & Shop "DO" 本店(現在は「GALLERY CLASKA」として営業)で「1丁目ほりい事務所」名義の展覧会を定期的に開いていただき、昨年からはアパレルブランド「sept septième」のデザインにも関わって頂いています。既に長いお付き合いになりますが、今回は改めて「つくる人」としての堀井さんについて、色々とお話をお伺いできたらと思います。
- 堀井:
- よろしくお願いします。
今日は、ご主人の啓祐さんにも同席いただけるとのこと、ありがとうございます。
- 啓祐さん(以下、敬称略):
- こちらこそ、よろしくお願いします。
まずは、堀井さんのこれまでのキャリアを改めて振り返ってみたいと思います。生まれは東京だそうですね。
- 堀井:
- はい、世田谷区の若林というところです。
世田谷区は東京の端ということもあり、意外に緑が多くてのんびりした環境ですよね。
- 堀井:
- そうなんですよね。祖父母の家は庭が森みたいに広くて、子ども心にとても楽しかったのを覚えています。4歳の時に両親が狛江に家を建てたので、それからはずっと狛江で暮らしました。
堀井さんのこれまでの仕事を振り帰った時、「暮らし」というキーワードがまず思い浮かびます。料理スタイリストとして活躍された後、暮らしや生活用品、料理に関する書籍を数多く出版され、現在は「1丁目ほりい事務所」としてものづくりを軸にした活動をされています。堀井さんが発信されてきたものをきっかけに暮らしのあり方を見つめ直した方は多いと思うのですが、ご自身がそういった分野に興味を持ったきっかけはなんだったのでしょうか。
- 堀井:
- 幼い頃、『ミセス』や『暮らしの手帖』、『婦人之友』など、母が何冊もの雑誌を定期購読していました。それらの雑誌の中で見た世界が、一つのきっかけになったかもしれません。特に好きだったのは、料理ページやエッセイスト佐藤雅子さんの暮らしを紹介した記事、高校生の頃に『暮らしの手帖』ではじまった石井好子さんの連載「巴里の空の下オムレツのにおいは流れる」も好きで、いつも楽しみにしていました。
身近にいたお母さまからの影響が大きかったのでしょうか。
- 堀井:
- そうだと思います。母はよく私の洋服を手作りしてくれたんですけど、自分流に型紙をつくるのが大好きで、服以外にも家を建てる時やリフォームをする時などにせっせと自分で設計図を書くような人でした。
手を動かすのが好きなお母さまだったんですね。
- 堀井:
- そうですね。母方の祖父もハイカラな人で、いろいろと発明品をつくっていたみたいで。
発明品?
- 堀井:
- 例えば「横になったままで本を読める道具」とか。発明したものを自分で工場に発注していたらしいです。さらに曽祖父と曽祖母は、世田谷で藍染めをしていました。
いわゆる、ものづくり家系だったんですね。
- 堀井:
- 「自己流でなんとかやってみる」という姿勢の大人たちを見て育ったからか、雑誌の記事でもそういう趣旨のものを好んで読んでいましたね。
大学は、四年制大学に進まれて。
- 堀井:
- はい。上智大学の外国語学部フランス語学科に進学しました。色々な雑誌を読んでいるうちに料理写真の仕事への興味が広がっていったことがきっかけで、大学時代は『栄養と料理』の編集部や集英社、講談社などいくつかの出版社でアルバイトをしました。
どのような仕事を担当されたんですか?
- 堀井:
- 『栄養と料理』編集部では原稿のお預かりに行かせて頂いたり、集英社ではファッションの撮影や料理撮影で使ったものを返却をするお手伝いをしていました。そのうち、“料理のことが良くわかっているね”と、料理の撮影現場を中心にお声かけをいただくようになったんです。
当時、将来的に料理関連の仕事をできたらという思いは既にあったのでしょうか。
- 堀井:
- そうですね。思いが具体的になったきっかけは、大学3年生の時の海外研修だったと思います。フランスを中心に2ヵ月間ヨーロッパを旅したのですが、毎日毎日食べたものをスケッチして、料理の素材や盛り付け方もメモして。その旅を通じて「自分が好きな料理」の姿が見えてきました。
どんな料理が好きだなと思ったんですか?
- 堀井:
- 高級レストランで食べる料理ではなくて、それぞれの地方料理。家庭でつくった料理をうつわに盛り付けて、テーブルにクロスを敷いて……。自分が“美しい”とか“素敵だ”と思える空間で食事をする、そういう日常や食卓が素敵だなと思ったんです。
自分に嘘をつかない
大学卒業後、料理スタイリストとして仕事をするようになった経緯について教えてください。
- 堀井:
- 実は卒業後、ある料理系出版社への就職が決まっていたんです。
でも、辞退されたそうですね。
- 堀井:
- そうなんです。今でも覚えているんですけど、就職前に会社の新年会に出席した時、当時の女性社長に「近々結婚しようと思っています」と話したら、「もし自分の娘だったら、結婚と就職を同時にスタートさせると破綻するから勧めない」って言われて(笑)。
それは心が揺れますね。お母さまには相談されましたか?
- 堀井:
- 進学や仕事、結婚、どんな場面でも母は自分の考えをもってアドバイスをしてくれたのですが、いつも私自身に選択させてくれると同時にその選択を応援してくれました。戦争中叶わなかった大学進学や仕事の夢を、自分の子どもたちには自由に好きな方向へ後押ししたかったのかなぁとありがたく思っています。実際、私は自分で選んだ道以外に進んでこなかったので、後悔するより一生懸命歩いてみようと思いました。主人との結婚は心に決めていたし、色々考えた末に就職を辞退することに。卒業後は、いくつかの編集部で仕事をいただきました。
当時の雑誌業界におけるスタイリストの役割はどのような感じでしたか。
- 堀井:
- よく知らないこともありますが……ファッションスタイリストとして活躍されていた方はいらっしゃいましたが、インテリアや料理のスタイリストは殆どいなかった時代。撮影用の食器を準備したりスタイリングする仕事は、主に雑誌編集者が担っていたと思います。私が関わらせていただいていた媒体は、たまたま“スタイリスト的な作業は誰かに任せたい”という思いを持った編集者の方が多かったんです。そういう背景もあって、ごく自然な流れで徐々にスタイリスト的な役割をこなすようになっていきました。
そうだったのですね。
- 堀井:
- 当時すでに気が付いていたんですけど、私は編集の仕事や文章を書くことが好きというよりは、写真の方に惹かれていたので……。
堀井さんにとっていい流れだったわけですね。ちなみに、プライベートと仕事の両立はいかがでしたか? 社会人一年生であると同時に新婚さんでもあったわけですが。
- 堀井:
- 今思うと結構大変でしたね。当時は私だけではなく主人の方も深夜まで残業することが多くて、2人揃って忙しかったです。
- 啓祐:
- 終電で帰ってくるような毎日で、時に会社に泊まることもありました。あなたも、結構朝帰りになったりしていたよね(笑)。
- 堀井:
- そうそう。撮影前日のコーディネートチェックが深夜とか明け方までかかることもあって、タクシーで帰宅したりして。そんな時代もありましたね。
当時経験されたことで、何か印象深いエピソードはありますか?
- 堀井:
- 色々ありますけど、仕事を通じて「自分の正直な“感覚”を大切にしよう」と思えたことが、今の自分の生き方にも繋がっている気がします。
どんなことがきっかけで、そういった思いが芽生えたのでしょうか。
- 堀井:
- ある媒体で花柄の特集に関わったことがきっかけでした。実は個人的に花柄が苦手なのですが、撮影打ち合わせの現場で「この花柄のカップ、かわいいですよね」と言っている自分に対してハッとしたというか……。大勢の人が好きそうなものを想像で選ぶ自分を俯瞰して見ながら、“本当にこんなふうに進めていいのかな?”と大きな疑問が湧いてしまったんです。
30歳、ニューヨークへ
その後、啓祐さんの転勤をきっかけに、30歳でアメリカのニューヨークに住まいを移されました。料理スタイリストの仕事も、一旦お休みというかたちにされたのでしょうか。
- 堀井:
- 約8年続けたのですが、渡米をきっかけに辞めたんです。
一人で日本に残るという選択肢は全く無かったんですか?
- 堀井:
- 無かったですね。私、そういう時に迷わないんです(笑)。「一緒に行きたい」って思ったから、仕事はすっぱり辞めようと。そうしたら、ニューヨークに越してきて2年めのタイミングで、以前仕事をさせていただいた文化出版局の『装苑』の編集部の関直子さんから“ニューヨークの暮らしのレポートを書いてみませんか?”という連載のお誘いをいただいたんです。
のちに『堀井和子の気ままなパンの本』(1988年・白馬出版刊)として書籍化された連載「シンプリシティ・イン・ニューヨーク」ですね。文章だけではなく、写真やイラストなどすべての素材をご自身で手掛けられたとか。
- 堀井:
- 「写真もお願いします」という依頼をいただいたんです。イラストに関してはスタイリスト時代から絵コンテなどを描いていたのでなんとかなりましたが、写真は……。挑戦ではありましたけど、「文章・写真・イラスト」この3つを駆使すれば、何とか自分の心が動いたものについて伝えられるんじゃないかと思いました。
著者が一人で執筆から撮影、スタイリングまで全ての役割をこなすスタイルは今でこそ珍しいことではなくなりましたが、当時はかなり新鮮だったのではないでしょうか。帰国後も、『装苑』では色々な記事をつくられたそうですね。
- 堀井:
- 「編集長になったつもりで、やりたいことに挑戦する」企画もさせて頂きました。自分が“欲しい”と思う洋服やガラスのうつわ、芋版で包装紙をつくったり、スプーンに文字入れをしてもらったり……。自分の理想をかたちにする機会をたくさん頂きました。
『気ままなパンの本』以降、料理や暮らしにまつわる書籍を数多く出版されました。
- 堀井:
- もともと原稿を書くのはそんなに好きな方ではないのですが、「本をつくる」という行為がすごく楽しかったです。著者として関わると、レイアウトや表紙の装丁などについてある程度意見を伝えられます。グラフィックデザイナーの方と「この写真はどう使う?」「表紙周りはどういう色にしようか?」など相談しながら本が出来ていく工程が、とても楽しみで。ちなみにこれは、書籍の撮影用に用意した絵コンテなんですけど……。
書籍『26枚のテーブルクロス』(2003年・文化出版局刊)のコンテですね。かなり具体的に、細かく描き込んである……。ここまで緻密に計算して撮影に臨むんですね。
- 堀井:
- そうですね。私、凄く「色」が気になるので、前後のページの色の組み合わせとかも想像しながら細かく描きますね。
堀井さんの著作を改めて読み返してみると、とても情報量が多いなと思います。たとえば料理をテーマにした本だったら、必ずレシピ以上の発見があるんですよね。「この料理はこういうかたちのうつわに合うんだな」とか、「この料理とこの料理を一緒に盛り付けると色合いが綺麗なんだな」とか……。こうしたら面白いよね、素敵だよねっていう、どこか編集者的な視点を感じます。
- 堀井:
- そういうところはあるかもしれませんね。
個人的なことで恐縮なのですが、これまで読ませて頂いた堀井さんの本の中で特に印象に残っているものがいくつかあって。その中の一つが、『和のアルファベットスタイル─日本の器と北欧のデザイン』(2001年・文化出版局刊)。日本のものってなんてモダンなんだろう! という気づきをくれた一冊です。『北東北のシンプルをあつめにいく』(2004年・講談社刊)も印象的でした。秋田県の伝統工芸品であるイタヤ細工の馬(イタヤ馬)が表紙に写っているのですが、この本をきっかけに自分の中で日本のものと海外のものがフラットな関係性になったんです。海外カルチャーにずっと憧れていたけれど、日本も同じくらい素敵だ! と思えるようになりました。
- 堀井:
- イタヤ馬もそうですけど、木の皮を編んだり組んだりしてつくられた日本の東北地方のものって、どこか北欧の工芸品に似ていますよね。
ちなみに、日本文化や工芸への興味は何がきっかけだったんですか。
- 堀井:
- 服飾デザイナーである水野正夫さんの本には、大きな影響を受けたと思います。水野さんの著作を通じて、“日本のいいもの”について色々なことを学ばせて頂きました。あとは、アメリカで暮らしたことも大きかったですね。外国で暮らしたことで、日本のうつわや食文化の凄さを再発見できました。帰国後の1990年ぐらいから、主人の実家がある秋田に帰省する足で岩手などをまわったりして、日本の地方を旅するようになったんです。
「1丁目ほりい事務所」のこと
2010年に、ご主人の啓祐さんと2人で「1丁目ほりい事務所」を立ち上げられました。基本的に展覧会をベースにしながら、その時々に決められたテーマでものづくりをされていますが、改めてスタートの経緯について教えてください。
- 啓祐:
- 社会人になった時から55歳が自分の定年だと思っていて、55歳になる何年か前から「やめていい?」って時々相談していたんです。そうしたら、「そんなに言うんだったらどうぞ」という話になって。
- 堀井:
- ふふふ(笑)。
- 啓祐:
- まずは「遊ばなきゃ」って思って、2人でフランスに一ヶ月くらい滞在したりしました。気の赴くままに車でフランスの田舎をあちこち巡って……。本も好きなので、分厚い本を山積みにして同時並行でそれらを読んだり。そんな中で、「何かやろうか」という話をするようになりました。僕としては2人でリタイアを楽しむというのは大事にしたかったので、新しいことをするにしても大きいビジネスにしてリタイア前のような状態になることは一切考えていませんでした。まずは“2人でやりたいことって何だろう?”ということを考えるところからはじめたんです。
- 堀井:
- 最初は、“経営会議”と称してずっと会議をしていました。
主にものづくりをしていく、という方向性は最初から決まっていたんですか?
- 堀井:
- そうですね。アメリカから帰国した後、書籍を出させていただいたり、雑貨店からお声かけをいただいてオリジナルの食器をつくったり、いわゆる「ものづくり」をする機会は時々あったんですけど……。
- 啓祐:
- メーカーにいたので、やるなら「ものづくり」の会社がよいと思っていました。わがままを言って周りにも迷惑をかけて、早期にリタイアをさせてもらったこともあり、2人でリタイア後の暮らしを存分に楽しむというのが大前提で、会社もその延長線でと思いました。会議をしていく中で、自分たちはもちろんのこと、協力してもらう皆さんも一緒に「ものづくり」を楽しめる「遊び場」とか「おもちゃ箱」のような会社になるといいね、ということで2人の意見が一致しました。でも、僕らがつくりたいものを話し合っていると、それで利益を出すのは難しそうだし、利益にこだわっていると「遊び場」や「おもちゃ箱」の趣旨から外れていくので、なかなか難しいということはわかっていたので……会社を立ち上げるにあたっていくつか方針を決めたんです。たとえば「儲けることにこだわるのはやめよう」とか。
社訓みたいなものですか?
- 啓祐:
- そうですね。昨日、ひさしぶりに会社の記録を見返していたんですけど、2010年の8月17日に会社の方針を決めたみたいですね。「借金はしない」、「遊び心を忘れない」、「ありそうでないものをつくる」。あとは……「やりたくないことはやらない」。
- 堀井:
- 「失いたくない日本の美しいものや美味しいものを次の世代に伝える」ということもそうですね。
なるほど。
- 堀井:
- 当時2人で話をした夢のプランの一つに、「H.O.M.A(Horii Museum of Art)」というものがありました。実現不可能なことも含めて、「こういうことはできるかな?」と色々なアイディアを話し合って、メモしたんです。今見るとずいぶん夢が叶っている気もしますが、たった2人でこの年齢から……なので、夢のままになっていることも多いです。
先ほど「利益を出すのは難しい」とおっしゃっていましたが、堀井さん自ら“経営”をするのははじめての経験ですよね?
- 啓祐:
- そうですね。僕の話にキョトンとすることもあったので、和子には、まず経営学のピーター・ドラッカーの本を読んでもらいました(笑)。
あはは(笑)。
- 啓祐:
- 会社を立ち上げたあと、今もそうですが、以前の経験を生かして他の会社の顧問の仕事をしています。「会社を回して行くためにはどうしたらいい? アルバイトすればいいじゃない!」って。退職後に何社か、経営の手伝いをして欲しいと声をかけてくださったところがあったので、そこで得た報酬で会社を回して、ものづくりの部分では赤字が出ない程度に自分たちの好きなものをつくっていこうと……。そういう感じのスタートでしたね。
- 堀井:
- 「店を持たない」ということも、最初に決めました。店を持つと、維持をする為にやりたくないことをやる必要が出てきてしまうかもしれない。それは本末転倒だから、あくまで、やりたいことだけやっていける環境をつくろうと。
お2人の間での役割分担はありますか?
- 堀井:
- 私は企画やアイデアとかをかたちにしていく集中力はある方だと思うんですけど、ビジネスのコミュニケーションはすっごい苦手で、逃げたくなっちゃうんです(笑)。でも主人は、その辺りを落ち着いて淡々とこなすことができるので。
- 啓祐:
- 基本はこの人が企画担当で、その他諸事全般が僕の役目ですね。
「1丁目ほりい事務所」の商品第一号、または初期の商品はどういうものでしたか?
- 堀井:
- クロスやランチョンマット、あとはプレートやガラス製のジャム入れですね。ガラスは昔から好きな素材で、これまで色々なトライをしてきています。例えばガラスのジャム入れは、普通のメーカーだと工程が多くなったり予算が上がってしまって難しいと判断されてしまうであろう、デザインを選んだりしていて。使っている最中はもちろん、洗ったものを並べて乾かしている間も視覚的にわくわくするところが気に入っています。
以前1丁目ほりい事務所の活動についてお話を伺った時、「もしもつくったものが売れなくて残ったとしても、自分たちの家にあって嬉しくなるものをつくりたい」とおっしゃっていたのが印象的でした。やはり基本的にご自身が使いたいもの、欲しいものであるということが、ものづくりにおける大切な基準になっているのでしょうか。
- 堀井:
- そうですね。スタートする時に「あったらいいな、でも売ってないな」というものを沢山リストアップしました。何気ない感じだけど見飽きなくて、“こう使ってみたらどうだろう?”と、想像が広がるもの。
時に、作家さんと協同してものづくりをされることもありますね。
- 堀井:
- 初期に作家さんと一緒に手織りのアイテムをつくった時は、「今までにないものをつくりたい」という思いで、手探りで向き合いました。「ここが難しい」となったらプランを大胆に変えて、双方が面白さや楽しさを感じる方法で取り組んでみています。作家さんと一緒に研究を重ねたことでいいかたちに仕上がって、お客さまに気に入っていただけたことを、誇りに感じています。
スタイリスト時代も含めて、堀井さんはこれまで基本的に「選ぶ」立場だったと思います。つくり手として0からものづくりをするのは、また違う感覚というか、エネルギーがいることなのかなと想像しますがいかがでしょうか。
- 堀井:
- 私たちの商品は大量につくれるタイプのものではないので、欲しいと思ってくださる全ての方にお届けできないジレンマも時にありますけど、何百という単位でつくったら、売り切れないです(笑)。無茶で贅沢な方向を目指すことは少ないのですが、「この部分だけは凝りたい」「型を起こすところからやりたい」「単価が高くなっても小部数で印刷したい」といったピンポイントの挑戦はしますね。
なるほど。
- 堀井:
- 沢山の量をつくれなくても、自分が欲しいと思うものや今までできなかったものに挑戦していきたい。職人さんがいなくなってしまったり、材料が調達できないなど物理的な理由で二度とつくれないものもあるし、うちの商品は将来的に“レアもの”になる可能性があるんですよ(笑)。例えば50年後ぐらいに、誰かがヴィンテージショップで1丁目ほりい事務所がつくったものを一生懸命探してくれてるといいなって思ったりします。
素敵ですね!
- 堀井:
- 「そうそう、ここがいいんだよね!」って思ってくれる人が少しでもいてくれたら幸せかな。買ってくださった方が、私たちつくり手が想像もしなかったような面白い使い方をしてくれている可能性もあるじゃないですか。そんなふうに人とものがつながっていくこと、ドキドキしています。
自分の手を離れた後、つくったものが使われている様子をみるのは嬉しいものですよね。
- 堀井:
- そうですね。どんなジャンルに関しても言えることだと思うんですけど、それを使う人の感覚次第で面白くできるんだろうなぁと思うんです。自分たちがつくった商品が、買ってくださった方の日常でどんな風に使われているのか、想像するとわくわくします。「こういう風に使ってみたいな」「こういう使い方もできるんだ」と、使い手の想像力を掻き立てるようなものをつくりたいですね。
“自分の眼”で、たくさん見つめる
これまで何度かご自宅のリビングにお邪魔させていただく機会がありましたが、先ほどはじめて奥の部屋を見せて頂きました。色々と興味深いものが並んでいましたが、どういった役割の部屋なのでしょうか。
- 堀井:
- 1丁目ほりい事務所にとって、刺激を受け続けたいものや自分たちが良いと思っている大事なものを集めた部屋です。企画展の折には、コラージュのポスターや作品、早めに注文したアイテムが積み上がるんですよ。
書棚には国内外問わず色々なジャンルの本が並んでいて、絵本が充実しているのも印象的でした。
- 堀井:
- 絵本は刺激をもらえるので、今もずっと買い続けていますね。あの部屋にある本は、一生手放さないだろうなと思えるものなんです。
堀井さんがつくってきたものやご自宅の中にあるものを改めて眺めると、どれも温かみを感じつつも柔らかいだけじゃない芯の強さやシャープさを感じます。なんというか、“可愛いだけじゃないよ”っていう、ユニセックスなニュアンスを感じるというか。
- 堀井:
- ストレートで透明なものが好きなので、それが反映されているのかもしれませんね。20代の頃から趣味が変わっていないんですけど、子どもの頃もお人形遊びや手芸といった女の子らしい遊びに全く興味がありませんでした。飛行機や自動車が好きだったので、空を指さしている写真がたくさん残っているんです(笑)。
それはちょっと意外ですね。
- 堀井:
- 洋服に関しても、大学生の時くらいからワイシャツにジーンズとかユニセックスな服装が好きでしたね。そういえば、イラストレーターの大橋歩先生がご自身のエッセイの中で私のことを「少年がそのまま大きくなったような人」と書いてくださったことがあったんです。確かに、小さな男の子が好きそうなものが好きなんです。色もシルバーや黒が好きだし、デザインも硬めのものが好きで。
先ほど20代の頃から好きなものが変わらないとおっしゃっていましたが、堀井さんがずっと好きなものって、具体的にどんなものなんでしょう。
- 堀井:
- 厚みのあるガラス、文字のデザイン、サンビームのトースター。メタル素材のもの。あとは……ロックのCDと、子どもが描く絵や文字。
ダイニングテーブルの横に額装して飾ってある姪っ子さんが描いた文字も、堀井さんらしいなと思います。書籍の挿絵や1丁目ほりい事務所の商品デザインに使われていますね。
- 堀井:
- そうですね。手描きの文字、昔から好きなんです。
きっと、この質問を堀井さんにしたい人は沢山いるんじゃないかと思うんですけど、その視点のブレなさだったり、決断力や直観力、自分らしいものを選ぶ眼を備えるにはどうしたらいいんでしょう。
- 堀井:
- 私の場合は、やはりスタイリスト時代に沢山のものを見たことが大きいと思っています。仕事を通じて、「ものを見る」ことを覚えました。あとは……自分らしさを知るためには、“イガイガ感”を覚えておくことも大切だと思いますね。
イガイガ感?
- 堀井:
- はい。スタイリストをしていた時に、料理ページの撮影現場で自分が借りてきたうつわと料理を合わせていく中で、ぴったり合わせたと思っても時々不協和音を感じることがあったんです。そういう“ズレ”みたいなものを、私は「イガイガ感」と呼んでいて。その感覚をちゃんと覚えておくと次の仕事に役立つし、「自分らしさ」を知ることにも繋がるんじゃないかと思いました。
イガイガ感を記憶することは、自分が違和感を感じるものを可視化することでもあるのかもしれませんね。それを積み重ねていくことで、自然と自分らしいものを選べるようになる。
- 堀井:
- 旅の最中や足を運んだ展覧会などでいろんな色とかニュアンスに出会って、「これは好きだな」「わくわくするな」と思えるものがどんどん増えてきて……。好き嫌いを迷いなく判断できるのも、今までの積み重ねなんだと思います。
年を重ねるにつれ、“好きのサンプル”が増えていったわけですね。
- 堀井:
- そうですね。ポジティブなサンプルだけじゃなくて、買って失敗したものとか、微妙なニュアンスの違いでコーディネートしにくかったものとか……。そういうものが積み重なっていくと、「これは買っても間違いない」とか「これは絶対飽きる」といったことが直感的に分かるようになってきます。例えばギャラリーの展示を見に行った時、はじめに気になったもの以外にいくつも真剣に見つめても、大抵は一番はじめに手にとったものを買うことが多いんです。そういうことを何回も繰り返しているうちに、自分の眼がギャラリーに入った瞬間に捕えた一点を信じていいように思いはじめました。
なるほど。
- 堀井:
- 説明文を読んで価値を理解して……という流れではなく、自分の眼で沢山見つめることによって、ディティールを判別する機能が少しずつ精度を増していくのかもしれません。もちろん、あくまで自分の好きな度合いについてなので、必ずしも正解ということではありませんが。
皆さまに伺っているのですが、これまでのあゆみを振り返ってみて、ターニングポイントはいつだったと思いますか?
- 堀井:
- やっぱり一番はアメリカで3年間暮らしたことですね。「どういう風に生きていこう?」ということに関する2人の意識がすごく変わったので。
- 啓祐:
- アメリカ生活の中で一番印象的だったのは、皆が“生活を楽しむ”ことをとても大事にしているということでしょうか。たとえ裕福じゃなくても、お金がなければないなりに人生を楽しんでいる。それまでは僕も典型的な会社人間で朝から夜までずっと仕事をしていたんですけど、アメリカでは大体16時半には仕事が終わって、夏時間の時は、それから友人や家族とゴルフコースを周る人もいたりして……。中心が会社ではなく、あくまで家族と一緒に毎日を楽しむ自分自身が中心。僕も家内ともっと生活を楽しまなくちゃいけないなって思うようになりました。
- 堀井:
- 会社から帰ってきて、18時ぐらいからドライブに行ったりしましたね。
それまでは「生活を楽しむ」といったキーワードは身近なことではなかった?
- 啓祐:
- もちろん楽しんでいたんだろうけど、僕はやっぱり仕事が中心になっているようなところがあったと思います。
- 堀井:
- かなり遠くまでドライブしたり、冒険もいっぱいしましたね。新しく吸収したものもたくさんあったけど、自分が好きなものや見たいと思うものは変わらない。マンハッタンに行っても高級ブランドの店には行かずに、ギャラリーやインテリアショップ、雑貨屋さんとか本屋さんが気になって足を運んでいましたね。あとは、食べ物屋やパン屋を見つけるのが楽しかった。
- 啓祐:
- 僕が半年ぐらい先に現地に行って暮らしの基盤を整えたんですけど、合流して「まずはどこに行きたい?」って聞いたら、どこで情報を得たのか地元の人も知らないような小さなパン屋さんに行きたいって。ニューヨークのダウンタウンの、当時とても危ない場所にあって怖かったけど、あれは面白かったな(笑)。
堀井さんらしいエピソードですね。そういうささやかな日常の中にある「当たり前」に豊かさを見出す考え方って、今でこそスタンダードになりましたが、堀井さんが出版されてきた書籍などの影響も大きいのではないかと思っています。凄く身近なところにあって誰でも実現できそうな、“身の丈の憧れ”みたいな。今、お2人がつくっているものにも、そういう空気を変わらず感じます。
- 啓祐:
- 基本、僕たちがつくるものの価格は、“自分のお金で無理なく買えるくらい”、ということを意識しているんです。正直な話、もうちょっと高くしないとなぁと思うこともあるけれど、高い値段設定はこの人がすごく嫌がるので。
- 堀井:
- そうですね。
- 啓祐:
- でも実際、うちに飾ってあるものも高いものはあまりないよね。
- 堀井:
- ピンとくるものを選んだら、という感じかな。自分がすごくいいと思ったら、それが有名作家のものじゃなくても大事にし続けられますよね。
自分たちがつくるものも、そういう風にありたいと思いますか。
- 堀井:
- 「こういう風につくりたい」という思いはあっても、色々と高いハードルに悩まされることもありますが……自分たちの生活する空間を面白くしてくれるものであって欲しいなと思いますね。実用に特化したものでもなく、アートでもないもの。生活空間に存在することで、自分の心が動くもの。そういうものをつくっていけたらいいなと思います。