長年営んでいた骨董店「さる山」を畳んでから2年。
グラフィックとプロダクトのデザインを中心に、
時に舞台美術や音楽制作まで実に幅広いジャンルに携わっている猿山さん。
そのすべてに共通するのは、“レイアウト”というキーワードだ。
写真:HAL KUZUYA 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
猿山修(さるやま・おさむ)
デザイナー。「ギュメレイアウトスタジオ」主宰。1996年より元麻布で古陶磁やテーブルウェアを扱う「さる山」を営み、2019年に閉店。現在はグラフィック、空間、プロダクトまで幅広いジャンルのデザインを手掛けると同時に、演劇音楽の作曲や演奏にも携わっている。
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猿山さんといえば、かつて「さる山(2019年に閉店)」があった元麻布の印象が強いのですが、現在は浅草にお住まいなんですね。今回お邪魔しているこちらは住居兼仕事場とのことですが、とても面白い物件で驚きました。
- 猿山修さん(※以下敬称略):
- 「さる山」を閉める少し前に、長い付き合いだった工務店の社長に「猿山さん、ちょっと面白い物件があるから見に行かない?」と誘われて、ここに連れてこられたんです。その時はまさに手つかずのすごい状態だったんですけど、確かに面白いなぁと。入居を決めてから少しずつ手を入れて、今はこんな感じになりました。
お店を閉じられた今は、この場所が活動の拠点になっているわけですね。
- 猿山:
- そうですね。不定期でオープンスタジオをやったりもしています。
今回猿山さんにお話を伺わせていただくにあたって、改めてこれまで手掛けられてきたもの・ことを見返していたのですが、グラフィック、プロダクトデザイン、空間デザイン、音楽制作そして舞台美術まで、関わってらっしゃるジャンルがかなり多岐にわたっていますね。
- 猿山:
- そうですね。朝に本のデザインのデータをいじって、昼過ぎに制作中のうつわのサンプルが届く、みたいな生活で、すべてが同時進行なんです。
基本はグラフィックとプロダクトデザイン関連の仕事をメインにされているのかなと思うのですが、それぞれのバランスはどんな感じでしょうか?
- 猿山:
- 本の装丁や名刺デザインの仕事などは定期的にいただいていますけど、最近はプロダクトデザイン関連の方が多い気がしますね。いや、どうだろう……。プロダクトの仕事の方が時間がかかるだけで、単純に仕事の数としてはグラフィック関連の方が多いのかもしれないです。
猿山さんに仕事を依頼される方たちは、やはりどなたかの紹介でというケースが多いのでしょうか? なぜだかそういうイメージがあります。
- 猿山:
- 紹介制にしているわけではないのですが、そういう方が多いですね。お店を閉めたことも関係しているのかな。でも思えば昔から、全く知らない方から仕事の依頼をいただくことが少なかったかもしれません。
依頼があったら、新規の方からの仕事も受注されるんですか?
- 猿山:
- もちろんです。ホームページにもそう書いてありますからね。もっと積極的に売り込まないといけないとは思っているのですが、売り込み方がわからないんです(笑)。
デザイナー・猿山修の原点
少し時間を遡って、まずは「さる山」以前のお話を伺いたいと思います。最初に「デザイン」というものと接点を持ったのはいつだと記憶していますか?
- 猿山:
- 子どもの頃からずっとそうなのですが、基本的に「もっとこうすれば使いやすいのに」「こうすればすっきりみえるのに」というようなことを思いながら、日々ものと接しているんですね。例えば僕は小学生の頃からずっと自転車が趣味なんですけども、自転車のカスタムって子どもでも簡単にできるじゃないですか。「次はこのパーツに変えてみよう」と考えてそれを実行していくことは、感覚としてはデザインの仕事に近いものがある気がします。ですから、頂いた質問の答えとしては小学生の頃、ということになるのかもしれません。
なるほど。
- 猿山:
- 中学生の時は埼玉の浦和で暮らしていたのですが、家の近所に自転車フレームの工房があって、小学校低学年からずっとそこに通っていました。職人さんたちが気にかけてくれて、「なんでこのパーツがこうなっているかわかる?」「この角度をこうじゃなくてこうすると、どうなるかわかる?」など、自転車の仕組みを色々と教えてくれました。そうすると段々、自分が欲しい自転車はこういうかたちで細部はこういう風に変えてみたい、といったことが見えてきちゃうんですよ。中学3年生の時にはじめてフレームからオーダーしたのですが、その時につくった自転車が今も家の入口に置いてあります(笑)。
凄い! デザイナー・猿山修の原点ですね。自転車に限らず、ケアしながらものを長く使う、ということは猿山さんにとってごく当たり前のことなのでしょうか。
- 猿山:
- そうですね。今日履いているスニーカーも20年以上履いているものだし、この腕時計も……。
その腕時計にはどんなエピソードが?
- 猿山:
- これは中学生の時に、父が懇意にしていた近所の時計屋のご主人から頂いたものです。ある時、「デッドストックで、もう店頭に出すわけにもいかないからこの中から好きなものを選んでいいよ」と言われて。一度修理してもらいましたけど、それ以降はオーバーホールもしてないんです。すごく丈夫ですよね。
猿山さんのお話を聞きながら自分の小中学生時代を思い出していたのですが、自分を含め周りの友達も「新しいものってかっこいい!」という意識が強かった気がするんですね。一つのものを大切に使い続けるという価値観は、どういう経緯で身についたのでしょう。
- 猿山:
- 僕は3つ上の兄がいて、基本的にすべてのものがお下がりだったんですね。ランドセルは新品でしたけど、でもそれ以外はほとんどお下がり。例えば図工の時間に使うような道具とか、ああいうのも全部。当時使っていた定規は、兄の名前が残っている状態で今現在も使っています(笑)。
大学は4年制大学に進学されたんですか?
- 猿山:
- そうです。すぐに中退しちゃいましたけど。その後飲食店やアパレルショップで働く中でご縁が出来たブラウスメーカーに入社したのですが、そこで働いたのもごく短い期間でした。その後転職した広告代理店でグラフィックデザインの仕事を一通り学んでその後独立、今に至ります。
どんな思いを胸に独立されたのでしょうか。
- 猿山:
- 当時、「僕はデザイナーになる」という意識はそこまで強くなかったと思うのですが、仕事の窓口としてデザイン事務所「ギュメ」を構えました。「ギュメ」というのはフランス語の引用符で、真似ではなく、自分がいいと思うことを精査し改良していく、という意味合いで付けました。ただ、バブルが崩壊してすぐのタイミングだったので、なかなか厳しい船出ではありましたね。決まっていた仕事が突然無くなるとかは良くある話で、本当に仕事が無かったです。デザイン以外の仕事、例えば舞台の照明とか音響とか美術とか、本当に色々なことに関わっていました。
「古道具さる山」のはじまり
その後、26歳の時に西荻窪で事務所兼店舗「さる山」をスタートされました。
- 猿山:
- 近所の空き店舗を事務所代わりに借りて、自分の関わった仕事やデザイン資料として収集していたものを並べたのがはじまりです。当時、グラフィックの他に店舗デザインの仕事も手掛けるようになっていたのですが、古い家具をメンテナンスして仕事に取り入れるうちに、それらを自分の店でも商品として扱うようになりました。今もそうですが西荻窪は昔から骨董屋が多くて、週末は骨董屋巡りをする方も多くいらっしゃったんです。そういう方たちが僕のところに来て見てくれるのは主に骨董で、「この装丁、僕がやったんですよ」って言っても誰も興味を持ってくれない。最初は「さる山」と店の看板に書いていたんですけど、オープンしてふた月もしないうちに、その横に小さく「古道具」と書き足したんです(笑)。
若干26歳で骨董屋を営むというのは、その業界的にはかなり早かったのではないですか?
- 猿山:
- そうかもしれないです。一般的にはどこかの店で修業をして独立する方が多いと思いますが、僕の場合は店をはじめる前から店舗内装やディスプレイの仕事に使うものを探すために競り市にも出入りしていましたし、周りに古道具を仕事として扱っている仲間もいたので古物取引の許可証を早めに取得していたんです。
店に並べていた古物は、最初は猿山さんの私物である食器類が主だったと伺っています。
- 猿山:
- そうなのですが、当初は食器は家になかったんですよ。当時暮らしていた家は四畳一間で、趣味で持っていた登山用の調理道具でお湯を沸かしたりご飯を炊いて食べる、というとてもコンパクトな暮らしをしていたので。
それは意外ですね。
- 猿山:
- ただその後、仕事の資料として古いうつわを集める必要が出てきて徐々にその数が増えていきました。
資料としてですか?
- 猿山:
- はい。ある時、友人を介して「レストランの壁面に植物の絵を描いてくれないか」という依頼を頂いて受けたことをきっかけに、その後も数珠繋ぎに同じような仕事を頂くようになりました。色々な飲食店に出入りをするうちに、「このプレートに名入れしたいんだけど、引き付けてくれるところ知ってる?」みたいな話になるわけです。当時はまだインターネットもないので電話帳で探して、良さそうな会社を見つけたら話をして繋いだりして……。そうこうするうちに「店のロゴを変えたいからデザインしてくれる?」みたいな話になって。その流れで、うつわのデザインの依頼や相談が増えてきて、うつわというものを知る必要が出てきたんです。最初はデパートの食器売り場からはじまって、色々な店に足を運んでリサーチをするわけですが、「この部分がこうだったら、もっと良くなるのに」とか思っちゃって、あまり参考にならない。
子どもの頃からの癖ですね(笑)。
- 猿山:
- 「もともとこれはどういうものだったんだろう?」とか「なんでこういう意匠なんだろう?」ということに興味を持って調べるのですが、わからないものが多くて。それで、蚤の市や骨董屋に足を運んで店主に聞いてみると、みんな喜んで答えてくれるんですよ。そうするとますます気になって、古いものをどんどん買うようになって……それが溜まっちゃって、自分の店に並べるようになったという。長くなりましたが、こういう経緯です(笑)。
それにしても猿山さんは頼まれ上手というか、周りの方もつい何かを頼みたくなるのでしょうか。店舗内装、家具の修理、絵を描いたりうつわをデザインしたり……。どれも或る程度専門的なスキルが必要なもので、ある日突然できるものではない気がするのですが。
- 猿山:
- 結局、子どもの頃から何かつくっては周りの人に見せることを喜びにしていた部分がありますからね。その延長ですよ。「こんなことできる?」って聞かれると「やったことないけどできます、多分」って答えちゃう。
その「できます、多分」の積み重ねが、今の猿山さんの仕事の幅広さに繋がっているのかもしれませんね。話を戻しますが、先ほどお聞きしたようなきっかけで触れるようになった古いものを見る時、ご自身が魅力を感じるものに何か共通点はありましたか?
- 猿山:
- まずは、自分がつくろうと思った時の参考になるかどうかが大事でしたね。
それは主に「かたち」に関してですか?
- 猿山:
- かたちもそうですし、使い勝手も。日本人とうつわの関係って海外のそれとは少し違っていて、食事をとる時、直接うつわに触れる機会が多いじゃないですか。
手を添えて持ったり、口をつけて食べたり。
- 猿山:
- だからものすごく細かい気配りがされているというか、デリケートな世界ですよね。古いうつわの中には、かなり強いショックを受けるくらいの発見があったものもありました。もちろん、現代の量産品に発見が全くないわけではないですが、あったとしても「使いにくいな」とか「業務用に寄れば寄るほど口当たりが悪くなるな」とかそれくらいの参考にしかならない。でも古いものだと、見た目は鈍くさい感じなのに妙に使い勝手がいい、と感じるものに出会うことがあります。それを購入してしばらく自分の生活の中で使ってみると、その理由が必ずわかるんですよ。そこから、自分なりのデータ収集がはじまるわけです。
データはどのような方法で記録していたんですか。
- 猿山:
- まずは写真とスケッチですね。サイズや素材、自分が気になった点を手書きでメモして。今も続けていますけど、ほぼデジタルになっちゃいました。
古いものからの学びに関しては、猿山さんの盟友とも言える「東屋」の熊田剛祐さんも同じようなことをおっしゃっていました。現代まで残っている「古いもの」は、理由があるからそうなったんだと。
- 猿山:
- この世に生まれてからこれまでに、かなりの数の人に選ばれてきたわけですよね。そういうものは個人のつくり手の作品に限った話ではなくて、工業製品でも例えば100年以上の歴史がある会社のものは、その商品を新品で選んでいる人もかなりの数いるということ。「昔お父さんが使っていた灰皿、自分も気に入っているから同じものを買おう」というパターンもあれば、たまたま中古市場にあるものを購入するパターンもありますよね。
工業製品であれば、会社としても長期にわたって同じものをつくり続けるために製作費や材料の見直しなど「継続していくための選択」を何度も行ってきて、その中で残るもの・残らないものが出てくるわけですよね。
- 猿山:
- そうですね。蚤の市っていうのはいわば、そうやって選ばれ残されてきたものの「博覧会」みたいな状態なんですよ。もちろんすべてが良いものじゃないけど、そういうところが一番の魅力だろうなって思います。
骨董屋として営業するようになってからは、手元にあった食器類以外にも販売用に買い付けをされるように?
- 猿山:
- そうですね。ボロボロの鉄の道具とか……。そういうものを地方の業者市場で競り落とすんですけど、「お前、そんなもん買ってどうすんだよ」という感じで早くから名前を覚えられて、可愛がってもらいました。毎月一週間ぐらいは知り合いの業者のところを回る生活をしていましたね。
ダイレクトな質問ですけど、そういう古物というのは利益が出るものですか?
- 猿山:
- 大体、店の家賃とアルバイトの子の給料に消える感じでした。ただ、自分としてはデータ収集をすることが最大の目的なので、古物で利益を上げなくてもいいと思っていたんですね。だから実際は、グラフィックデザインとか舞台美術に関わるものとか細々とでしたけど版画を売ったりとか、そういうので食べていました。
CLASKA Gallery & Shop "DO" ディレクターの大熊健郎が、西荻窪時代のお店にお邪魔したことがあるそうで、置いてあるものはもちろんですが、空間のつくりかたやレイアウトに大きな衝撃を受けたそうです。バイオリンなどの楽器を壁に飾っていたとか。
- 猿山:
- そうでしたね。
見慣れたはずものが全く違った姿で目の前に現れたことに驚いて、「“もの”は、周りとの関係性で価値が変わるんだ」ということを痛感したそうです。
- 猿山:
- 今おっしゃった「レイアウト」というのは、自分の仕事を語る際の重要なキーワードです。最初にお話をしたように、普段いろいろなジャンルの仕事をしているのですが、どれも「レイアウトをする」という行為が共通しているんですね。
レイアウト、つまり配置をするということでしょうか。
- 猿山:
- そうです。骨董屋の店づくりもプロダクトをデザインすることも「そのものの在り方を決める作業」つまり「どういう風に配置していくかを考える作業」という共通点があります。古物を買い付けて店に並べることも、音楽をつくることも一見すると異なったジャンルですが、自分にとっては同じことなんですね。