決して奇をてらってはいないけれど、どこかユーモラス。
どこまでも自由にかたちを変える粘土のような、
人の身体と生活空間にすっと馴染む家具をデザインする岡嶌要さん。
オーギュスト・ロダンの作品に魅了され、美大時代に学んだのは「彫刻」。
“彫刻も家具も、屋内外空間に存在する「塊」である”。
その自由でしなやかなものづくりについて話を伺った。
写真:川村恵理 文・編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
Profile
岡嶌要(おかじま・かなめ)
デザイナー。京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)美術科彫刻卒業。「IDÉE」において企画開発およびプロダクトデザイナーとして活躍後、2006年に独立。2008年より「CLASKA」のデザインディレクションに参加。「Hotel CLASKA」の客室デザイン・制作を手掛けたほか、CLASKAオリジナルのプロダクトやインテリアのシリーズも精力的に発表。彫刻で培った造形技術を生かし、インテリア、プロダクト、建築、アートの領域を横断する表現活動を展開中。CLASKAのプロジェクトとして展開していた「interior & furniture CLASKA」を「HOIM(ホイム)」としてリブランディング。新作家具18点がラインナップに加わり、2022年4月1日新たなスタートを切った。
https://claskahoim.com/
岡嶌さんが普段いらっしゃるショールーム兼店舗の斜め前にはかつて「Hotel CLASKA」 (2020年12月閉館)が建っていましたが、とうとう取り壊されてしまいましたね。
- 岡嶌要さん(※以下敬称略):
- なんだか、もう随分前のことのように感じますよね。
Hotel CLASKAの客室デザインをいくつも手がけてらっしゃいましたし、CLASKA発のインテリアブランドのデザイナーとして活動されていますので、今回はいわば身内への取材ということになるのですが、意外と岡嶌さんについて知らないな、と思いまして。
- 岡嶌:
- 近いようで意外と、ですね。
はい。もともと、CLASKAに関連する仕事以外にも個人で店舗や住宅、オフィスなどの空間設計を手掛けてらっしゃいますよね。
- 岡嶌:
- そうですね。家具をつくって、空間設計をやって、オブジェやプロダクトをつくったりも。なんというか……色々やっているんです(笑)。
ジャンルは違えど、それぞれ“デザインする”というキーワードで繋がっているのかなと思うのですが、「interior & furniture CLASKA」が2022年4月1日に「HOIM(ホイム)」という名前で新たなスタートを切ったということで、このタイミングで岡嶌さんのものづくりのルーツや今現在のこと、そしてこれからの話まで色々と伺わせて頂けたらと思います。
- 岡嶌:
- よろしくお願いします。
彫刻は家具であり、家具は彫刻である
生まれは京都だそうですね。
- 岡嶌:
- 地元は京都の山科区というところです。一応京都市内ではあるんですけど、滋賀県との県境にある山のそばに位置していて、洛中(京都の中心部)の人たちからしたら京都ではない場所ですね(笑)。両親も京都で生まれ育っていて、僕も生まれてから大学を卒業するまでずっと京都にいました。
どんな少年時代を過ごしましたか?
- 岡嶌:
- 根っからのスポーツ少年でしたね。水泳にサッカー、高校からはラグビーをはじめました。京都って、結構ラグビーが盛んな場所で。京都の「伏見工業高校」から「同志社大学」に進学して日本一になった選手がいて、その方が僕にとってのスターなんです。
スポーツ一色の生活から、「京都造形芸術大学(現:京都芸術大学)」を志すようになるまでにはどういう経緯があったのでしょう。
- 岡嶌:
- 多分、きっかけは父親なんですよ。父はテレビ局に務めていたのですが、実に多趣味な人というか“手先が器用”っていうレベルじゃない手の技術を持った人で。和凧をつくる凧師として世界的に有名だったりするんです、実は。
ということは、小さな頃からものづくりが身近にあったんですね。
- 岡嶌:
- そうですね。家には父のアトリエがあって、そこでなんでもつくっちゃうんですよ。家も自分で改装するし、母に「ここを掘りごたつにしてほしい」と言われたらやっちゃう、みたいな感じで。
すごい。そういう家庭環境で育つ中で、ごく自然な流れでものづくりの世界を意識した、という感じなのでしょうか。
- 岡嶌:
- 多分そうですね。
お父さんの姿は、岡嶌少年の目にはどう写っていたのでしょう。
- 岡嶌:
- 単純に凄いなと思っていました。「無いものはつくる」という、DIY精神が。ちなみに、祖父は建具屋だったんです。
なるほど、そういう家系なんですね。大学では彫刻を学ばれたそうですが、なぜ彫刻だったんでしょう?
- 岡嶌:
- ベタですけど、きっかけはオーギュスト・ロダンですね。日本人にとっては、ロダンといえば「考える人」だと思うのですが、実はあの作品は「地獄の門」という大作の上の方に座っている小さな一部分が切り取られた物なんですよ。もちろん「考える人」も素晴らしいと思うのですが、一番はじめに衝撃を受けたというか“凄いな”と思ったのは、高校生の頃に写真で見た「カレーの市民」という作品で。
東京・上野の「国立西洋美術館」に収蔵されている作品ですね。
- 岡嶌:
- そうです。6人の像それぞれの手の表現が凄くて、単純に「こういうのをつくってみたい」と思いました。あと、「カテドラル」という晩年の作品も好きですね。この作品に関しても、手の表現に惹かれました。
大学生活はどうでしたか?
- 岡嶌:
- 正直に言うと、「(ロダンという)完成された世界だけを見て、うっかりこの世界に入ってしまった……」と思わざるを得ない時期もありましたが、粘土という素材が実にしっくりきましたね。あらゆるかたちに変化する自由さはあるけれど、完全に固まるものではないから難しい。でも、そういうところが自分のマインドと相性が良かったんだと思います。入学してすぐは基礎課程で粘土、その後は石や木も掘っていました。途中から透明の樹脂を使うようになったんですけど、“樹脂の塊の中に鳥の羽を浮かせる”という作品づくりをずっとやっていましたね。
鳥の羽。
- 岡嶌:
- そうです。いかにも学生という感じで今となっては気恥ずかしいんですけど、反骨心を表現していたんですよね。自由を連想させる鳥の羽が透明なものの中で抑圧されている。そこから脱出する! というコンセプトで。そうしたらですね、ある時図書館で偶然手に取った本に倉俣史朗さんの「Acrylic Stool」という椅子が掲載されていて、それを見て本当に驚きました。
それはどういう作品だったんですか?
- 岡嶌:
- まさに、アクリルの塊の中に羽が浮いているという作品なんですよ、「うわー!」って(笑)。「椅子らしいけど、どう見ても彫刻だし、ただの椅子ではない。なんだこれは……」と、めちゃくちゃ気になってしまって。この倉俣史朗さんの作品を見た時に、「あ、家具をつくろう」と思ったんですよね。家具というものに興味を持つきっかけになりました。
ちなみにその時、倉俣史朗さんのことはご存じだったんですか?
- 岡嶌:
- いや、全く知りませんでした。「この人誰だ?! 僕がずっと追求していたものが完成してるじゃん!」という感じです(笑)。そうだ、少し話が逸れますけどいいですか。
もちろん。
- 岡嶌:
- ロダンの弟子としてコンスタンティン・ブランクーシがいますよね。ブランクーシはロダンよりもより作品が抽象的になっていった人で、ブランクーシの弟子としてイサム・ノグチがいます。僕がイサム・ノグチを最初に知ったのは、照明や家具のデザイナーとしてではなくて彫刻家としてでした。それもあって、イサム・ノグチの家具を家具としては見れないというか、どうしても「これはやっぱり彫刻だよな」という目で見ちゃう。決して悪い意味じゃないですよ。
彫刻も家具も、素材は違えど「塊」ですものね。
- 岡嶌:
- そうそう、塊なんですよ。何が言いたかったかというと、倉俣史朗さんの作品を通じて、彫刻は彫刻であり、同時に家具にもなりうるんだという気づきを頂いた、ということです。
イサム・ノグチは公園もつくっていますよね。素人目線で見ると、彫刻から照明や家具へいう流れはわかるのですが、公園をつくるというのは空間設計になるから全然違うものだろうな、と思うんです。
- 岡嶌:
- 逆のものですよね。今でこそ空間設計の仕事をやらせて頂いていますが、最初は全く興味が持てませんでした。先ほどの話にあったように、どうしても「塊」で見ちゃうから、そもそも分からないというか。でも、年を重ねるごとに段々わかるようになって興味が出てきて、少しずつ空間の仕事もやるようになって。学校で教わったりしたものではないのでわからないことだらけからのスタートでしたが、今は空間も面白いなと思うようになりました。トライ&エラーをたくさん重ねてきて、気が付けばこれまでに50案件ほど関わらせて頂いています。
空間設計の仕事は何がきっかけではじめることになったのですか?
- 岡嶌:
- それこそ「Hotel CLASKA」が最初ですね。単純にホテルという人に使われる空間をつくれたことが楽しかったし、なかなかうまくいったんじゃないかと思っています。
名作になる家具は、どんな家具?
大学卒業後の進路は、在学中にある程度はっきりイメージしていましたか?
- 岡嶌:
- 3年生くらいまでは、先生に薦められたこともあって大学院に進学しようかなと考えていました。
彫刻をさらに突き詰めようと?
- 岡嶌:
- 漠然と、彫刻家になろうとしていたんだと思います。でもやっぱり、彫刻ってすごく狭い世界というか……家具は、人に使われることを前提につくられるものじゃないですか。
そうですね。
- 岡嶌:
- 例えばある立体物を彫刻作品としてつくって、同時に全く同じかたちのものを家具としてもつくった場合、見た目は同じなのに人の手に渡った後の扱いがかなり違うわけです。先ほど「イサム・ノグチの家具や照明を彫刻として見ちゃう」という話をしましたが、だったら家具としてつくった方が人の生活の中で親しんでもらえるんじゃないかということで、段々と家具の方に魅力を感じるようになったんです。
大学卒業後は「IDÉE(イデー)」に就職されたそうですね。
- 岡嶌:
- はい。何かの雑誌でIDÉEに関する記事を読んで、「この会社で働きたい!」と思ったんです。自慢じゃないけど、当時1000人のうち10人しか受からないという高倍率で(笑)。
すごいですね!
- 岡嶌:
- 入社したはいいけど、家具のことなんてほぼ知らないに等しかったですからね。最初に配属されたのは倉庫でした。「なんで俺は倉庫なんだ」って、当時は半分腐っていたと思います。時々、こっそり家具の図面を引いて椅子とかをコソコソつくったりして……。そんな時、当時の社長が倉庫に来た時にたまたまその椅子を見て「おいお前、才能あるじゃないか」って言うわけですよ。「あると思ったから採用したんじゃないのか」って(笑)。それは冗談ですけど、「これ、すぐに商品化しよう」ということになって、それがはじまりですね。
どんな椅子だったんですか?
- 岡嶌:
- カバが口を開けてあくびをしているようなかたちをした「Yawn chair(ヨーンチェア)」(99年発表)という椅子です。商品として販売された、僕の第1作目ということになりますね。
名前もそうですけど、ユーモアのあるかたちをしていますね。
- 岡嶌:
- 最初に自分でプロトタイプをつくった時は、全部自分の手で削って、それこそ彫刻をつくるようにしてつくりました。
はじめての商品化、どうでしたか? きっと、いい気分ですよね。
- 岡嶌:
- はい、すごく。売上という意味での反応も良かったんです。Yawn chairがきっかけになって企画部門に異動してつくる方に身を置くようになり、結局IDÉE には8年か9年在籍したのかな。大きなものから小さなものまで、特注案件も含めると300以上デザインしたと思います。
当時デザインした商品で、特に思い出深い物はありますか?
- 岡嶌:
- まず思い浮かぶのは、「POD」(2000年発表)と「AO(アーオ) Sofa」(2003年発表)ですね。
PODは、「Hotel CLASKA」の宿泊フロアの共有部にも置いてありましたね。はじめて見た時、これは椅子なのか、はたまたオブジェなのか、不思議な印象を受けました。
- 岡嶌:
- この椅子は、人が“胡坐をかく”行為をデザインに落とし込んでいるんです。
実に岡嶌さんらしい作品ですね。
- 岡嶌:
- これは世界的な評価を受けた作品でもあります。「MOMA」に置いてもらったり、インテリアの巡回展で世界中に紹介してもらったり。素材がラタンであるというのも、アジアっぽさや日本らしさが感じられて良かったのかもしれないですね。
いずれも発売してからかなりの年月が経っていますが、今も人気が高いと聞きました。それこそ「名作」と言ってもいいのではないかと。長きにわたって支持されている理由は、なんだと思いますか?
- 岡嶌:
- うーん、正直わからないですけどね。アプローチが彫刻的だったからかな……。「AO sofa」に関しては、日本の居住空間のサイズにフィットするコンパクトさも良かったのかもしれません。外国製のソファって大きくてかっこいいけど、日本の家には大きすぎることが多いですよね。ソファに限らず、「コンパクトでも美しい家具」ということは常に意識している気がします。
なるほど。常々思っているんですけど、家具の世界ってすごく「名作」が強いですよね。多少のブームの波はあるにしても名作と呼ばれるものはそれこそ何世代にもわたって支持されるような、確固たる地位を築いている印象があります。新しい家具が名作として歴史に名を刻むことが凄く難しそうな……。
- 岡嶌:
- そうだと思います。
すごくざっくりとした質問ですが、どういう家具が名作になっていくのだと思いますか?
- 岡嶌:
- 素材やその加工に関して、はじめての技術だったり新たな視点から見た用い方がされていたり、圧倒的な「オリジナリティ」があるもの。そういうものが名作になっていく印象がありますね。職人含めチームで知恵を出しあって考え抜いて、とことん突き詰めた結果だと思います。
それまで誰もやっていなかったことをやる。
- 岡嶌:
- そういうことですね。例えばイサム・ノグチの代表作である照明の「AKARI」も、もともと日本人にとってはごく親しみがあった提灯をつくる技術を照明に置き換えることで誕生した名作ですよね。その発想の転換やAKARIをつくる技術はイサム・ノグチのオリジナルだから、他の誰かが似たものをつくったとしても決してオリジナルとは呼ばれない。
なるほど。
- 岡嶌:
- もちろん、造形性(デザイン)が優れていることも大切でしょうし、なにより多くの人に支持をされないと名作として残ることはできないと思います。
オブジェとして愛でるために買うというケースは別として、家具って生活の中で使うものだから、例えば椅子であればいくらデザインが良くても座りにくいと使い手としては困ってしまいますよね。岡嶌さんは、家具のデザインをする時「使いやすさと造形性のバランス」ということに関してどれくらい意識しますか?
- 岡嶌:
- 当然人が使うことを考慮に入れてデザインしていますが、僕としては人体にフィットするかたちと造形性のバランスをとることは、そんなに難しいことではないんです。
それは、原点に彫刻があるからでしょうか?
- 岡嶌:
- そうですね。彫刻で人体のかたちを沢山つくってきた経験値があるから人の身体の構造が頭に入っているというか、感覚的にわかっている。そういう意味で“彫刻から家具へ”という流れは、デザイナーとしてひとつの武器になっているのかなと思います。設計は数字での表現でもあるので、感覚から導き出された結果の数字は大切に残して応用や更新を続けていますが、同時に、心地よい家具をつくるためにそこまで極端な数式は必要ないと思っています。
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