写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子 (CLASKA)
Profile
大平一枝 Kazue Odaira
作家、 エッセイスト。 失われつつあるが失ってはいけないもの・こと・価値観をテーマに各紙誌に執筆。 市井の生活者を独自の目線で描くルポルタージュコラム多数。 著書に『ただしい暮らし、 なんてなかった。』 (平凡社)、 『あの人の宝物』 (誠文堂新光社)、 『届かなかった手紙』 (KADOKAWA)、 『東京の台所』 (平凡社)、 『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』 (毎日新聞出版)など。
Instagram:@oodaira1027
OIL MAGAZINEの休刊にともない、 本連載は今回が最終回となる。
2019年の創刊以来4年間余、 4組の家族を取材してきた。 ひと組の家族を、 3~4カ月ごとに巡る。
それぞれのご家族の最終回時に、 私なりのまとめを記してきた。
ここでは、 市井の家族を繰り返し訪ねるという連載で何を学び、 自分にどんな変化があったかを僭越ながら記したい。
暮らしの編集のできなさ
取材して、 帰って書いて、 入稿して。 その繰り返しを28年続けてきた。 ほとんどの取材相手が一期一会で、 同じ人と再び会うことは少ない。
雑誌や書籍など通常の取材では、 ついあらかじめ一番絵になるところを決め、 一人でも多くの人を惹きつけそうなテーマを据えて、 きれいにまとめがちだ。
しかし、 この連載は違った。
季節ごとに毎回同じ人と会う。 タレントさんではない市井の人を相手に、 何でもない暮らしや心のささやかな移ろいを記す。
取材チームの写真家、 編集者とは、 これまで他の媒体の連載でご一緒していた。
とりわけ編集者と私は、 長年幾多の取材を重ねる中で、 ある共通の問いを抱きはじめていた。
——人の暮らしの一部を編集してまとめるということは、 じつはそんなに簡単なものではないのでは。
絵になるところ、 話題になりそうな部分だけを抽出して、 規定の文字数に落とし込むことで、 その人を取材したことになるんだろうか。 本当に描ききれているだろうかと自問自答が深まっていた。
SNSで、 だれもが 「私」 を発信する。 それはかつて、 自分たちの仕事だった。
そういう発信では描けない、 じっくり家族を追った物語を。 予定調和にならない、 普通の人の暮らしに定点観測で追ったら、 何が見えてくるだろう。 何でもない暮らしにつぶさに光を当てたら、 変化はあるのか。 ないのか。
そんな動機から、 この企画は生まれた。
ちょうど、 平成から令和に変わったばかりだった。
料理家として第一線で活躍しながら二児のステップマザーを担ってきたサルボ恭子さん、 同性の恋人と当時同棲7年目だった会社員の中津圭博さん、 祖母と特殊な絆で結ばれる笹木千尋さん、 夫を亡くして間もない3児の母で交響楽団員、 蛭海たづ子さんの協力を得て、 自分にとっては類例のない、 令和の 「かぞく」 の在り方を取材する日々がはじまった。
ちなみにかぞく、 とひらがなにしたのは、 法律上は家族でない同性婚のような多様な形態も、 家族として捉えたいという発想から。 いろいろあっていいという思いに、 家の族という漢字がどうしてもしっくりこなかった。
はたして、 4組から見える家族の姿、 3カ月でさえ大きく変わるドラマに、 私は息を呑んだ。
開始同時18歳だった少年は、 恋人と静岡に移住した。 地方から両親を呼び寄せて二世帯住宅をはじめた人もいれば、 同性パートナーのために家を建てた人もいる。 かつて私達にメロンを切ってもてなしてくれた81歳の女性は、 その後夫と息子を亡くし、 高齢者の療養型病院にいる。 今は歩くことや発話はできない。
たった4年の間にも、 いたはずの人がいなくなったり、 愛すべき存在が増えたり、 仕事をやめたり、 起業したり、 移住したり。 予想もつかないことの連続だった。
私はますます、 人の暮らしの編集のできなさを痛感した。
マーブル模様の心
何でもファストで、 効率のよいことがいいとされる世の中で、 これほどの手間暇を良しとする恵まれた取材の場は稀少だ。
傾聴しながら自分の家族を思った。
田舎の母へのわだかまり、 息子のあっという間の独立と結婚、 ひとり暮らしの義母のこと。 介護に奔走する友達の家族を思い出すこともあった。
ある日の取材後、 写真家の笠井爾示さんが、 こう言った。
「家族って、 何もない人っていないんだな。 みんな何かしら抱えて生きてますよね」
12歳から家族と別れひとりドイツで暮らしたという氏の、 素朴なつぶやきが胸に深く残った。
そう本当に。 失ったり、 壊れたり、 すれ違ったり、 でもやっぱり折り合ったり。 何もない人なんていない。
家族といると誰もみな表情はリラックスするし、 なごむ。 だからといって、 何もないわけではない。
「家族だからこそ悩むし、 わかりあえないこともある」 と言ったのは、 笹木千尋さんだった。 自分の移住先の近くの病院に、 祖母を引き取る決断をした頃か。
私はこの一言を聞くために、 彼女のもとに通ったんだなあとわかった。
自分を振り返っても、 家族だからこそ言えないことがいまだにたくさんある。 帰省するたびに思う。 テレビドラマみたいに、 きれいにわかりあえたりしないのが、 家族なんだよな……。
甘えと遠慮、 思慕と同族嫌悪にも似た大人げない気持ちがマーブル模様になった心をいつも少し持て余しながら、 東京に戻る。
たいていの人は、 それぞれにかたちや色は違ってもそんな模様があるのだと、 この連載ではじめて知った。
出たとこ勝負。 どんな話が出てくるのか、 または出ないのか、 見当がつかず不安もあった企画を、 「大丈夫だ。 いける」 と早期に後押してくれたのが笠井氏の写真だった。
マンションの中庭、 飲みかけのコップ、 寝たきりになった祖母を見守る孫の後ろ姿。
何でもない日常の風景から切り取る彼の写真は酷く雄弁で、 経験からくる狭い私の固定概念を取っ払ってくれた。
日々は一見変わらないように見えて、 変わっている。
たとえば、 いつまでもいると思った親がいなくなる寂しさを人は憂う。 だがこの定点観測でわかった。 若くても元気でも、 家族とは動いて流れて、 やがていなくなるもの。
だからこそ、 ささやかな変化を味わいたい。
大事なことは大きな道だけではなく、 脇道でも見つかる。
取材という限られた時間でも、 脇道に咲く花や小さな謎に気づくやわらかな目を忘れまい。 ささやかなものを取りこぼさず、 すくい取ることに集中したこの連載のように。
この場を借りて、 取材協力者のみなさん、 スタッフと CLASKA の方々、 何より広大なデジタルの海から、 ささやかな4組の生活史に目を留めてくださった読者の方々に感謝を申し上げたい。
稀有な企画が成立したのは皆さんのおかげである。
ありがとうございました。
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