東京で暮らす4組の家族を、 定期的に取材。
さまざまな 「かぞく」 のかたちと、
それぞれの家族の成長と変化を見つめる。
写真:笠井爾示 文:大平一枝 編集:落合真林子(OIL MAGAZINE / CLASKA)
かぞくデータ
中津圭博さん(37歳・会社員)
Kさん(38歳・医師・男性)
取材日
Vol.1 笑った分だけ親身になれる、ふたりの10年/2019年1月
Vol.2 人はみな最後はひとり。だからこそ交わした、ある契約/2020年6月
Vol.3 傷つけられた記憶は消えない/2020年11月
Vol.4 コロナで人生が大きく方向転換/2021年3月
Vol.5 夢を叶えた彼の生グレープフルーツサワーと恋のはじまり/2021年7月
Vol.6 内なる充実、忙しいけれど安らかなふたり/2021年12月
Vol.7 彼が変えた僕の人生/2022年4月
Vol.8 人生の転機、再び/2022年9月
Vol.9 ビジネスの正念場、 一通のメール。 そして仲間/2023年1月
Vol.10 2023年5月
かぞくプロフィール
香川県出身の中津圭博さんは、 高校時代に性的マイノリティを自覚。 上京後は LGBT を対象に相談支援活動を行う NPO 法人の代表や世界の食の不均衡をなくすNPOなど、 精力的に社会的活動に参加。 証券会社、 運用会社を経て、 2021年4月飲食事業会社に転職。 九州出身、 医師の恋人Kさんとは25歳から交際。 同棲11年になる。
中津・K 家にはまた新たな展開があった。 医師の K さんが独立開業する方向で、 ふたりの意志が固まったというのだ。
都心の大学病院を経て個人経営のクリニックに勤めているKさんから、 美容や健康に関した事業なども視野に入れた自分のクリニックについて考えはじめているとは聞いていたが、 4カ月前の取材では具体的にはなっていなかった。
「独立していく同期たちの姿を見て、 開業するなら早めの方がいいのではと思うようになったんです。 まずは町の人達が気軽に通える、 こじんまりと一日40人くらいが来られるクリニックをね」 (Kさん)
開業を予定しているエリアには病院がない。 それに愛犬スターンにも毎日会えますから、 と冗談めかしてニッコリ。 腹は決まっているらしい。
「医療は継続性が大事なので、 今勤めているクリニックの患者さんたちから離れるのは少し切なくなりそうだけど……。 でも、 僕は考えすぎると、 やりたいことができなくなるので」
中津さんは一時の忙しさに比べると落ち着いたのとのことで、 週 1 回は休めている。 料理や、 いっしょにゴルフに行く時間もできた。
「日本酒の仕事で国内外の出張が多く、 飛行機に乗りすぎて腰痛が酷くなりましたが」 と語る表情にも、 ゆとりが感じられる。
金融の仕事も動いているが、 今は執行役員を務める飲食事業が正念場なので、 そちらが主軸だ。
令和 1 年から訪ねはじめた中津 ・ K 家は、 今回でちょうど 10 回目になる。
メニエール病、 転職、 互いの任意後見契約、 マイホーム建築、 中津さんと実父の再会。 この4年間に転機や環境の変化が大きかったふたりに、 取材を振り返りつつ、 あらためて 「かぞく」 について問いかけた。
——我々は、 既成概念の 「家族」 から、 もっと自由に多様な絆を描きたく、 あえてタイトルの 「家族」 をひらがなにするというささやかな意図を込めて、 連載をスタートしました。 今、 おふたりが考える家族とは、 何でしょう?
人は比較をしたがる
「僕は、 家族の肖像という中に扱われるのは、 違和感がありました。 一緒になって 10 年経ったから、 家族だねって言われるのも違うなと思うし。 もともと結婚したいとも思っていない。 家族という言葉にとらわれていないんですよね」 (Kさん)
ふたりは2年前、 公証人役場で任意後見契約を結んだ。 当時、 Kさんの語った理由が印象深い。
「僕は最近、 大きめの買い物をしたのですが、 そういうものも、 僕が死んだら中津は蚊帳の外になってしまう。 これだけ長い時間一緒にいて、 幸せな時間を過ごしたのに中津が “その他のひとり” になってしまうのは違うなと。 中津がいるからできたことがある。 いつ死ぬかわからないけど、 中津が幸せに生きていけるならいいなと思って証書をつくりました」 (vol.2 「人はみな最後はひとり。 だからこそ交わした、 ある契約」より)
上述の 「大きめの買い物」 とは家である。
この時、 家族という言葉で括るとか括らないとか、 ひらがなにするとか、 表面的なところで足踏みをしていた私は、 すとんと腑に落ちた。
そう思える存在がいるということが幸福であり、 それは LGBT であれ誰であれ変わらない。 我々は、 そう思えるパートナーと暮らす人たちの喜怒哀楽を、 淡々と定点観測していこうと。
中津さんは自らに問いかけるようにつぶやく。
「どこまでを家族っていうんでしょうね」
彼は、 長い間疎遠だった故郷・香川の父と、 最近三回会っている。 一度目は法事で帰省した折、 父が営むバーで母と。 二度目は仕事で帰省した折にひとりで。 三度目は、 父が用事で上京した折に、 中津さんの仕事場である日本橋へ。 その夜は六本木、 新宿とはしごした。
2歳の頃、 父のDVで離婚。 幼い頃はたまに会っていたが、 25歳でセクシャリティをカミングアウトした際、 殴られて10年絶縁。 父からの歩み寄りで再開したのが3年前である。
「何回か続けて会うと慣れてきましたが、 やっぱり親子とか父という実感はない。 親じゃなく、 ひとりの人間として見たら楽になれる。 でも世間から見た呼び方は、 “父親” なんですよね。 ……親のことを親と思っていないっていうのも、 僕の中にも “親とは、 家族とはこうあるべき” という固定観念があるからかもしれません」
親ならこうふるまってほしい、 が出てくる。 なのにそうじゃない時の落胆、 痛みのぶり返し。 それもまた、 過去の傷の深さはともかく、 共感できる人は少なくないのではないか。
だから、 親子という枠の外の、 ひとりの人間としてなら許せたり、 気にならなかったりするのでは。
「自分の親のこともそうですが、 世の中には家族という言葉に縛られている人が本当に多いなと実感します。 たとえば、 相手のこともよく理解できていないのに、 外向けに家族と言い切ってしまう人とかをみると、 家族って何? って思ってしまいます」
また、 それぞれのかたちがあっていいのに、 人は比較をしたがるという独自の指摘も。
「親から見られてどうかとか、 友達から見られて、 子どもから見られてどうか気にする人が多い。 人からどう思われようと、 家族のありかたも、 生き方もありのままでいいのになって。 縛られるの、 もったいないです」
アイコニック (肖像、 象徴) なんかでなくていい。 それぞれの人生なのだから。 ありのままに、 自分の心のままに生きるのに苦労を多めに重ねたふたりだからこそ抱く心の声に、 重みが加わる。
「良くも悪くも、 ふたり以上の関係性を指す総称。 家族って、 “概念” でしかないんでしょうね」 (Kさん)
「自分たちが思いたいものが “家族” 。 本人たちが認めたいと思う関係性のありかた。 そう、 やっぱり概念なんでしょう。 Kと? うん、 ここはもう、 そう」 (中津さん)
“ありのまま” を、 オープンにするのはじつはひどく難しい。 4年間、 4カ月ごとに開示し続けてくれたふたりに、 あらためて心から敬意を表したくなった。