Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
上野駅の公園口を出ると正面に「東京文化会館(1961年開館)」、右手に「国立西洋美術館(1959年開館)」、それに挟まれた道を足早に行くと、右手の遠く(かつてジョサイヤ・コンドルが設計した建築があったあたり)に、関東大震災後に建てられた「東京国立博物館(1938年開館)」が見えてくる。さらに歩を進めると、「東京都美術館(1975年開館)」のモダンなガラスとタイルの壁面が現れる。
駅からここまでの数百メートルの間に、東京国立博物館のコンペで渡辺仁に敗れ、ル・コルビュジエ の3人の日本人弟子の一人として 坂倉準三、吉阪隆正らと共に国立西洋美術館の実施設計と監理を担い、東京文化会館を設計し、その後、東京都美術館も手掛けた前川國男の日本近代建築の旗手としての40年以上にわたる軌跡を、ダイジェストのようにたどることができる。
上野に行くたびに「何という贅沢」と思う。
「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展は2008年秋、国立西洋美術館で開催された。いまだに記憶が鮮明に蘇る展覧会だ。
ハンマースホイは、19世紀末のデンマークの画家で、どの世紀末芸術とも一線を画していた。生前は高い評価を得ていたそうだが久しく忘れられ、再評価はコペンハーゲンの「オードロブゴー美術館(1997年)」パリの「オルセー美術館(1997年)」、NYの「グッケンハイム美術館(1998年)」、ハンブルグの「ハンブルグ美術館(2003年)」などでの回顧展からだった。
ハンブルグ展のキュレーター、国立西洋美術館研究員、コペンハーゲンのオードロブゴー美術館館長の協力のもと日本初の大回顧展が企画され、東京展に先駆け2008年の初夏から秋にかけて、ロンドンの「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」で巡回展が先行開催された。
当時、東京都美術館では「フェルメール展~光の天才画家とデルフトの巨匠たち~」が開催中で、知名度のないデンマークの画家ハンマースホイの展覧会に、はたして人は集まるだろうかと危惧されていたという。
しかし結果は“灰色と白だけによって描かれた物静かな絵”に18万人もの人が魅了されることになり、それを機に国立西洋美術館は「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」を購入した。
12年の時を経て、再び上野にハンマースホイ改めハマスホイが帰ってきた。「ハマスホイとデンマーク絵画」展がそれだ。
デンマーク語の日本語表示は度々改められることがある。『アフリカの日々』『バベットの晩餐会』『七つのゴシック物語』などの著作で知られるデンマークの作家 アイザック・ディネーセンもイサク・ディーネセンにと表記が変わり、慣れるまでに違和感を覚えたものだ。
今回の展示は1、2、3室の19世紀デンマーク絵画の変遷から4、5室のハマスホイ展示への転換となる境界に、彼が描いたかのような白い扉が設置されている。
この扉を境に室温が低く感じられるのは何故か。
同時代の他の作家の描く室内画からは子どもの笑い声が聞こえてきそうだが、ハマスホイの室内画には静寂だけがあるからだ。
白い扉、白い窓枠、窓からの光、陽光に舞う塵、人物のいない室内、家具のない床……。
彼が美しいと認めたものや色以外は、全て画面から排除するこの美的感性に対する自信はどうだろう。ジョルジョ・モランディが、瓶や水差しの配置に美を見出したことと同質なものを感じる。
「鋭い審美眼と繊細な感性を持つハマスホイが、心から寛ぐことが出来たのは、彼が何よりもよく描いた、古い時代の簡素で洗練されたものに囲まれた場所だけだった。寡黙で慎み深く、思いやりのある人物だったハマスホイの芸術は、その人間性と同様、静かに、そして詩情豊かに、とりとめのない日常的なモティーフに、どこか現実を超えた、夢のような雰囲気を纏わせるものだった」
とは、友人でもあり画家でもあったヴィゴ・ヨハンスンの言葉だという。
代表作ともいえる「背を向けた若い女性のいる室内」。
銀色のトレイを抱える妻イーダの後ろ姿と、その後方には閉じられたピアノの上に置かれたパンチボウルが描かれている。
この絵に描かれたパンチボウルとトレイも展示されていた。
パンチボウルは2008年の展示ではロイヤル コペンハーゲンによる復刻版だったが、今回はハマスホイが住んでいたストランゲーゼ30番地の室内に実際にあったものだという。
展覧会に先立って、青山の「カール・ハンセン & サン」で、この展覧会の企画・構成をした山口県立美術館の学芸員・萬屋健司氏のレクチャーがあった。
作品調査のため訪れたハマスホイの個人コレクターの家で、絵に描かれたそのもののパンチボウルと遭遇した話だ。
長い間未解決だった微妙な蓋の隙間の謎が解けたという。それは一度割れた陶器の蓋を金属の鎹(かすがい)で継いだことで生まれた歪みだったのだ。
器はハマスホイの生きた時代より100年程さかのぼる18世紀末に作られたものだそうだ。転居の記録や絵を詳細に調べると、家も家具も新しくつくられたものでなく、時の経過と共に古びたものを彼が好んできたことがわかるという。
滑らかなカーブを描く実物のトレイを見ていて、思い出したことがある。
昨年知った新進の金工・道具・装置の作家 永瀬二郎のアルミ作品のいくつかだ。これは浅草橋の「白日」という不思議な店で出会ったもの。白日といえば、インスタグラムに度々登場する女性スタッフの後ろ姿がまるで、ハマスホイの描く妻イーダのようだと常々思っていたところだ。
https://www.instagram.com/p/B7LQX4CF3cT/
デンマークは、家具や陶磁器など命の長いデザインと質の良い手仕事のものを多く生み出している。長く使い込み、生活に馴染んだものに価値を置く生活文化があるからなのだろう。
カール・ハンセン & サンは創業110年のデンマークの家具メーカーで、何代にもわたって愛されているハンス・J・ウェグナーのYチェアなどは、デニッシュモダンの代名詞にもなっている。
1950年にウェグナーがカール・ハンセン & サンにデザインした最初の椅子コレクションの一つ「CH23」を配したインテリアのイメージビジュアルに、こんなものがあった。
「今、ハマスホイの住む部屋があったなら……」と想像をかき立てられる写真だ。
今回の展覧会の特設ショップで扱われていたものに、デンマークの陶磁器ブランド「Kahler」の「Hammershoi」というシリーズがあった。
このシリーズはハマスホイの弟スヴェンのデザインからインスパイアされて生まれたものだという。彼は画家、版画家であり、陶芸家でもあった。長くKahlerの仕事をし、ちなみにメーカーのロゴもスヴェンのデザインだそうだ。
そしてあの復刻されたパンチボウルは、東京・丸の内の「ロイヤル・コペンハーゲン本店」で2月5日(水)より3月末頃まで展示される予定だ。
ハマスホイの室内画に通底する日常の中にある美を選び抜く彼の眼の力の強さ。それを意識した後、今作られているプロダクト・デザインに目を向けることは、ある種の修練のような気がしてきた。
<関連情報>
□東京都美術館
1月22日~3月26日まで「ハマスホイ とデンマーク絵画」を開催中
https://artexhibition.jp/denmark2020/
□山口県立美術館
4月7日~6月7日まで「ハマスホイ とデンマーク絵画」展を開催予定
https://www.yma-web.jp/exhibition/
□永瀬二郎
https://www.instagram.com/jiro__nagase/
□白日 Japanese Antiques & Contemporary Art
東京都台東区柳橋1-24-1 不定休 13:00~19:00 open
https://www.instagram.com/hakujitu_/?hl=ja
□カール・ハンセン & サン
https://www.carlhansen.com/ja-jp
□ロイヤル コペンハーゲン本店
東京都千代田区有楽町1-12-1 新有楽町ビル1階 年末年始休業 11:00 ~ 19:00 open tel:03-3211-2888