Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
BSを見ていると、時々おもしろい海外の料理番組に出くわすことがある。BBC制作のナイジェル・スレーターによる「Nigel Slater’s Simple Cooking」 とナイジェラ・ローソンの「Nigella:At My Table」などがそれだ。
ナイジェル・スレーターは、庭に出てハーブを摘み食材と合わせる。そのセンスの良い組み合わせ、キッチンや調理用具、簡素で趣味の良い室内は見ているだけで眼の御馳走だ。
一方、しどけないシルクのガウンで夜のキッチンに立ったりもするグラマラスなナイジェラ・ローソン。こちらは、料理のレシピがどうのこうのというより、食材や料理をたとえる言葉があまりにも「官能的」なので、おかしさを通り越して興味深い。
彼女にかかると火を通した海老は「珊瑚のような」と表現され、角切りのアボカドは「翡翠の立方体」に。
また、板チョコをバリバリと頬張りながら、「人生の悩みの多くはチョコレートで解決できる。そう思わない?」なんて流し目を送ってくる。こんな料理家っているだろうか?
”イカ墨のリゾット”の回では、「黒い食べ物といえば……」と、本で埋め尽くされた彼女の書斎で、オスカー・ワイルドや彼に影響を与えたユイスマンスの著作『さかしま』を語りはじめる。『さかしま』の主人公 デ・ゼッサントの催した黒い食材尽くしの「喪の宴」のメニュー「黒いキャビアに、黒いリコリス・ウオーター……」などと、デカダンな料理を数え上げる。
渋澤龍彦の『華やかな食物誌』を本棚から取り出すきっかけになった回だ。
彼女はきっと「今日の献立」などでなく、「食」が人にもたらす「感覚」を伝えたいのではないかと思った。
Black Squid Risotto Recipe
https://www.youtube.com/watch?v=7BmK0CzG6ds
今、銀座の「資生堂ギャラリー」では、「記憶の珍味 諏訪綾子展」が開かれている。
諏訪綾子は「食」にまつわる体験をデザインするアーティストで、「そのコンセプト 胃まで届けます」をテーマに、特定のコンセプトを「食」で伝える活動をするfood creationを主宰している。
五感をともなう体験によって、人の感情や感覚に訴える独特なインスタレーションやアートパフォーマンスを生み出す作家だ。
諏訪綾子の存在をはじめて知ったのは2008年の横浜トリエンナーレ。「横浜港大さん橋国際客船ターミナル」でのオープニングレセプションだった。
会場中央には20mもの長い塩のテーブルができていて、トリエンナーレの総合テーマ「TIME CREVASSE」を表すように、塩でできた氷河の端から端まで亀裂が走っていた。
氷のような透明なトレイでサーブされるフィンガーフードを、そのクレヴァスの塩であじわうという仕掛けだ。
その年のトリエンナーレの作品で素晴らしかったのは三渓園での中谷芙二子の霧と、ミランダ・ジュライの50の手書きテキストの標識が並んだ125フィートの廊下=Hallway だが、最初に出会った「塩のテーブル」と荒っぽい塩の味。これが最も強烈に記憶に焼き付けられたアート作品だった。
その後の出会いは「感覚であじわう 感情のテイスト」というインスタレーションで、五味の味覚でなく、喜怒哀楽の感情、目、匂い、想像、口内の感触と音、舌であじわい、最後に身体に溶け込むまであらゆる感覚を刺激するfoodが考えられていた。
「驚きの効いた楽しさと隠しきれない嬉しさのテイスト」から「憎いほどの愛しさのテイスト」まで、101のさまざまな感情の組み合わせがメニューとして並んでいた。
彼女は味覚を表す言葉の組み合わせも独特で蠱惑的で、いったいどんなfoodなのか、想像が掻き立てられた。
2010年の「ゲリラ・レストラン」は、もっと演劇的なパフォーマンスで、選ばれた人だけが招かれる架空のレストランがたった1日だけ出現するという設定。
そこに参加してテーブルについた時に思い浮かんだのが、前述した『さかしま』のデ・ゼッサントの食卓だった。
昨年はレクサスとの恊働の「Journey on the Tongue」。
「あじわうことは旅に似ています」という誘いがあり、自分の心に響く香りを選択する。
選んだ香りから「旅の行先」が診断され、「狂気と狂喜」「野生と瞑想」「自由と超越」という3種類の「テイスト オブ ジャーニー」というロリポップキャンディ型の食べものの中の一つが「処方」される。
そしてそれを咥えてリクライニングシートに座る。口に入れてあじわう部分は機械につながれていてelavaの作曲した音が振動を通じて口の中に広がる。脳内の旅、自分の内側へのトリップ、異世界へと誘うインスタレーションだった。
さて今回は、資生堂ギャラリーの階段を降りていくと薄暗いスペースの中に円卓=”リチュアル・ルーム(儀式の部屋)”が光の中に見えてくる。
その円卓を囲むよう8つの円柱が立ち、上に置かれたガラスドームに8つのモノが入っている。
それが発する香りの中から最も自分の記憶を鮮やかに呼び覚ますものを選び出し、会場のスタッフに伝えると、一枚のチケットが手渡される。そこには「記憶の珍味」を味わうための言葉が記されている。私のチケットには「孤独と自由」、そして、こんなことが書かれていた。
「孤独と自由」
鮮やかな藻が生えている。
緑がかってよく見えないけれど、
水槽の中できっと自由を謳歌する金魚。
ずっと雨が降っている。
濡れなくて誰もいないけれど、
部屋の中で多分時間を持て余す私。
満たすものがない、比べるものがない。
何もない。誰もいない。答えがない。
きっと孤独。だけど心地いい。たぶん寂しい。
もしかしたら自由。
鼓動のような響き、電子音、かすかな人の声で満たされた会場でそれを読みながら待つうちに真っ暗な部屋に一人通される。
しばらく暗闇の中で五感を研ぎ澄ましていると現れるモノ、それを口に含んで何が記憶に立ち現れるかを待つ。
これは自分の中にあって自覚することのなかった感覚を呼び覚ます=自分をあじわうための手順であり、装置なのだ。
またしても諏訪綾子の罠にまんまとかかり、それはいつもかなり楽しい時間でもある。
資生堂ギャラリーの歴史は古く、大正期に開設された画廊で、戦後は「椿会」という精鋭作家たちを集めてグループ展の開催をはじめた。
第一次椿会(1947~54)のメンバーは日本画では横山大観、川合玉堂など、洋画家では梅原龍三郎や藤田嗣治らの錚々たる巨匠が名を連ねている。
2007年からの第六次椿会には塩田千春の名が。
2013年からの第七次椿会では内藤礼、伊藤存、畠山直哉などが参加。70年近くこの展覧会は継続しているという。この由緒あるギャラリーで諏訪綾子のアート体験をするのはまた格別だ。
資生堂がアートやデザインに及ぼした影響は大きい。
その集大成のような展覧会「美と、美と、美。-資生堂のスタイル-」展が昨年の9月、日本橋の高島屋で開催された。
アートディレクションはKIGI。歴代オイデルミンの並ぶさまは壮観。視界が赤で染まる素晴らしい展示だった。たった10日間ほどの展示なので、今年の春からはじまる日本各地を巡る巡回展を見逃さないように。
<関連情報>
□food creation
https://www.foodcreation.jp/jp/
□資生堂ギャラリー
1月18日~3月22日まで「記憶の珍味 諏訪綾子展」を開催中。※3月1日(日)~16日(月)まで臨時休館となります。
https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/
□Journey on the Tongue
https://lexus.jp/brand/intersect/tokyo/garage/journey-on-the-tongue.html
□資生堂パーラー 伝統的メニュー
https://parlour.shiseido.co.jp/shoplist/restaurantginza/
https://parlour.shiseido.co.jp/restaurants/traditionalmenu/index.html
□資生堂の歴史
https://corp.shiseido.com/jp/company/history/
□椿会
https://gallery.shiseido.com/jp/exhibition/past/member.html
□「美と、美と、美。-資生堂のスタイル-」巡回展
https://hanatsubaki.shiseido.com/jp/news/6078/
□ナイジェラ・ローソン
https://www.nigella.com
Black Squid Risotto Recipe
https://www.youtube.com/watch?v=7BmK0CzG6ds
□ナイジェル・スレーター
https://www.nigelslater.com