Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。
アイヌの着物を壁にかけ、その前には李朝の竹張りの棚がありその上にアイヌの漆器「シントコ」を置いた写真。
「まずこの迫力ある布の造形を見られたい。美しく神秘的でさえあるこの着物を。」
これは、その写真に添えられた芹沢銈介の「北方の着物」というエッセイの冒頭の2行だ。
芹沢が身辺に置くさまざまな収集品を紹介する「私の座辺」という『ミセス』誌のための見開きの連載は、1971年1月号からはじまり1年続いた。
つくられた時代も国も民族も異なる芹沢の収集品は、自邸の中で「離合集散」し、ある時はフランスの古卓の上に「物のたまり場」ができていたり、ある日は客との歓談のため取り出されたインカの織物、インドの鬼さらさ、ジャワのバティックなどが中世のスペインの棚に無造作にかけられ、まるで異国の「古手屋」の様相を呈したりした。
芹沢邸の日常を切り取ったかのような部屋の一隅の写真が多い中、この号だけは、まるでアイヌ工芸展の一部であるかのような見事な構成の写真が撮影されている。
9月15日から日本民藝館で「アイヌの美しき手仕事」展がはじまった。
柳宗悦は日本全国の民藝だけでなく、アイヌ民族の工芸文化にも早くから着目していたという。
画家を目指していた芹沢銈介は、20代にはデザイナーとして活躍、32歳の時に柳宗悦に出会いやがて染色作家としてデビューする。芹沢の類まれな模様の才能を見出した柳。柳が指し示した模様の道を、型染という技法で一筋に歩いて行ったのが芹沢だった。
芹沢も若い頃から絵馬の収集からはじまり染織などをコレクションし、アイヌ工芸の収集家 ・研究家として知られる杉山寿栄男と交流を深めてからは芹沢自身もアイヌ工芸に親しみ、その価値を認め収集した。
柳宗悦は出会った頃の芹沢の収集品を一見すると、生涯その審美眼に深い敬意をはらった。
1941年に日本民藝館では最初のアイヌ工芸展「アイヌ工藝文化展」を開催。芹沢はその展覧会の作品選びや展示を任された。柳が「アイヌを最上の姿で示した展覧であった」と評価したその展示の一部も、今回再現されている。
2階の第3室には芹沢銈介の仕事の展示もある。
今はコロナ禍で公開が中止されているが、日本民藝館の向かいにある「西館・旧柳宗悦邸」は、栃木県から移築した長屋門に柳の設計した母屋が付設されている建物だ。
柳以外にも民藝の同人作家の住居は公開されているところがいくつかあり、益子には濱田庄司の暮らした家が陶芸メッセ・益子に移築され「旧濱田庄司邸」として公開されている。「益子参考館」ではなくこちらがバーナード・リーチなど国内外の訪問者が訪れ交流が生まれた家だ。京都・五条坂の「河井寛次郎記念館」は建築も家具調度も河井によるデザインの元住まい兼仕事場で、丸い石が置かれた庭も維持管理されていて見事だ。
そして芹沢銈介の住まいも登呂遺跡公園の一角にある「静岡市立芹沢銈介美術館」の近くに移築されているのでこれも必見だ。
芹沢邸は柳邸、濱田邸、河井邸に比べると仕事場の一部だけの移築なのでこじんまりとしているが、私が最も心惹かれるのがこの照明、「スカイフライヤー(1960年)」。フィンランドのデザイナー ユキ・ヌンミがデザインしたペンダントライトがあるところだ。フランスの古卓や日本などの木工家具、長椅子に掛けた北アメリカのナバホ族の織物、国も時代もさまざまなものが絶妙に調和している。
さて、現在「生誕125年記念展 芹沢銈介―模様をめぐる88年の旅―」展を開催中の静岡市立芹沢銈介美術館。
これは白井晟一の手による晩年の作で白井最後の石の建築でもあり、前年に竣工した松濤美術館に続くもう一つの名作美術館だ。
芹沢銈介から約600点の作品とコレクション約4500点の寄贈を受けた静岡市は、市政100年の事業としてそれを展示する美術館建設を計画、その設計は芹沢の意向で白井晟一に依頼することになった。 白井は芹沢に「民藝的な空間を希望であれば引き受けられない、自分の信じよかれと思う建築を誠意を尽くして創るがそれで良いか」と伝え、芹沢はそれに答えて、「民藝調で無い物こそ望んでいる」と伝えたという。
ぐるりと巡らされた石壁はまるで中世の城壁のようだが、秋になると苑路を形成する金木犀の香りが漂い、建物の入り口へと導いてくれる。
中庭を囲んで回廊のあるシトー派の修道院「ル・トロネ」を思わせる石肌で、同じく中庭もあるようだ。どこかから水音が聞こえてくる。石壁の内側の中庭はなんと水をたたえている。建物の内部はロマネスク建築のようなドームやアーチで構成され、荒々しい石、楢材の組み天井、石の柱が神聖で静謐な空間を生み出している。
「この登呂遺跡と与えられた仕事との共存の課題に挺身できるとすれば、私はこうして年来念じ続けた創造のアニマへの感応をたしかめる好箇の機会となるに違いないと思った」(『石水館 建築を謳う』より。)
“アニマ”とは、生命や魂の意だろう。
2000年前の”先客”との共存には様式の統一やイニシャチブはいらない。石と木と水、その構築に関わる石工や木工の工人たちの仕事の質や創作の成果こそ、古の魂と呼応するものだと彼は考えていたようだ。
赤味の強い花崗岩は紅雲石と白井が名付けた石で、この美術館のために韓国ソウル郊外で採石されたものだという。半地下の八角形塔状の象徴的な空間G室とその前室F室に用いられた黒御影石はインド産。池の底石は中国産の玄昌石。いずれもアジアの石だ。木は飛騨や木曽の山中で選んだ楢材。
芹沢銈介が生涯にわたって集めたものは、日本・アジア・アフリカ・ヨーロッパ・南北両アメリカ・オセアニアなど世界各地の染織品、木工品、土器・土偶、編組品、装飾品、 家具など多岐にわたっており、各民族の生活に深く根ざしたもので約6000点にものぼる。
時代も地域も超越した意識で美を集め、創作をした芹沢銈介の美術館としてこれほどふさわしい建築はないのではないか。
9月19日から東京ステーションギャラリーではじまった「もう一つの江戸絵画 大津絵」展には、日本民藝館から50点あまり、芹沢のコレクションの中からも大津絵の名品の数々が貸し出されている。今回の展示は大津絵の旧所有者の履歴を徹底してリサーチしたもので、審美眼の系譜が浮かび上がる仕掛けだ。
そして民藝としての道具や工芸品と違って、このような絵を民画(民衆の絵画)として位置付けた柳の眼の確かさにも驚かされる。柳は大津絵を掛け軸に表装する時に丹波布の縞格子による仕立てにしたり、軸首にはバーナード・リーチや河井寛次郎が焼いた陶軸などを使っている。誰の追随も許さないそのセンスにも圧倒される。
<関連情報>
□アイヌの美しき手仕事 展 2020年9月15日〜11月23日まで 日本民藝館
https://www.mingeikan.or.jp/events/special/202009.html
□日本民藝館
https://www.mingeikan.or.jp
□益子参考館
https://mashiko-sankokan.net
□旧濱田庄司邸
http://www.mashiko-museum.jp/hamada/index.html
□河井寛次郎記念館
http://www.kanjiro.jp
□静岡市立芹沢銈介美術館
https://www.seribi.jp
□芹沢銈介の家
https://www.seribi.jp/keisukenoie-p.pdf
□生誕125年記念展 芹沢銈介 模様をめぐる88年の旅 11月23日まで開催中 静岡市立芹沢銈介美術館
https://www.seribi.jp/exhibition.html
□芹沢銈介の収集8 アイヌの衣装
https://seribi-museum.shop-pro.jp/?pid=142156960
https://seribi-museum.shop-pro.jp/?pid=134474138
□「もうひとつの江戸絵画 大津絵」展9月19日〜11月8日 東京ステーションギャラリー
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202008_otsue.html
□『白井晟一 精神と空間』 青幻舎刊
http://www.seigensha.com/books/978-4-86152-271-0
□『石水館 建築を謡う』 かなえ書房刊
https://www.yama-semi.com/?pid=90359193