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TOKYO BUCKET LIST. 都市の愉しみ方 お菓子から建築、アートまで歩いて探す愉しみいろいろ。

第28回:トキワ荘と池袋モンパルナス

Profile
関 直子 Naoko Seki
東京育ち、東京在住。武蔵野美術大学卒業後、女性誌編集者を経てその後編集長を務める。現在は気になる建築やアート、展覧会などがあると国内外を問わず出かけることにしている。


4年前、「画家の森田茂のアトリエがオープンハウスを行っています」という建築に詳しい若い友人からのメールで、豊島区で行われている「回遊美術館」のことを知った。

催しの主催は「新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館」というNPO法人で、「昭和初期から戦後にかけて池袋西口 要町・長崎周辺にはアトリエ村と呼ばれる住居群があり、多くの芸術家たちが移り住み様々なコミュニティが生まれ、それは池袋芸術派、池袋モンパルナスと呼ばれた」とあった。その記憶を共有しようと、多くの市民が元アトリエ村周辺を回遊してアートに触れるイベントらしい。
英国では「オープン・ハウス・ロンドン」という年に一度の建築公開ショーケースやオープン・ガーデンという個人宅の庭園を公開するイベントがあるが、東京ではあまり聞いたことがなかった。

「池袋モンパルナス」の言葉に惹かれ、公開中の森田茂アトリエに加えて中村彝アトリエ、佐伯祐三アトリエ、熊谷守一美術館、そしてトキワ荘跡など目白、要町、椎名町をぐるっと巡った。

森田茂アトリエ
森田茂アトリエ
2016年の「池袋モンパルナス回遊美術館」で公開された時の森田茂アトリエ。 写真:筆者提供

森田茂のアトリエは「豊島区立目白の森」に隣接したコンクリート壁の建物で、アイビーに覆われた壁からガラスの箱のような窓が迫り出している。
画伯の絵が飾られた室内も、レンガ敷きの階段や緑や光を取り入れる開口部がさまざまなところにあって、斬新な建築だった。

森田茂は昭和15年(1940)頃要町のアトリエ村に住み、その後目白に転居。このアトリエは母屋の庭先に別棟のアトリエとして昭和53年(1978)に建てられたもので、設計は当時建築科の学生だった廣川明だという。
http://www.akirahirokawa.com/atorie

後に「廣川明と建築術工房」を主宰する彼の作品は以前見たことがあった。レンガとギリシャ建築のような柱をモダンに配した、新大久保にある管楽器専門店だ。

目白通りの先の住宅街の中に次の目的地がある。ロシアの盲目の詩人を描いた「エロシェンコ氏の像」で有名な中村彝のアトリエだ。

新宿区立中村彝アトリエ記念館
新宿区立中村彝アトリエ記念館。広々とした庭もあり、のどかな風情。 写真:筆者提供

中村は大正期に活躍した洋画家で、大正5年(1916)に下落合にアトリエを新築する。そのアトリエはその後復元・整備され平成25年(2013)に「新宿区立中村彝アトリエ記念館」として公開された。

中村彝のアトリエ近くに、フランスで客死した夭逝の画家・佐伯祐三も大正10年(1921)にアトリエ付き住宅を建てている。渡仏を挟んでわずか4年ほどしか使用しなかったらしいが、佐伯夫人の死後に新宿区が敷地と建物を買取。敷地を「佐伯公園」として大正期のアトリエ建築を保存し「新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館」としたとあった。

佐伯公園内の新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館
佐伯公園内の新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館。切り妻屋根の天井高いっぱいの特徴のあるアトリエの窓。イーゼルにかかる絵は「下落合風景」。 写真:筆者提供

池袋周辺にアトリエ村ができる以前、大正期にはこの落合周辺に「目白文化村」という電気、ガス、上下水道など当時の最新のインフラを整備した分譲地ができ、そこに画家や、会津八一、武者小路実篤、林芙美子といった多くの文化人が移り住み交流が生まれたそうだ。

落合に住んだ文化人紹介
舟越聖一、壺井栄などの作家や、安井曾太郎、松本俊介など画家の名前もある。松本俊介は昭和11年(1936)結婚と同時に吉屋信子邸の近くに住み、下落合界隈を多く描いた。「郊外」(1937)はその代表的作品。 写真:筆者提供

「熊谷守一美術館」は、画家が45年間住み続けた千早町の旧宅跡地に私設の個人美術館として1985年に開館、その後2007年から豊島区立の美術館となったところだ。

千早町の熊谷守一美術館
千早町の熊谷守一美術館。4年前の31周年展のポスター。 写真:筆者提供

数年前に公開された映画『モリのいる場所』は、晩年の30年間自宅から一歩も出ることのなかった守一を主題としたもので、主な舞台となったのはジャングルのように樹木が生い繁る庭。それはわずか50坪ほどだったそうだが、守一にとって広大な宇宙のような存在。地面に寝転んで蟻を日がな一日見続けた守一は「蟻が歩き始めるのは左の2本目の足から」と呟く。
美術館の外壁にも守一の蟻がいた。

熊谷守一の代表作「赤蟻」
代表作「赤蟻」が壁面に。 写真:筆者提供

さて最後はトキワ荘のあった町へ。
トキワ荘は1952年にできたアパートで、手塚治虫が雑誌『漫画少年』を出版する学童社の紹介で入居して以来、手塚に憧れるマンガ家志望の若者たちが相次いで住んだところだ。
1982年に取り壊されてしまいその跡地には記念碑が建てられたが、トキワ荘の文化を残したい、という思いから、「豊島区立トキワ荘通りお休み処」という昭和元年築の木造二階建の米店の元店舗を改装した施設が近くに2013年にオープンしていた。

旧・吉津屋米店を改装した「トキワ荘通りお休み処」
旧・吉津屋米店を改装した「トキワ荘通りお休み処」。トキワ荘通り共働プロジェクト協議会はトキワ荘マンガミュージアムができる以前から通称「トキワ荘通り」と呼ばれるようになった商店街周辺=椎名町の昭和史や暮らしぶりなどを調査し情報収集を重ねてきた。その発信基地ともいうべき場所。 写真:筆者提供

1階にはミュージアム関連グッズを販売するコーナーがあり、2階には当時のトキワ荘に住み、マンガ家仲間のアニキ的存在だった寺田ヒロオの部屋の再現もあった。(2021年1月11日までミュージアムで展示中)。
テーブルにあるのは中華料理「松葉」のラーメンのうつわだろう。

中華食堂「松葉」
中華食堂「松葉」のラーメン
藤子不二雄Ⓐの『まんが道』にも登場したトキワ荘の住人たち愛用の中華食堂「松葉」。トキワ荘通りに来たらここの昔ながらのラーメンを食べるのはお約束。 写真:筆者提供

その後、地域住民や商店街、豊島区によるトキワ荘再建の動きは本格化し、一般からの4億円を超える寄付や地域の人や当時の住人からのあらゆる情報を集め、今年の7月にトキワ荘を忠実に復元した「豊島区立トキワ荘マンガミュージアム」が南長崎花咲公園内に開館した。

再現されたトキワ荘
見事に再現されたトキワ荘。この棟の左手に特別展示が行われるミュージアムスペースがある。 写真:筆者提供

特別展示「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」が開かれるというので10月に訪れてみた。 映画のオープンセットのような建築かと思いきや、丁寧なリサーチを重ね、細部まで忠実に再現され、まるで昭和30年代のトキワ荘にタイムスリップしたかのような気分にさせられる。

再現されたトキワ荘
左)木の窓枠、鉄の手摺り、雨樋、ひさしのディティールが美しい。右)2階のトイレからの下水管は土管。 写真:筆者提供
再現されたトキワ荘前の公衆電話
トキワ荘前には当時の公衆電話、それも赤電話でなく昭和30年代の青電話が設置されている。 写真:筆者提供
再現されたトキワ荘
左右に9室が並ぶ廊下。 写真:トキワ荘マンガミュージアム提供
再現されたトキワ荘
石ノ森章太郎は17号室と隣の18号室を借りていて、この18号室は石ノ森のアシスタントをしていた山内ジョージらの部屋として使っていた。 写真:トキワ荘マンガミュージアム提供
再現されたトキワ荘
右は昭和31年(1956)に入居した水野英子の部屋19号室の再現。壁の絵は当時水野が"壁がさみしい”と感じて描き、部屋に貼ったものを今回の展示に合わせて本人が描き下ろしたもの(復元)。左はその隣の部屋で、よこたとくお(1958〜61年居住)の部屋20号室の再現。 写真:筆者提供

左右に9部屋が並ぶ2階の長い廊下、コの字型の共同炊事場、木の窓枠、排水のための土管、屋根瓦。「軋む音で編集者の来るのがわかった」というマンガ家の証言から階段が軋むように調整されているのには驚いた。
この本気度はすごい。

再現されたトキワ荘
共同炊事場。ガスコンロ、鍋、キッチン用具、カルピスやファンタなどの瓶が時代を反映している。 写真:筆者提供
トキワ荘に関する書籍
右は『トキワ荘青春物語』(1987年 蝸牛社刊)。中央の『写真集 トキワ荘通り』(2013年 トキワ荘通り共同プロジェクト協議会 編集・発行)と左の水野英子の自費出版本『トキワ荘日記』(2009年スタジオ・アルタイル発行)は「豊島区立トキワ荘通りお休み処」で購入可能。

4畳半の部屋を行き来し、互いに刺激しあい、切磋琢磨するところから生まれる創造力。
無名で貧乏でまだ何者でもない者たちだけが持てる得体のしれない高揚感の共有。
石ノ森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄Ⓐ、藤子・F・不二雄、水野英子など日本の漫画界を牽引する才能がここで育まれ巣立っていった。
これは目白文化村や池袋のアトリエ村に集った若い芸術家たちにも通じるものだったのではないかと思う。

トキワ荘跡地の碑
写真:筆者提供

500ページ近くもある分厚い本『トキワ荘青春物語 手塚治虫&13人 PLAYBACK TOKIWASO』は、トキワ荘に住んだマンガ家たちがその思い出をマンガにしエッセイを綴ったものだ。
その本の中の石ノ森章太郎が書いたこのフレーズが印象に残った。

「今やトキワ荘は、ボクらにとって”青春”の代名詞のようになってしまったが、正に、あの頃のトキワ荘には、迷路のような複雑に錯綜した、ビックリ箱のようにハジける様々の輝くような想い出が、びっしりと詰まっていた。 
 高揚と挫折、歓喜と悲哀、貧困と豊穣、友情と競争、そして広さと狭さ...。」
(「わが青春の代名詞」より)

寺田ヒロオの部屋の再現
寺田ヒロオの部屋の再現。テーブルにあるのは、焼酎をサイダーで割ったトキワ荘特製の「チューダー」。 写真:筆者提供

<関連情報>

□Open House LONDON
https://openhouselondon.open-city.org.uk

□Open Gerdens
https://www.opengardens.co.uk

□豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
https://tokiwasomm.jp
開館記念展は「漫画少年とトキワ荘」、第2回は「トキワ荘のアニキ 寺田ヒロオ展」(2021年1月11日まで開催中)、第3回は「トキワ荘と手塚治虫ージャングル大帝の頃ー」(2021年1月16日~4月18日まで開催予定)。

□池袋モンパルナス回遊美術館
https://kaiyu-art.net/about.php

□新宿区立中村彝アトリエ記念館
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/tsune/40357/

□新宿区立佐伯祐三アトリエ記念館
https://www.regasu-shinjuku.or.jp/rekihaku/saeki/1667/

□豊島区立熊谷守一美術館
http://kumagai-morikazu.jp

□廣川明と建築術工房
http://www.akira-hirokawa.com/home/3


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2020/12/28

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